シンガポール

チャンギで成田への飛行機を待っている。時刻は朝の5時で、とても眠い。ボーディングまで1時間強の時間があるので、この3日間のことを少し詳しく記載する。

 

☆☆☆

 

というわけで、久しぶりにシンガポールにやってくる。前に来たのは4年くらい前のことなので、それなりの懐かしさみたいなものがあってもよさそうなものだが、そういった感慨のようなものはほとんど感じない。日本から最も訪れやすい都市のひとつであるということが、旅行につきものの感傷のようなものを薄くしているのかもしれない。実際、少なくとも数日間の滞在であれば、シンガポールの生活と東京での生活は、正直ほとんど変わらない。というか、例えば、思いつきでランチに誘えるような友人の数なんかを比べたら、僕の場合はおそらくシンガポールのほうが多いのではないかという気がする。一般的な傾向として、日本はどうしても結婚というイベントを機に、個人間の距離が遠くなってしまう傾向があると思う。

 

ともあれ、クラスメイトたちとも無事再会し、プログラム・ディレクターにも挨拶する。「いやあ、大変ですけど、なんとかやってますよ」と言うと、彼女は僕にこう言う。

 

”This programme is very intense. It is how it was designed. This programme crushes you, and mold you.”

 

要するに、今までのあなたを一度粉々にして、作り直しますよということだろう。Moldってこういうふうに使うんだなあと思った。果たして新たに形作られる自分の姿はどんなものになるのだろうか。

 

☆☆☆

 

今回の目的である3日間の集中講義を受ける。受講した科目についてそれぞれ感想を記す(おお、なんかMBAブログみたいだ)。

 

Corporate finance

 

いわゆる投資判断の授業で、DCFとマルチプルの実践的な使用方法を勉強する授業。個人的にはずいぶん前に勉強した内容だし、実務でも使っているのであまり目新しさはなかったが、多くのクラスメイトは感銘を受けていたようだった。まあ確かに、このあたりの内容は「まさにMBA」と言えるものだと思うし、日常生活レベルでも非常に役に立つので、彼ら・彼女らの感想はもっともだなと思う。このブログを読んでいる人で、このあたりの議論に興味のある方がいれば、グロービズから出ている『MBAファイナンス』を一読することをお勧めする。通常のMBAで習う以上の内容をカバーしている名著だと思う。

 

Marketing

 

いわゆるマーケティングの授業で、今回はStarbucks・新興のピザチェーン・Doveと3つのケースについて議論した。議論のフレームワークは5Pだとか4Cなんかの古典的なものが多く、正直あまり目新しいところはなかった。財務なんかだと、結局は数字でのインプット・アウトプットになることが多いので、英語力の差が議論の質に影響するのは比較的少ないのだが、マーケティングのように感覚的な要素が入ってくると、どうしても英語力がモノを言ってしまうところがあって、若干の歯がゆさを覚えた。DoveのCM分析はなかなか面白かった。

 

Critical thinking

 

いわゆるロジカルシンキングの授業かと思ったのだが、どちらかといえばクライシス・マネジメントに近い内容であった。会社にとって損失になりうる事象が発生したときに、CEOとしてどう対応すればよいか、判断を早く行うにはどうすればよいかなどが論点であったが、おそらくは僕の英語力不足で、あいまいな理解に終わってしまった。例えば、ApologiesとSorryの違いなどは興味深く聞いていたのだが、いまいち理解できなかった。

 

だいたい講義はそのあたりで、あとはプロジェクト関係の打ち合わせとキャリアカウンセリングで今回は終わり。毎日の宿題は前よりも少なかったのだが、そのかわりに毎日夜中まで派手に飲んでいたので、前に劣らず疲労感は濃い。それにしても、36にもなって、「男女の友情は成立するか」なんてことを話していることを考えると、どこもmoldなんかされてねえよと、我ながら突っ込みを入れたくなってしまう。

 

というわけで、2月の遠征はこれで終わり。明日提出予定の宿題がひとつあるので、まずはなんとか今日中にそちらを終えてしまいたいところである。

暴落

明日にはシンガポールに発つ予定なのだが、なぜかこのタイミングで会社の基幹システムが止まってしまい、仕事にならないのでブログを書くことにする。

 

☆☆☆

 

ずっと来るといわれていた暴落がついに来てしまった。いろいろ読んでみると、FEB議長の交代やら、利上げやらが理由として挙げられているものの、根本的な原因を特定できていないという点では各誌共通している。今年はあまり株に時間をかけられないということで、ETF中心のポートフォリオを組んでいたこともあり、今のところ僕の資産への影響は限定的である。とはいえ、あくまでこれは「今のところ」の話であって、今後どうなるかは誰にもわからない。まあ、どちらかといえば今心配なのはジョブマーケットの冷え込みで、もしこの傾向が続いた場合、僕の次の仕事探しへの影響はおそらく避けられないことになる。これにより、消費税を上げる時期が変更されるのかどうかも当然注視しなければならない。

