アフリカ料理

連休である。とはいっても相変わらずの平常運転であるどころか、例によって休日出勤も入っている。日本で鯉のぼりが上がっていようと、アメリカ人もシンガポール人もそんなことには構ってくれないので、まあこのあたりは宿命として受け入れるしかないのだろう。もう少し早くここに記事を書きたかったのだが、あまり精神状態がよくない状態が何日か続き、半ば失語症のようになっていたので、少し遅くなってしまった。例によって疲れているのだろう――その言葉の持つあらゆる意味において。

 

☆☆☆

 

連休前ということで、渋谷にある、こじんまりとアフリカ料理の店で友人と呑む。こういう料理文化の区分においても、アフリカ諸国についてはだいたい十把ひとからげに「アフリカ」の一語で括られてしまう。結局かの大陸は、まだサイードが批判したような、「他者のへのまなざし」から逃れられていないのだろう。まあ僕は僕で、「すいません、コンゴについては、モケーレ・ムベンベくらいしか知りません」とか話していたので、無意識の差別に加担しているのかもしれない。

 

こういうとき、久しぶりに会う友人と話すのはだいたいいつも同じだ。最近あったこと、昔の友人と会った、あいつらは今…している、等々。僕の同年代あたりで研究の道に進んだ人たちは、このくらいの年代がアカデミック・ポストを得られるかどうかの瀬戸際なので、そういう話が多くなる。でもまあ、僕にとってはすべてが過ぎ去ってしまったものなので、正直あまり興味が持てない。10年会っていない旧友がどこで働いていようが、僕としてはどうでもいいのである。彼らがそこそこ幸せに暮らしてくれていれば、それでいいのだ。

 

だんだん酔いが回ってくると、饒舌になってくる。「お前、酔っ払うといつも昔の女の話ばっかりしてるよなあ」と呆れられる。相変わらずどうしようもない。どうしようもないなりに、濃く苦いコーヒーをぐっと飲み干して、なんとか正気を保つ。

 

「きっと働きすぎなんだよ」、友人が言う。そんなことはわかっているよ、と思う。

「同年代の女友達がほしいなあ。一緒にカラオケに行って、「白いカイト」歌ってくれる子。どっかにいないかなあ」

「お前相変わらずアホだな」

 

そんな感じで渋谷の夜は更けていった。連休前の街は人でごった返していたが、残念ながら雑踏は僕の心の隙間を埋めてはくれなかった。

 

☆☆☆

 

連休なので、ずっと読みたかった村上訳の『グレイト・ギャツビー』を読もうと思う。ここ3年くらい時間ができたら読もうと思っていたのだが、読み始めたらしばらくその世界から返ってこられなくなるという思いから、ずっと読むのを避けていたのである。おそらくこれを読んでまた僕は泣いてしまうのだろう。なにしろ冒頭の一行で胸が震えそうになってしまうくらいなのだから。読み終わったら例によってここに感想でも書こうと思う。

 

ちなみに、Amazonのレビューで、この本を「失恋した男のための本」と評している人がいた。さもありなん、と思った。

ちょっと遅れてサクラサク

というわけで、合格通知がやってきて、秋から予定どおりビジネススクールに通うことになった。このご時勢にMBAを取得することの意義やら、自分なりの考えなんかはまた近々この欄で論じてみたいのだが、春のパワポ祭りでちょっと疲れているので、また日を改めてゆっくり書いてみたいと思う。まあプログラムが始まるまでまだ半年くらいはあるので、それまでにしっかり準備をしっかりしておきたい。さしあたってするべきこととしては以下のとおり。

 

  • 奨学金申し込み(エッセイ書く。またかよ)
  • 学費振込み(局地的円高求む)
  • 英語強化。そろそろWSJあたりの年間購読でも申し込んでもいいかもしれない。日本語を読むように英語を読む必要がある。
  • 主要科目予習。会計系の科目は問題ないと思うが、統計と定量分析はしっかり予習をしておく必要がある(と思う)
  • 日本文化(とりわけ会社文化)についての本を読む

