中途採用対策について

“French philosophy?”

 

面接官の人は僕のレジュメを一読して、僕の学生時代の専攻名を見て笑った。新卒のときの就職活動以来、同じようなことが何回あったかわからない。まあ無理もない、僕のしている仕事はいわば資本主義を推進するための仕事である。それを考えると、物質的価値観と真っ向から対立するように見える、哲学という分野の勉強をしていたということが、世の中の多くの人からすると奇異に移るらしい。

 

元々ケースインタビューと聞いていたので、ほとんど戦略コンサルを受けるのと同じような準備をしていったのだけれど、実際には大部分が職務経歴についての質疑応答だった。とはいっても、「なぜ?」の連発で、ゴリゴリ突っ込みが入ってくるので、考えようによってはこちらのほうがやっかいである。とりあえず今できることはやったので、今回の面接でうまくできなかった部分の修正を行いつつ、まずは待つことにしたい。

 

☆☆☆

 

今回改めて思ったのだけれど、転職活動というのは本当に労力がかかるし、特に面接に入ってからは、2回も3回も先方オフィスに行かなければならない上に、向こうから終了ボタンを押されたらそこで終了という、なかなかシビアな勝負である。ひとつの参照として、僕が今回行った準備を以下に記す。

 

  • 企業研究
    • HPを網羅的にチェック
      • 経営方針、四半期実績、プレスリリースなどの読み込みにより経営課題を抽出する
      • 3C/5P/ SWOTなどのフレームワークを使用しつつ、会社の特徴をあぶりだす。競合・ユーザ・投資家それぞれの視点から検証する。
    • 当該関連企業書籍の読み込み(同じく経営課題を抽出するため)
  • 職種研究
    • JD読み込み(自分の経験と関連付けながら読む)
  • 履歴書のアップデート
    • 上記JDと関連付けながら、募集職種でダイレクトに活かせる経験をachievement basisで分かりやすく書く(当然、複数の企業に出す場合は、業種・会社ごとに微妙に表現を調整する)
  • 面接練習(一般)
    • いわゆる中途採用面接で聞かれる30~40くらいの質問(例えば志望動機)について、淀みなく応えられるようにする練習。当然声を出しながら、日本語・英語の両方で行う。
      • できれば転職エージェントの人や、友人・パートナーに聞いてもらい、フィードバックをもらいながら修正するのが望ましい。僕は今回直接応募で、時間もあまりとれなかったので、ここまでは自己練習のみであった。
  • 面接練習(ケース)
    • コンサルや銀行、一部テック系の会社を受けるときに必要。だいたいパターンは決まっていて、①フェルミ推定系の問題、②問題解決系のふたつに分けられる。
      • 対策としては、①参考書を読んで基本的なフレームワークを抑えたら、②問題を解きまくり、口頭で回答する練習を行う。こちらもパートナーや友人に相手になってもらうのが望ましい。今回僕は①・②合わせて50問程度を事前に解いてから面接に臨んだ。
  • 事前質問準備
    • 面接の最後に「なにか質問はありますか?」というコーナーが大抵あるので、そこで練りに練った質問をするための準備。うまく行けば、企業研究を熱心に行ったこと、志望度が高いことなどをアピールすることができる

 

大まかにいってだいたい上記のような感じである。正直にいって、マジメにやると30時間くらいはかかる。で、だいたい想像がつくように、一部の気合の入った求職者を除いて、ここまでやる人はあまりいない(一方で、トップティアのコンサルなんかを受ける人は当然のようにやっている)。まあ別に強制的なものでもなんでもないのだけれど、本当に行きたい会社があって、かつそれが人気のあるポジションだったら、最低これくらいはやらないといけないし、やらないと後悔しますよ、という話。

 

もちろん新卒の頃は上に書いたようなことなんか知らないし、企業研究なんかなにもせずにガンガンいろんな説明会に乗り込んでいたのだけれど、今考えるとすげえなあと思ってしまう。知らないというのはある意味強さでもある。

