正月、孤独、ジュンク堂

明日の午後からは自宅勤務が始まるので、実質的に今日で冬休みは終わりである。というわけで、この6日間のことを簡単に振り返っておく。

 

ある程度予想はできていたものの、この期間ほとんど自分のしようと思っていたことはできなかった。学校の課題もまだ終わっておらず、まともな本は一冊も読めていない。これはある程度しかたのないことで、朝8時から夜22時くらいまでほぼ子どもの対応に追われていたことが主な原因である。実際、ここ数日僕が行ったのは、シッター業→深夜ランニング→深夜勉強というサイクルの繰り返しだけで、そこには季節感などというものはほとんど見受けられない。それでも、子どもたちは親が一緒に家にいてくれているというだけでうれしそうだった。共働きということで普段我慢させてしまっている部分も当然あるだろうから、こういうときは甘えさせてあげなければなあと思う。

 

ところで、このクリスマスから正月にかけて、5人ほどの旧友に、誕生日のメッセージやら年末の挨拶をメールで送ったのだけど、ここまでで返信があったのは1人のみだけである。ああ、人はこうやって離れていくのかなあと寂しい思いになった。まあ皆それぞれ忙しいのだろうが…。

 

☆☆☆

 

ここ半年分の『出版状況クロニクル』をまとめて読んで、ジュンク堂の工藤社長が退任していたことを知る。まあずっと赤字続きだったから、おそらくは経営責任を問われてのことだろう(ちなみに、昨年の有価証券報告書には、丸善ジュンク堂の経常損失は1,094百万円とある。外資系でこんな数字出したら一発クビである)。僕が知る限り、ここ5年ほどのジュンク堂はまだ大型店の出店をまだ続けていたはずだけれど、このような状態ももう限界に来ているということだろう。大型書店の存在は、販売=Sell-thruの増加を担保するものではないからである。一方で、版元からすれば出荷額=Sell-inの額を一時的に増やすための箱が確保できるということで、おそらくはこのような大型店舗の出店戦略は好意的に受け止められてきたはずだ。このトレンドが本格的に終了するとすれば、既存の店舗の多くは遠くない将来に閉店となり、取次にも版元にも甚大な影響を与えるだろう。

 

いずれにせよ、紙の本のビジネスは、もうほとんどビジネスとしてはほとんど機能していないのではないかという気がする。個人的にはやはり紙の本が好きなので、残念なことではあるのだが…。

走れ師走よ

一応年内の業務もひととおり終了し冬休みになったのだが、ここ1ヶ月ほど、仕事も勉強も目の前のことを片付けるのがやっとで、視野が極度に狭くなっていたように思う。何であれ、全体像を欠いたままに走り続けるのは精神衛生上褒められたものではない。地図がないままに高速道路をずっと走っているような気分になる。というわけで、その地図の中に自分を位置づける作業を行うのが、この一週間の課題となる。

 

☆☆☆

 

冬休みに入ったことで少し時間ができたのか少し魔がさしてしまい、アカウントを作りっぱなしにしておいたFacebookで、8年前にフラれた女の人のページをこれでもかというくらい見まくってしまった。「何やってんだろ、俺」と思いつつ、深夜一人で過去5年分くらいのエントリと写真に一気に目を通す。僕がコメントできる立場かどうかはよくわからないのだが、彼女はやはり美しかった。もちろん、20代の特権の肌の輝きや、有無を言わせず人目を惹いてしまうような美しさはいくぶん失われてしまっていたけれども。そしてまだ結婚はしていないようだった。いずれにせよ、その画面が僕に伝えるのは、その8年という空白の長さと重さ、そして彼女の人生のポートフォリオの中に、僕という人間がすでに存在していないという事実、それだけだった。

 

そして、この行為の代償として、僕には当然のごとく鬱症状が訪れる。2、3日くらい、仕事も勉強もほぼまったく手につかなかった。もしこれがなかったら、ブログももう少し早く更新できていただろう。そう考えると、SNSを見るという行為は、少なくとも僕にとっては、自傷行為以外の何ものでもないのである。というわけで僕はFacebookのアカウントを消し、ブラームスを聴いて、自分に対しての手紙を数枚書くことで、なんとか気持ちを落ち着かせた。何度同じことをすればその愚かさに気づくことができるのだろう。