 

いつも思うのだが、こう書き出しても結局いつも同じことを書いている。おそらくこのあたりが、僕の人生における基礎トレーニングのようなものなのだろう。

 

それにしても、35歳にして人生で初めてプライベートスクールに通うことになったというのは、なんだかとても不思議な気分だ。私立の学校というのは、ずっと僕には縁のないものだと考えていたし、どちらといえばネガティヴなイメージがあったからだ(今でもKO大学なんかにつきまとう、キラキラっとしたイメージなんかは苦手だ)。まああどうでもいいのだけど。

 

ともあれ、僕にとっては新しいチャレンジである。きっと11月のマドリードは悲しくなってしまうほどに美しいのだろう。マドリードというと、どうしても僕はプラド美術館→ベラスケス→「ラス・メニーナス」→フーコーという連想をしてしまうのだが、もうこの思考回路自体が病気の一種なのではないかという気がする。

 

面接終了

とりあえず志望校との面接は終わった。面接官はアメリカ人の女性。東海岸系のアクセントの人で、やわらかな物腰の中にもインテリジェンスが感じられた。レジュメを見る限りでは僕より3、4歳若い人だと思うのだけれど、欧米の女性で30歳を超えている人だと、自分よりはずいぶん年上に見える。

 

相手がどう思ったかはよくわからないけど、僕としてはまあ短い期間でよく準備して、なかなかよいパフォーマンスができたと思う。内容としては、まあ定番の”Why MBA?”やら、”Why our school?”あたりの質問が7割程度で、あと3割がちょっと変わり種系のものだったと思う。具体的には、

 

  • 子どもをテクノロジーに慣れさせるのは大事なことだと思うけれど、同時に人間らしい感情を育むのもすごく大事なことだと思うの。子どもを育てる中で、そのためにあなたが心がけていることはある?
  • 自然に触れるのは人間としてすごく大事なことだと思うけれど、あなたは週末に東京を離れてそういうところに行くようにしてる?東京はもちろんすごく都会だと思うんだけれど、そういうところにすぐにアクセスできる?
  • 最近、旅はしている?あなたがこれまで訪れた中で一番好きな国は?その理由も教えて。

 

あたりである。どれも予期していなかった質問ではあったものの、まあなんとか適切に回答はできたと思う。たぶん人間としてのバランス感覚のようなものを見ているのだろう。その点、面接というよりはちょっとお見合いめいたところがあった。ちなみに、僕の経歴に関しては、「あなたはユニークなキャリアね…フランス哲学からテクノロジー、ファイナンスで製薬…たぶんあなたとバックグラウンドが重なる人はあまりいないと思う」とのこと。ちなみに、僕もこれまでの人生の中で同じような人には会ったことがない。

 

☆☆☆

 

一校しか受けていないということもあって、結果が出るまで次の動きもとれないのだが、一週間くらいは体をゆっくりやすめようと思っている。というわけで、しばらくはジムで長めのジョグをしたり、鍼治療に行ったりして、地に足の着いた生活を送ろうと思う。しかしながら、グローバル・リーダーシップなんかの大仰な言葉で自分を語った後に、そそくさと鍼治療の予約を入れているあたりが、なんとも僕の人生らしいなあという気がする。

 

とりあえず今日はもう早く寝よう。

町内会という名のカオス

雨の中、地元の――というか今住んでいるところの――町内会に参加する。「桜まつり」という名目だったのだが、残念ながらその日は一日中雨が降り続いていたので、実際には「周辺住民が集まって飲み食いをする会」とでも呼ぶべき様相を呈していた。自分の人生を振り返ってみると、こうした有象無象の老若男女が集まる場というのは中学時代くらいを最後に日常の中に登場しなくなっていたのだが、一定の場所に根を張って子どもを育てていると、土着的な人間関係に最低限のリソースを割くことは避けられなくなってくる。この町内会もそういったもののひとつと呼んでいいだろう。そういうわけで、この局地的な坩堝が20年ぶりくらいに僕の目の前に現れてくるようになったのである。