 

☆☆☆

 

年末らしく、業務はバタバタ。ストレッチを深めに行って、睡眠の質を上げるようにしよう。

タイムマネジメント

友人の墓参りのために、娘と二人で久しぶりに大阪に出かける。僕にとってうれしい驚きだったのが、娘が友人のお母様に敬語(ですます調)で話していたこと。自分が小学校一年生のころなんて、おそらくサルに毛が生えたくらいのことしか話せていなかったと思うのだが、女の子は実に成長が早い。当初の目的を済ませた後は、子ども連れということで、普段めったに足を向けることのない大阪城に向かう。大阪城公園のあたりはずいぶんと紅葉が進んでいで、朱と山吹色のコントラストが城下を彩っていた。天守閣に行くと、修学旅行生と中韓あたりからの観光客がずいぶん目立つ。たぶん大河ドラマの影響もあるのだろう。その後は、天王寺のあたりで軽くお茶をしてから東京に帰る。それにしても東海道新幹線の常軌を逸した価格設定はどうにかならないものなのか。

 

☆☆☆

 

恵比寿で後輩の結婚式。35にもなって2ヶ月連続で結婚式というのもなかなか珍しい話だとは思うのだが、まあめでたいのはいいことである。僕の苦手なヤソ教式ということもあって、まあ突っ込みどころには事欠かなかったのだけれど、賛美歌のオルガンがパット・メセニーギターシンセみたいな音で、なかなか情感に訴えるものがあった。式では初めて会う何人かの人から、「流星号の人ですよね」と声をかけられる。個人史というのは意外と長くついてまわるものだなあと思った。披露宴というのもあまり好きではないのだが、娘から父親の手紙のコーナーで不覚にも声を上げて泣いてしまう。最近どうも涙もろくて困る。

 

☆☆☆

 

タイムマネジメントというものの必要性や重要性をきちんと認識したのは、思えばずいぶん遅かったような気がする。たぶん社会人になってから、もっと正確に言えば結婚して子どもが生まれてからだ。なにしろ学生の頃はそれこそ時間だけは掃いて捨てるほどあった。それに元々僕は重要な試合やらテストやらについては石橋にセメントを流し込むように準備をするほうで、なにかにつけ物事を早く終えてしまうクセがあり、たぶんそのためにタイムマネジメントという観念を持つことがなかった――あるいは自分には縁のないものだと考えていたのだと思う。

 

だが30代になると事態は一変する。理由は単純で、ライフスタイルの変化によるものである。共働きをしながらペースの早い業界で仕事をするというだけで、一週間のうち自分のために使える時間というのはほぼなくなってしまう。そういうわけで、否が応にも「いかに効率的に時間を使うか」ということを考えざるを得なくなってくるのがこのくらいの年代だといえるかもしれない。

 

翻って、ビジネススクールの入学試験のひとつであるGMATでは、このタイムマネジメントというのが非常に重要だとされている。特に論理(verbal)の試験において、英語を母国語としない人間には処理困難な量の問題数が出題されるからである。そういう制限の中で訓練を積んでいくと、選球眼というか、「この問題は全力で解くべきか、見送るべきか」というのが直観的にわかるようになってくる。結果的にこれが身についたことで、僕は合格点である35点を超えることができた。このあたりの感覚は、おそらくこの試験の勉強をしなかったら身につけられなかっただろうと思う。

 

別にアメリカ式の教育や試験を賛美したいわけではないのだが、日本の教育の中でも、「限られた時間・情報の中ですばやく判断を行い、優先順位を決めること」の重要性は早いうちに教えたほうがいいのではないかと思う。現実の世界は問題が多すぎて、トリアージを行わないことには体がいくつあっても足りないからである。

 

☆☆☆

 

今週もバタバタとした日が続く。ふろふき大根でも食べながら、こたつでぼーっと過ごすような日が一日でもあればいいのだけど。

 