 

ちなみに、忘年会で酔っ払ってこの話をしたら、「お前本当にバカだな」と参加者全員にボロクソに言われた(そりゃそうだ)。上司は「ルビーの指輪」を、先輩格のマネージャは”Over”を歌ってくれた。

 

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なにかほかにもいろいろ書きたいことがあったのだが、失念してしまった。それだけ上記行為の代償が重かったということだろう。とりあえずは淡々と経済学の宿題を進め、年が明けたら『いきの構造』を読みたい…のだが、後者はちょっと厳しいかもしれない。とにかく師走よ、走ってくれ。僕にとっては、今年はいささか密度の濃すぎた年だった。ずっとエスプレッソみたいな日々が続いたのだ、最後の2日くらいはアメリカンでもいいじゃないかと思う。

クリスマス・イヴ

またしばらく間が空いたら、書くのがずいぶんおっくうになってしまった。ブログでさえそうなのだから、論文を10年書いていない大学教授なんていうのは、正直もう使い物にならないのではないかという気がする。まあ、僕の場合は書けなかったというよりは、とてもそんな時間がとれなかったというのが正直なところだけれど、理由がどうあれ、ブランクというものは然るべき代償を伴うということではないかと思う。

 

☆☆☆

 

ちょっとGoogle翻訳を久しぶりに触ってみて、クオリティが向上しているのにびっくりしてしまった。ひとつ前のブログのエントリで試してみよう。

 

原文: 「たぶん人生の中で僕はもっといろいろな罵詈雑言にさらされてきたのだろうが、人間の持つ忘却というすばらしい能力によって、それらの多くは少なくとも記憶の表面には残っていない。それでも、いくつかの言葉は決定的に記憶される。シニフィエもレフェランも失った、純粋なシニフィアンとして。そしてそのシニフィアンは、言葉の発せられた元のコンテクストを離れて、現実の個別の状況と結びつき、暴力的に次のシニフィエをつむぎ出していく。まるで切除した悪性腫瘍がほかの部位に転移していくように。記憶された言葉の暴力が根源的に切除されることなどありえないのである。もう傷は傷として記憶されるしかないのだ。そういえば三浦和良がフランスワールドカップ前に代表を外されたときも、同じようなことを言っていたような気がする

 

Googleによる機械翻訳Perhaps in my life I would have been exposed to more abusive phrases, but due to the amazing ability of human forgetfulness, many of them are not at least remembered on the surface of memory. Still, some words are decisively remembered. As a pure signifiant, both Sinifie and Referent lost. Then, the signifiant leaves the original context from which the word was issued, tied up with the individual circumstances of reality, and violently releases the next signifie. As if the resected malignant tumor metastasizes to other parts. It is impossible that the violence of the memorized word is radically excised. The wound can only be remembered as a wound. By the way, when Mr. Kazuyoshi Miura was delegated before the French World Cup, I feel like he was saying the same thing.

 

いかがだろうか。元の文を書いた僕としても、なかなかうまく翻訳できていると思う。最後の箇所(赤字部分)の、”I feel…”は明らかに適切ではないし(僕であれば、”I feel…”を削除して、後ろに”if I remember correctly”を入れる)、”the same thing”というのも微妙だが(同質性が完全に担保されているわけではないので、”similar”の方が適切と思われる)、無料翻訳としてはかなりのクオリティであると思う。もっともこれはなかなか笑えない話で、あと5年くらいして、AIで人間が行うものと遜色ない翻訳が可能だとすれば、その手の職業が早晩社会から必要とされなくなるのは確実である。まあこれは僕が行っているような財務系の仕事にとっても笑いごとではないのだが…。

 

☆☆☆

 

学校は3週間の冬休み。この間は家族と過ごす時間が少し多めにとれそうだ。とはいえ、例によって容赦なく宿題は課されており、やはり一日3時間程度の学習は続けなければならないと思われる。おそらく重いのは、会計と経済学のレポートで、資料収集と読み込みだけかなり時間がとられてしまいそうである。1月は会社での仕事が相当な修羅場を迎えそうな状況なので、なんとか冬休みの間に貯金を作っておきたいところである。

 