 

僕の前には80歳くらいのおばあさんが座る。『千と千尋』の湯婆婆を気持ち優しげにしたような感じの人だ。彼女が僕に話しかける。

 

 「あなた、どこに住んでるの?」

 「クリーニング屋とコンビニの間のあたりです」

 「日比野さんの家のアパート?」

 「いえ、アパートじゃないです」

 「日比野さんの家の旦那さんね、外に女作って逃げ出したのよ」

 「はあ」

 「それでね、日比野さん…(以下略。覚えてない)」

 

とまあ、午後1時というのにショットでウオッカ5杯飲んでます、くらいにドライブがかかっている。隣の奥様からは、「娘が隣のクラスでお世話になっています」と丁寧に挨拶される。僕も当然「いやはや、こちらこそお世話になっています」と返すが、本当にそうなのかさえ不明である。湯婆婆は相変わらず「向こうに座っている人がこのあたりの地主さんなのよ」とか、独り言なのか僕に対する言明なのか判別できないことを口走っている。よくわからないままにスーパードライをちびちびを飲んでいると、国会議員の人がやってきて握手を求められる。もうドストエフスキーポリフォニーとでも呼びたくなるような状況である。

 

改めてこういう場に着てみると、自分が日常的に生活している場ではある程度の同質性が担保されているのだなあとしみじみと思う。どっちがいいとか悪いとか言う話ではないけれど、多数の世界が同時に存在しているというのは、厳然たる事実なのだ、と。35歳になった今でも、その単純な事実には驚かずにはいられないものがある。いや、35歳になったからこそ、世界が複数であることの素晴らしさも、そしてそのことのおぞましさも理解できるようになったということかもしれない。

 

☆☆☆

 

もうすぐ面接日なのだが、若干間延びしてしまっている感があり、あまり練習に身が入らない。直前になってしまうと、なぜかモチベーションが落ち気味になってくるのは、昔からの僕の悪い癖である。まあもう少しだ、がんばろう。 

エレベーター・ピッチ

「面接はエレベーター・ピッチだ。それぞれの質問に対して回答しつつ、君は自然に自分を売り込まなければいけない」。

 

そんな感じで、学校との本番の面接に備えてインタビュー講師のトレーニングを二日に一度受けている。ダメ出しに次ぐダメ出しで若干げんなりしているところである。「コンテンツがまとまってない」「さっきったことと矛盾している」「喋るの早すぎ」「よくわからないAh…はやめろ」などなど、なかなか手厳しい。会社でもチクチクといろいろ言われた後に、夜間にこんなスパルタ教育を受けている自分が滑稽にも思えてくるのだが、僕くらいの歳になると、周りに注意してくれる人も少なくなってくるので、貴重なアドバイスとして真摯に受け止めようと思っている。

 

しかし、30秒で一定のコンテンツを適切に話すというのは実は相当に難しい。自分のことをよく知らない人に対して、与えられた質問に対して適切に回答し、重要なメッセージを届けるというのは実は相当高度な能力が要求されるのではないかと思う。同質性の高いコミュニティで長く生活をしていると、なかなかこの難しさは認識しにくく、実際僕も30代に入るまで、こういった課題は認識できていなかった。より大きな文脈で捉えれば、このトレーニングは自分をさらに外部に向けて開いていくためのトレーニングであるといえるかもしれない。とにかく練習あるのみ。

 

☆☆☆

 

久しぶりに箱根に行く。桜を愛でて温泉に入るのが目的だったのだが、まだ山の上のほうは肌寒く、ほとんど桜の花は咲いていなかった。久しぶりに行った彫刻の森美術館では、子どもたちふたりが広大な敷地内を元気いっぱいに走りまわっていた(必然的に僕も走り回ることになる)。驚いたのは、小田原駅でも箱根登山鉄道の中でも、日本人より外国からの旅行者のほうが目立ったということである。まあ円も比較的安いので、日本を訪れやすい時期ではあると思うのだが、なぜ数年前に比べてこれほど外国人が多いのかはよくわからなかった。Lonely Planetあたりに、「4月上旬の日本では桜が見もの。特に箱根は美しい」とか書いてあるのだろうか。真相は謎である。