また落ち着かない

そんなに忙しかったというわけでもないのだが、あまり精神的に余裕がなく、どうしても一週間ほど文章を書く気になれなかった。それほど対して自分が置かれている状況が1ヶ月前と変わったわけではないのだが、向こう半年くらいのシナリオが複数存在している状況だと、どうしても落ち着かない。

 

☆☆☆

 

この間声をかけられた会社についての話。リクルーターの人が現場の人との面談をセッティングしてくれたので、40分ほど先方オフィスでその従業員の人と話す。オフィスの雰囲気は懐かしい…の一言だった。外資系のIT企業というのはだいたいどこも雰囲気が似ていて、まあ一言で言ってしまうと洒落ている。社内の雰囲気などについての話も当然聞いたのだが、おそらくは僕が前に働いていた環境にとても近いのではないかという印象だった。話してくれた人はとてもフレンドリーだった。業界が違うといる人もずいぶん違う。

 

で、いろいろ迷いはあるのだが、せっかくのチャンスなので正式に面接を受けることにした。僕だって転職なんてまったく好きではないし、できればしたくないのだが、世界に数社しかない「働きたい会社」がピンポイントで声をかけてくれたのだから、挑戦してみるかという思いはやはりある。リクルーターの人曰く、「一時面接はケース面接です」とのこと。おお、懐かしい…。昔コンサルを受けたときに練習したっけなあ。というわけで、35にして、久しぶりに参考書を引っ張り出し、「東京にはラーメン屋がいくつあるか」とか、「日本のクリーニング屋の市場規模はどれくらいか」とか、就活学生チックな問題の練習をしている。さてどうなることやら。

 

☆☆☆

 

なにかの寓意のような夢を立て続けに見る。一つ目は、浴室のバスタブで巨大な金魚が死んでいるのを発見する夢。これはかなり怖かった。起床後、念のため飼っている金魚たちの状態を確認したが、特に問題はなさそうで、いつもどおり僕にエサをねだってきた。らんちゅうのチビは相変わらず一匹だけのんきに水槽の底のほうでぼーっとしていた。

 

もうひとつは、知らない女性と浮気する夢。布団の中で僕はその女性の胸をまさぐっていた。これは自分自身かなり驚いた。ここ最近、女の人に対する強い性的欲求を自分自身感じたことがなかったからである。

 

大人になってからあまり夢を見なくなったので、これだけリアルな夢が続くと、なにかの予兆なのかと思ってしまう。別に何の脈絡もない話なのだが。

 

☆☆☆

 

僕の家族は僕以外が全員女性ということもあり、家族で休日を過ごすとどうしても女の子的な過ごし方が中心になる。百貨店やら量販店やらに行くときなんかが典型的で、僕は買うものを買ったらさっさと帰って自分のことをしたいのだが、彼女たちはいつまで経っても飽きもせずに、所狭しと並んだ商品を眺めている。IKEAなんかに行くと、買い物にかかる時間が本当に10倍くらい違って笑ってしまう。たぶん脳のつくりが根本的に違うのだろう。

 

ひとつ上記に関していいところを挙げるとすれば、「著名どころの買い物スポットの座れる場所・休憩できる場所に詳しくなれる」ということくらいである。もう出かけるときは、待っているときに読む本を事前に決めておいたほうがいいのかもしれない。

 

☆☆☆

 

寒くなってきた。明日は雪だそうである。それにしても、なぜアメリカがThanksgivingのときに、この国ではクリスマスソングを流しているのだろうか。11月なんだから七五三ネタか何かをもっと盛り上げればいいと思うのだが。