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今日は一応クリスマス・イヴということで、家で子どもたちとケーキを作った。あまり手間をかける気にもなれないので、買ってきたスポンジに、フルーツを乗せて、生クリームをベタベタと塗っただけではあるのだが、これはなかなか楽しい時間だった。おそらく我が家に女の子がいなかったら、こんなことは一生やらなかっただろう。クリスマスの時期については、手作りでケーキを作ったほうが、圧倒的にROIが高いこともわかったので、来年以降もこの方法で行こうかと思っている。有名店の名前を関しただけの冷凍モノを買うよりは、こっちのほうがずっと健全ではないかと思う。

 

そして、これから子どもたちの枕元にプレゼントを置くという今日最後の仕事が残っている。サンタクロースがやってくることを信じているのだ、とても純粋に。「幻想を紡ぐ」というのは、親という職業のjob descriptionの中でもそれなりに重要度が高い項目なのだろうな、と思う。おそらくそれが、彼女たちの素直さを育むために必要不可欠な条件のひとつだからだ。少なくとも親として、ささやかな幻想を子どもたちには届けてあげたいと思うし、おそらくは彼女たちはそれを真摯に必要としているのだと思う。

 

自分という人間が立派などとは口が裂けても言えないけれど、親として彼女たちの未来や成長を考えるとき、そこには何かしら汚れなきものが含まれているような気がする。そんなことを考える、2017年のクリスマス・イヴ。

罵詈雑言列伝

先週ほどではなかったにせよ、今週もハードな一週間だった。学校のペースは少し落ち着いたのだが、今度は仕事でトラブルが立て続けに起こり、さすがに帰宅後にPCに向かうのが難しかった。その中で、自分にとってはなかなか衝撃的な一言もあったので、今回はその点について主に記載する。

 

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人生で僕が直接受けた批判というか、要するに叱責の言葉で特に印象に残っているのは以下のものである。10代~30代までで一言ずつ挙げてみる。

 

10代…「お前はバカだ」

―高校時代の英語教師から。シンプルだがなかなか力強い一言である。今だったら「うるせえな、バカなんだからしょうがねえだろ」とでも言えるだろうが、当時はそんなこととても言えなかった。そういえば、高校のときに「バリゾーゴン」という映画が強烈な宣伝をしていたのを今でも覚えているのだけれど、あれは結局なんだったのだろう?

 

20代…「You are no meaning」

―当時の客先のマネージャから。これはなんといっても破格構文なのがいい味になっている。一応英語ということもあって、言われたときには精神的なショックはあまりなかった。

 

30代…「僕はもうあなたを信用しない」…New!

―会社のNo. 3(一応、直接のレポートライン)にあたる人から。これが今週のハイライトであった。こちらからしてもいろいろ言いたいことはあるのだが、とにかくこの一言が発せられたことの意味は重い――おそらく、発せられる言葉として適切なものではなかったと思う。たぶんこんなことを直接言われる従業員というのもあまりいないのではないか。

 

番外編…「ダメに決まってるじゃない」

―一応当時友人であった女性から。僕は彼女のことが女性として好きだったのだが、いろいろあって「ダメ」であった。この一言の肝はなんといっても「決まっている」というところで、これはアプリオリな可能性の否定を含意している。女性から、男性として受容されるという可能性を先験的に否定されるといのは、「今そうである自分がかつてそうであったもの」の否定に他ならないので、平たく翻訳すると「過去に戻って死んでくれ」という意味になる。幸か不幸か死にはしなかったが、僕は人生で初めて心療内科行きになった。

 

たぶん人生の中で僕はもっといろいろな罵詈雑言にさらされてきたのだろうが、人間の持つ忘却というすばらしい能力によって、それらの多くは少なくとも記憶の表面には残っていない。それでも、いくつかの言葉は決定的に記憶される。シニフィエもレフェランも失った、純粋なシニフィアンとして。そしてそのシニフィアンは、言葉の発せられた元のコンテクストを離れて、現実の個別の状況と結びつき、暴力的に次のシニフィエをつむぎ出していく。まるで切除した悪性腫瘍がほかの部位に転移していくように。記憶された言葉の暴力が根源的に切除されることなどありえないのである。もう傷は傷として記憶されるしかないのだ。そういえば三浦和良がフランスワールドカップ前に代表を外されたときも、同じようなことを言っていたような気がする。