 

☆☆☆

 

このブログを書き始めて一年半くらいになる。最初はほとんど閲覧がなかったけれども、ここ最近は一ヶ月で700~800 viewくらいの数字は出るようになった。リアルな知人には2、3人しか教えておらず、また特に人の役に立つようなものを書いているわけではないことを考えると、まずまずの数字だと思う。しかしながら、Googleが検索キーワード履歴の提供をやめてしまったこともあって、どんなキーワードで人がこのブログにたどり着くのか、僕にはさっぱりわからない。本当に素朴に、誰にどんな需要があるのだろうと思う。

 

 

7年分のためいき

時間が空いたので少し書こう。土曜の夜、一週間で二番目にリラックスしている時間だ。本当は一番である昨日、金曜の夜に書きたかったのだけれど、ずいぶん疲れていて、PCを開く気になれなかった。雨が降っていたこともあって、体が脳に休めと命令していたのかもしれない。ドゥビュッシーのアラベスクのような、優しく心地のよい雨だった。

 

☆☆☆

 

出願して2日後、ビジネススクールからインタビュー通知が届く。まずは第一関門突破を喜びたいところだが、あまりにも早くてびっくりしてしまった。準備がまったくできていないので、カウンセラーに相談したところ、「仕事が忙しいからと言ってインタビューの日付を遅らせろ」との由。というわけで、向こう一週間くらいはこの準備と練習にフォーカスすることになりそうである。人生というのは本当に不思議なもので、ずっと物事が進まないときもあれば、ある時にはいろいろな物事が高速で同時に動いていく。

 

☆☆☆

 

友人からメールが届く。「…さんとこの間会ったよ。元気そうだったよ」。

 

一読して僕は深いためいきをつく。たぶん2017年についた中でもっとも深いためいきを。人を深く愛し、その代償として死を考えたほどに傷ついた経験というのは、何年経とうがそういうものとして脳裏に記憶されるらしい。

 

頭の中にブラームスの間奏曲が流れる。作曲家はこれらの小品たちを「自らの苦悩への子守歌」と呼んだ。おそらくは僕にも眠らせるべき苦悩が存在しているということなのだろう。

 

毎年この時期になって桜を見ると、どうしても彼女の誕生日のことを思い出してしまう。そういうわけで、花粉は落ち着いてきたが、やはり春は苦手だ。おそらく少し抱え込んでいる記憶が多すぎるのだろう。

 

☆☆☆

 

というわけで、基本に戻ろう。3月分の家計簿をつけて、4月のタスクを整理し、英語の勉強をしてあとは何も考えずに眠ればいい。大人の男も楽じゃないよなあと思う。本当に。

なぜ男性は海外旅行好きの女性を敬遠するのか

ようやく仕事が少し落ち着いて、ビジネススクールへの出願も完了したので、少し書く。出したばかりなのでなんとも言えないところではあるが、出願はけっこうあっさりしたものだった。4年位前、最初にエッセイを書こうと思ったときは、まるでルソーが『告白』を書いたときのように、「私の真実をエクリチュールに…」みたいな調子をイメージしていたのだが、某敏腕カウンセラーと一緒に作っていく過程は、どちらかというと戦略的に学校側に刺さるエピソードを、刺さる方法で書くといったもので、当初思っていたことからするとずいぶんとギャップがあった。まあとにかく面接に呼んでくれることを祈るのみである。

 

☆☆☆

 

「海外旅行好きの女性は婚期が遅れる」という言説は、インターネットを少し覗いただけでもそういう内容の記事がよく見つかるので、そう考えている、つまり「海外旅行を頻繁にする女性を好ましくないと考えている男性」は少なくとも一定数存在するといえる。僕も、例えば自分が今24歳で独身だったとして、四半期に一回海外に行くような人を恋人、あるいは妻にしたいと思うかといったら、たぶん答えはNoなのだと思う。しかしながら、それに対する理由はなんなのだろうと思うと、正直自分でもよくわからないのである。Webの記事を見ると、「金がかかりそう」だとか、「一人でも生きていけそう」だとか、あまり分析的ではない理由ばかりが記載されており、納得感も面白みもない。