清掃飢餓

今週末もあっという間に終わってしまった。世の中の多くの人々が週末をどのように過ごしているかというのは僕の計り知らないところだけど、少なくともここ5年ほどの僕に関しては、土曜日は片付けと子ども関係の雑事、日曜日は買い出しと子ども関係の雑事、それに多少の行楽(とはいっても、駅まわりやら公園やらに行くだけ)を加えて終わりという感じである。月月火水木金金なのだ。こういう日常で何が一番困難かというと、本格的な清掃――というか、モノを捨てるという作業――を行うチャンスがほとんどないということである。もちろん、日常生活に問題がない程度の片付けは日常的に行っているのだが、「本当に必要なものだけを選別する」という作業は、振り返ると5年以上行えていないということになる。というわけで、12月におそらくは外部サービスの助けを借りて、いわゆる断捨離というものを行ってみるつもり。おそらく、我が家にあるもののうちの半分くらいは今この瞬間にこの世からなくなってもまったく困らないものなので、向こう2か月くらいで、もう少し家庭を筋肉質にするというか、経営的に言えば在庫回転率を上げるようにしたい。会社では毎月そういう指標を見ているにもかかわらず、家での管理はほとんどできていないので、これからの目標としたいと思う。

 

☆☆☆

 

香港の書店で哲学のコーナーを見たら、70%くらいは中華思想に関するものだった。老荘あたりから始まって毛沢東あたりまで、原書と解説書の類がこれでもかというくらいに置かれている。現代の中国人がそういったものをどれくらい読んでいるのかというのはよくわからないのだが、書店での存在感からすると、例えば一般的な日本人の親鸞に対する感覚よりは、中国の人たちはいわゆる中華思想をずっと近しいものとして感じているのではないかという気がする。ちなみに、残りの30%のほとんどは西洋哲学で、プラトンからロールズあたりまで有名どころはだいたいそろっていたのだが、フランス現代思想の類はフーコー以外ほとんど見当たらなかった。このあたりは、今でもデリダの訳書が刊行されると局所的な盛り上がりが見られたりする日本なんかと比べると、ずいぶん異なっているような気がする。どちらがいいとか悪いとかいう話ではないと思うのだが、今でもフランス現代思想という領域が一種のヘゲモニーを形作っている日本のほうがどちらかといえばいびつなのではないかと思う。このあたりは戦後日本における思想的なトレンドに加えて、東大駒場の政治的な話も絡んでいるのでずいぶんややこしいのだろうが、追及すればそれなりに面白いテーマなのではないかと思う。

 

いずれにせよ、西洋思想という借り物のことをずっと勉強してきた身としては、中華思想という屋台骨を持つ中国のことを少しうらやましく思った。たぶん漱石もイギリスで同じようなことを考えすぎて、頭がちょっとパンクしてしまったのではないかと思う。

 

☆☆☆

 

ずいぶん前、オフィスのデスクに備え付けてあるホワイトボードに、『グレイト・ギャツビー』のラストの一文を書いておいたら、上司(UK出身)とその取り巻きがやってきて、"Very deep"やらなんやら小学生みたいな感想を連発していた。二人ともきちんとした教育を受けた人なのだけれど、そんなものなのだろうか。英国の人は米国のものは邪道だからあんまり読まないのだろうか。日本人の大人が『草枕』の冒頭を知らなかったらやっぱり結構恥ずかしいと思うのだけれど、それは僕の出自ゆえの凝り固まった価値観なのだろうか。よくわからないけれど、世界的に教養というものが危機にさらされていることを実感したエピソードである。まあずいぶん前の話なのだが。

 

☆☆☆

 

月曜からかなりバタつきそうだが、気合を入れて乗り切っていきたい。

サラリーマン的デタッチメント

選挙のことはあちらこちらでいろんな人がいろんなことを言っているのでまあどうでもいい。アホみたいな結果ではあるが、結果は結果である。これから、いろんな業界・ジャンルの解説屋が分かりきったような解説やら講釈やらをするかと思うと、想像するだけで若干食傷気味になる。長期的に見ていろいろ日本にも影響は出てくるだろうけれど、ひとつ言えることは、株やらETFやらを買うのであれば、この一時的なトレンドは逆にチャンスであるとも言える。僕も明日ポートフォリオに少し手を入れる予定。

 