 

ともあれ、個人的には言葉はそういうふうに使うべきではないし、少なくとも僕は、とりわけ組織の中ではそういうことはしたくないなあと強く思った。

 

☆☆☆

 

もう年末なのだが、今年は年の瀬までいろいろとバタバタとしそうである。仕事・家庭・学校の三本柱に加えて、法事、新しいプロジェクト、ちょっとしたメディアの取材、いくつかの送別会・忘年会と、29日くらいまでゆっくりできそうにない。そういえば、喪中はがきをまだ出していなかった…月曜にすぐ出さなければ。

学級委員

多忙である。あまり忙しいという言葉は好きではないので、なるべく使わないようにしているのだが、今週は本当に忙しかった。会社での業務量はこれまでとさほど変わらないのだが、学校からの課題が毎日容赦なく出されているので、毎日2~3時まで勉強という状態が続いている。だいたいの感覚としては、日本の文系の学部教育だったら、一週間でやってこいというような内容を、一日で、しかも毎日やれと言われているのに近い。しかもフルタイムの仕事と、英語というハンデを抱えて、である。プレリーディングの量なんかも、おいこれマジかよ、というような量が平気で与えられる。ネイティブ組からも「死にそう」というようなメッセージが毎日のように届くので、典型的ノン・ネイティブの僕にとっていかにハードかというのは、推して知るべしである。

 

しかしながら、こうやって欧米流の高等教育に初めて本格的に触れてみると、改めて日本と海外とでは大学教育の厳しさがまったく異なるのだなあと感じざるを得ない。学部のときなんかも、外国語を読みこなすのにそれなりに苦労した記憶はあるけれど、今現在のことを考えると、ずいぶんお気楽な話だったなあと思ってしまう。まあ自分で選んだ道だし、それなりに楽しいことは楽しいのだが、睡眠時間が思うように取れないのは困ったものである。

 

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上記に加えて、なんと今年度入学生(コホート)の学級委員になってしまった。とはいっても、別に僕が優秀なわけでもなんでもなくて、なんとなく「あいつ変でおもしれーから、とりあえずあいつにしとこうぜ」といったような感じで、なし崩し的に決まったものである。とはいいつつも、これだけの多国籍の人々が集まる中でリーダーシップを取るチャンスなどそうそうあるものではないので、それなりにきちんと務めたいなあとは思っている。一発芸のネタをたくさん用意する必要があるかもしれない。シンガポールで「みかんのうた」とか全力で歌ったらさすがに顰蹙を買うだろうが…ちょっと試してみたい。

 

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久しぶりの投稿なので、本当はもっといろいろ書きたいのだが、勉強ばかりしていてネタがないのか、これ以上文があまり浮かんでこない。そういう意味では、MBAというのは一種の「精神と時の部屋」みたいなものなのかもな、と思う。そういえばMBAを超聖水だと言った人もいたな…。とにかく冬休みまであと3週間なんとか乗り切って、年末年始は少しゆっくりと過ごしたいところである。

ブートキャンプ

文字どおり嵐のような一週間であった。備忘がてらに起こったことについて簡単に記載しておく。

 

  • 入学式では面接を担当してくれた女の人に初めて会う。あんまり美人でひるんでしまった。「きっと人生最高の一年になるから、がんばってね!」との由。泣きそうになった。
  • 一週間、文字どおりのブートキャンプ式で勉強。学校のミーティングルームで毎日午前1~2時までガリ勉。その後ホテルで日本の仕事。死にそうだったけれど、高揚していたからなのか、疲れはあまり感じなかった。
  • 終了日一日前の懇親会では初めてクラスみんなで酒を飲んではっちゃける。ラテン系の人々は午前零時を回ったらセックスの話しかしていなかった。男は世界中どこにいってもだいたいどうしようもない。
  • 最終日は最後のコマのあとで、クラス有志でレアル対アトレティコを観に行く。凄まじいボルテージで鼻血が出そうになったが、試合は0-0であまりぱっとしなかった。CR7もトーレスも出来はいまいちだったが、ジダンが観られたのはうれしかった。
  • 翌日帰りの便のフライトで、なんとスーツケースがロストに。手続きに手間取り、会社に遅刻する。この日はさすがに時差ボケと眠気で仕事にならなかったが、同日夜はなんとか気合でレポートを書ききって提出。寝たのは午前4時だった。
  • 翌日はお客様のところに謝罪訪問に行ってこきおろされる。100%こちらが悪いのでまあ仕方ない。
  • 今日スーツケースが届いた。航空会社から何の謝罪もないところを見ると、文化の違いというのは凄まじいなあと思った。