 

これに対して、この微妙な嫌悪感について僕が考えた(帰宅中の20分くらい)理由は以下のようなものである。

 

  • 外の世界(=海外)に触れることで物事を知ってしまった女性を、男性は一般的に自分の色に染めにくい女性であるとと考えるため(賢しさの敬遠)。
  • イメージの問題。男性が一般に女性に対して求めるものは、「素直さ」「優しさ」「癒し」「けなげさ」などであるが、海外旅行から連想されるイメージはそうした「男性が女性に求めるもの」と結びつきにくい(むしろ相反している)。

 

たぶん賛同してくれる男性は比較的多いのではないかと思う。①なんかを別の角度から考えると、「男って本当にみみっちい生き物だなあ」と思ってしまうのだが、おそらく日本人の男性の多くは、今でも女性に対して何らかの形での純潔性のようなものを期待しているのではないか(素直さと言い変えてもいいかもしれない)。白無垢なんてものがこの時代にもまだ存在していることがその証左ではないかという気がする。

 

自分でなかなか面白いと思ったのは、経験が純潔を奪うものであるという点において、それ自身が汚れであるという構造になっているということである。これは性的なものだけではなく、あらゆる経験を包括する概念としての経験のことだ。知識にも同じことが言えるだろう(つまり、汚れ≒経験≒知識という構造。ここでの「知識」概念は追加説明が必要だと思うが、長くなりそうなので割愛)。なんだかフェミニストの方々の怒りに勢いよく油を注いでしまいそうな話になってきたけれど、多くの日本人男性の価値観を掘り下げていくと、おそらくそう言えるのではないかと思う。「高学歴女性はモテない」なんていう言説も、そう考えると説明がつく。

 

ここから導かれる結論としては、結局、家父長制時代の価値観は、日本の男性の一定数にまだ根強く残っているということである。そして、そうした男性が「貞淑な妻」を求め、いわゆる「Very妻」に憧れる女性が存在し続ける限り、そこには相互需要があり、旧来の価値観は変わらないであろうということだ。最近では共働き世帯も増えているので、少しずつそういった傾向に変化も見られてはいるのだろうが、そうした家族形態を理想とする男性も、女性に対して一定の純潔性を期待するのはおそらく同じだろう。かくして「海外旅行の多さ」は、汚れ≒経験、もっと言えば「将来の家庭に対する潜在的なコミットメントの低さ」と解釈され、結婚が縁遠くなってしまうのではないかと思う。

 

ちなみに「高学歴女性はモテない」なんて書いたが、僕の周りにいる「えれー高学歴の女の子たち」は、みんなだいたい20代後半くらいであっさり結婚してしまった。僕なんかは、そのあたりの折り合いのつけかたに、「おお、賢い(賢しい、ではなく)」と思ってしまうのだが、いかがだろうか。

 

蛇足ながら、この話はアーレントの「活動」なんかと絡めて分析すると、面白い議論ができるのではないかという気がする(彼女はフェミニズムの文脈では否定的に見られがちではあるが)。

 

☆☆☆

 

次女がひとつ上の学年に上がり、担任の先生が保育園で一番可愛い先生になった(心の中で小さくガッツポーズ)。「子どもはちょっと預けて、今から水族館でイルカショーでも見ませんか」とか誘いたくなるような、魅力的な女の人である。とはいっても、20代前半くらいだろうから、だいたい僕より一回りくらいは年下なのだろう。まあそれはどうでもいいのだけれど、年下の女性を「先生」と呼ぶのはなんとなくエロスが感じられてとてもよい。これはおそらく、ずっと憧れていたが結局実現しなかった、「キレイな家庭教師のお姉さん」への願望が変形したものではないかという気がする。たぶんエロビデオの見すぎのせいである。