☆☆☆

 

「もう3年くらいして、この会社でいいポジションが空いたらぜひ受けてみたいなあ」と思っていた某企業からスカウトメールが届く。「是非会いたい…云々」と、典型的なリクルーター決まり文句が記載してある。その会社のオープンポジションを調べたら、僕と似たようなポジションがその会社で少なくとも2~3は空いているというちょっと異常な状態である。まあ多分内部事情がいろいろあるのだろう(実にありそう)。この会社に限らず、この職種はいろいろな会社で「人がいない」と言われているようで、若干バブルの感がある。

 

ともあれ、別に転職を積極的に考えているわけではないのだが、まあ先方が興味を持ってくれているということで、来週担当者と一度会ってくる予定。

 

☆☆☆

 

仕事、家庭、スクーリング、興味のある会社からのメール、住宅ローンの借り換えに伴う雑務…そういった諸々が重なり、あまり集中できない状況になっている。元々この11月~12月はそつなく年を終えようというくらいしか考えていなかったのだけれど、急にいろんな方向にベクトルが動き出して、頭が若干混乱しているというのが正直なところだ。ちょっとしたイベントのようなものもところどころにあり、腰を落ち着けてものを考えるというのが極めて行いにくい。

 

まあある程度は大きな流れに身を任せて、自分がやるべきことをひとつひとつこなしていくしかないのだろう。2017年の年明けを晴れやかな気分で迎えられるように、まずは目の前に来るボールたちを必死に打ち返そうと思う。

 

 

 

 

 

 

混沌の風景

混沌であって、フランス語のcontentではない。というわけで、家族で香港に行って、しけたビルのしけたホテルのしけた一室に宿泊する。いきなり「予約入ってない」という海外安ホテルにお決まりの洗礼を浴びて、「おお久しぶりだな、こういうの」と思っていたが、今回は家族を連れているので笑いごとではない。ともあれ、なんとか部屋を確保し、予定どおりに結婚式に出席する。新婦は「えれーべっぴんさん」という表現がぴったりのChinese Ladyだった。頭もよさそうだし、愛嬌もたっぷりだ(ここ重要)。友人にいいパートナーが見つかってよかったなあと思った。前職の偉いひとたちがたくさん来ていたので、ずっとサラリーマン的に恐縮してばかりだったのだけれど、まあみんな元気そうでなによりである。

 

細かいことを書こうとすればいくらでも書けるのだろうが、一点だけ触れておくと、とにかく香港では赤ちゃんを連れているというだけで特別扱いされた。子どもは宝だという価値観が、「太陽は東から登る」という普遍の法則のように人々の間に行き渡っているような印象を受けた。

 

日本に帰ってきて翌日、案の定体調が悪くなる。体は体なりにいろいろ気を遣っていたのだろうなあと思う。それに油ものばっかり食べていたので(ほとんどそれしか選択肢がない)、まあある程度は仕方ないのかと思う。

 

☆☆☆

 

英語で”Are you happy?”と訊かれると、すぐに”Yes, I’m enjoying my job and have a gorgeous wife and two adorable daughters”とか答えられるのだが、日本語だと「うーん…」となってしまうのはなぜなのだろう(僕だけかもしれない)。日本語についての僕の持つ業があまりに深いせいなのか、あるいは、日本語という言語を通して経験した感情が英語のそれよりもはるかに多いせいで、「幸せ」という原色の感情が心の中に発色しにくくなっているのかもしれない。英語のほうを日本語に近づけるという観点だと、英語でもわりと根暗なテーマ(例えばabyss of the existenceなんかのハイデガー的な話)について話す友人がいないことはないのだが、やはり数は相当限られてしまう。まあまずはもっと英語を読めということなのだろう。読めば読むほど闇は深くなるのだろうが。

 

☆☆☆

 