 

一週間でとにかく感じたのは、やはり英語がネックだということだ。僕以外のほとんどの人は「国語」としての英語で学習をしているのに対し、やはり僕は「外国語」としての英語で、なんとなく他人の靴を履いているような感じで勉強しているのである。そうなると、ケースの読みや議論の深さに差が出てしまうのもむべなるかなというところで、歯がゆさを感じることが多かった。もう単純に意味を取るという、いわゆる大学受験的な読み方ではなく、意味を取り、行間を読んで、適切なアウトプットをすばやく出すというレベルでないと、まったく価値がないのだなあと思った。というわけで、やはりそれには英語を擬似母国語というレベルまで高める必要があるということだろう。個人的な感覚値だと、だいたい英語になると僕は戦闘力が日本語の30%くらいになってしまうので、これを70%くらいまで高めるのがここ1年での目標となる。

 

ともあれ、ずっと夢見ていた、「国際的に知られているトップスクールで、英語で教育を受ける」ということができたのは――36歳にして――、僕としても感無量であった。ひとまずは納豆と海苔の生活のありがたさをかみしめつつ、疲れをとって2月のシンガポール遠征に備えようと思う。

 

なんかすごくポジティヴな記事だな。24歳くらいに戻ったみたいだ。まだまだやれるんじゃないかな、なんとなくそんな気がする。The best is yet to come、である。

マドリード

というわけでマドリードにやってきた。ヨーロッパに来るのは3年ぶり、スペインに来るのはなんと16年ぶりになる。気温は東京と同じくらいで過ごしやすく、天気はすこぶる良いのだが、やはり英語も仏語もあまり通じないのが少し難である。とはいえ、勉強する環境としては申し分ないところだろう。

 

今日は予定どおり一日フリーだったので、朝2km程度のランニングをした後に、持ち帰った仕事と明日の予習をして、ささやかに観光がてらの散歩をした。サラマンカからエル・レティーロ公園を通ってプラド美術館まで歩いたので、距離としてはちょっとしたものである。プラド美術館では20年来観たかった「ラス・メニーナス」をようやく観られて感無量だった。『言葉と物』をじゅうぶんに理解しているなどとはとても言えないけれど、かつて構造主義に魅せられた者の一人として、この絵を眼前に認めるのは、やはりなかなか感慨深いものがある。ただ、この美術館はルーブルと同じように古典作品が中心なので、いきおい宗教物が多く、一日で回ると胸焼けを起こすケースが多いのではないかと思う。

 

あと街を歩いて驚いたことのひとつに、アパルトマンの窓のところからスペイン国旗が吊り下げられていることが多いということがあった。おそらくカタルーニャ独立に対する反対運動の一環なのだろう。ナショナリズムというものには、中央集権的な暴力と気っても切れない関係にあるのだなと思わされる(ドイツは例外だろうが)。日本だと東京と沖縄の関係が典型的である。

 

その他、この街について感じたことは以下のとおり。

 

・喫煙率が高い。若い女性の喫煙率もかなり高いような気がする。タバコの宣伝に規制がかけられていないのだろうか?

・年配の人の比率が高い。この国も間違いなく高齢化の一途を辿っており、財政を圧迫しているのだろう。

・デパート・ブティックに人がぜんぜん入っていない。アパレル不況はもう世界的な潮流である。

・車の運転が荒い。イタリアも運転の荒い国だが、この国の人々も相当荒い。車線変更のタイミングなんかを見ていると、「マリカーかよ」とか突っ込みたくなってしまう。「運転したくない国」ランキングとか作ったらきっと上位に入るだろう。

 

だいたいそんなところである。

 

これからもう少し予習の続きをして、夜はフルタイム・プログラムに通っている友人と夕食をとる予定。21:00スタートというのがなんともスペインらしい。チック・コリアの同名曲を聴きながら夜を待つことにする。