というわけで35歳になった。ここ数年誕生日にはほとんど感慨がなかったが、例によって今年も何の感慨もない。35歳を自分の中のマイルストーンにしているわけでもないので、ひとつ自分の満年齢が上がったという事実が僕の前にあるだけに過ぎない。このくらいの年代のマイルストーンという意味では、僕はどちらかといえば37歳という年齢に重きを置いている。たぶん以下の記事に影響されているのだと思う。実体験としても、その人の人生が総体としてよいものであったか否かというのがいろいろなところに出てくる(出てきてしまう)のは、37歳前後からではないかと思う。

 

最後通告は37歳 - Chikirinの日記

 

まあとりあえず、僕は僕の人生をひたすらに走るだけである。

 

☆☆☆

 

今年もあと2ヶ月だが、終盤までいろいろと慌しい日々が続きそうである。気合…といいたいところだが、年齢に応じた賢さを持って乗り切っていきたい。Let’s play wisely.

エリートたちの横顔

とても偉い人たちがそろって日本にやってきたので、会議の末席に出させてもらう。やってきた面々を見ると、絵に描いたようなエリートばかりで思わず笑いそうになってしまった。おそらく一般的には一番派手に見られるであろうハーヴァードのPhDを筆頭に、アイヴィー・リーグの出身者ばかりである。こう考えると、アメリカの会社は多様性が重要とか標榜しながら、実のところは相当なモノカルチャーだなあとしみじみ思う。要するに役員なんかの重要ポジションに就くのは、高学歴で(学部でサイエンス系の学位、修士でMBAが多い)、リーダーシップのある白人の男性(いわゆるWASP)であるべきであるというのが、社会的に認められた不文律なのではないかという話である。IT業界だとインド系だったり、もう少しバックグラウンドに面白みがある人がいたりもするのだが、業界的に古ければ古いほどそういったモノカルチャー傾向は強いのではないかという気がする。

 

ちなみに、上記エリートたちのうちの一人のプロフィールをbloombergで見てみたら、年間給与$2.4m(約2.4億円)とあった。日本人男性の生涯賃金とほぼ変わらんではないか。こういう数字を目の当たりにすると、ピケティのr>gなんか当たり前じゃねえかとか言いたくなってしまう。たぶんこういう人たちは、「給料日前で金がないから、今日はささみと玉ねぎでチキンライスにしよう」とかあまり考えたりしないのではないか。どうでもいい話ではあるのだが。

 

☆☆☆

 

広島から友人が上京したので、5年ぶりに会う。久しぶりに会った彼はすっかり父親の顔になっていた。

 

「子どもと過ごす時間を削って、なんとか読書やら勉強やらの時間をひねり出して、でも一日一時間くらいがやっと。そうなるとさ、もうそんなのやめちゃって子どもにその時間も捧げたほうがいいんじゃないかって気がするんだ」、と彼。

 

少し感じ方は違うのだが、僕もその気持ちはよくわかる。まあ30代中盤にはつきものの悩みなのだろう。僕はハンドドリップで淹れられたとても濃いコーヒーを一口飲む。その後、広島のカキの美味しさやベーシックインカムの実現可能性についてああでもないこうでもないと議論し、しばしの沈黙の後で彼は言う。

 

「なんというか、精神的なクライシスの意味がわかってきた気がする。それがどういう形をとるのかはわからない。でもどこかで精神的にパンクしてもおかしくないなと思う」

 

客観的に見て、彼はとても頭のよい人で経歴も立派だし、おそらくは仕事でもしかるべき評価を得て、幸せな家庭を築いているのだろう。でもそんなこととは無関係に、彼は彼なりに心の中に住む魔物と必死に闘っているのだ。その気持ちは僕にも本当によくわかる。いや、自分が自分の人生をなんとかそれなりのものとして送れているという気持ちがあるほど、そうした内面の地獄というのは底の見えない、救いがたいものになっていくのかもしれない。

 

「40代、50代とどこを見て生きていくべきかな」、僕が言う。

 

「それがよくわからないんだな」

 

そんな感じで月曜の夜は終わっていった。