 

☆☆☆

 

先週末のWeb上での「あたしおかあさんだから」をめぐる議論は、子育て真っ最中の当事者として、非常に興味深いものであった。まあいろいろな意見があるだろうし、イラっとくる人の気持ちもわからなくはないのだが、僕としては歌ひとつのことをそこまで嫌うことができるエネルギーというか、偏向性のほうがよほど怖かった。これはまさに、昨年ムーニーのCMで炎上が起きたときに感じたこととまったく同じ感想である。インターネットの怖いところはまさにこういうところで、負の感情は多くの場合、熟成されないままに排出され、反響し、局地的なノイズを引き起こす。このノイズは短時間であれ、コンピュータの画面を埋め尽くすので、あたかもそれが世界の中心であるように錯覚してしまいかねない。そしてそれによって、現実に対する認知は多かれ少なかれ歪められてしまう(僕がSNSを好まないのは、この「認知の歪み」を嫌っているという点によるものが大きい)。

 

個人的には、このあたりの議論は、ちょうど18世紀のフランスで公衆・公論が生まれたころ状況と重なるものがあるように感じられる。その意味ではルソーの『対話』はもっと現代の状況に照らし合わせて読まれてもいいのではという気がする。

 

☆☆☆

 

冒頭に記載したとおり、明日から講義のためにシンガポールに行く。Whatsappを見る限り、クラスメイトの多くはもう当地について観光やら何やらを楽しんでいるようなのだが、こちらは深夜便で、到着二時間後から授業がはじまるという弾丸スケジュールで、なかなか悲哀を感じさせるものがある。まあ飛行機ではそこそこ寝られるだろうから、たぶん大丈夫だろう。やるしかないのだ。

 

そういえば、昔会計士試験を受けにグアムに行ったとき、離陸準備に入ったところで、機内の放送でマイラバの”Hello, Again”が流れてきて、運命的なものを感じたことがあった。「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてるわけじゃない」という一節は、翌日に試験を控えて不安を感じていた僕に、少なからず力を与えてくれたのではないかという気がする。2009年5月28日の話。

マイ・ファニー・バースデイ

たまたま昔の記事のデットストックが見つかったので、ここに転載することにする。これも、当時勤めていた会社の社内報に掲載していたもの。毎度のことながら、よくもこんな超個人的なことを社内誌に書いていたなあと思ってしまう。それはそうと、読み直すと、社会的責任が増えていく中での葛藤が随所に見られて、「ああ、この頃はしんどかったなあ」という思いを感じずにはいられないものがある。おそらく女の人だと、子どもを生んで、社会から隔絶した生活を一定期間送ると、同じような思いを抱くのではないだろうか。ともあれ、このときに感じていたキツさは、今という地点から見ると、大人になるための通過儀礼であったのだろうなという気がする。

 

☆☆☆

 

33歳になった。もう少し数字が小さかったころは、歳を重ねるたびにそれなりの感慨があったり、とりあえずの目標のようなものをでっち上げてみたものだが、自分でもツッコミを入れてしまいたくなってしまうほどに平日めいた誕生日だった。「おい、お前もうちょっとありがたがれよ」なんて言うもう一人の自分の声が聞こえそうなくらいだった。まあ確かに、僕という入れ物がいかにポンコツであるにせよ、ポンコツなりにまともな(たぶん)人生を送ることができていることを感謝するべきなのだろうとは思う。仕事はいささかハードであるにせよ、今のところ体はまだ動くし、食べること自体に困ることはあまりない。ほんの数時間飛行機に乗れば、前時代的な恐怖政治で抑圧されている人々がいたり、流行病によるバイオハザードなんかが起きていることを考えれば、昼過ぎに思いつきで風呂に入って『腹筋を割るための10か条』なんてものをふむふむと読んでいる余裕があるというのは、世界的に見ればずいぶんな僥倖と呼べるのかもしれない。

 

知らず知らずのうちに、そんな小市民的幸福に埋没していたからなのだろうか、実際にここ数年僕の趣味はずいぶん変わった。愛読紙は『現代思想』から『エコノミスト』になり、よりクラシックを聴く回数が増え、意識的に21時以降の食事と油ものを避けるようになった。髪の毛をピンク色に染めて反社会性をファッションにしていた男が、10年後、今度はネクタイをファッションにして、ディンプルの作り方に本気で頭を悩ませていることを考えると、さすがに人の世の移ろいやすさを思わずにはいられないものがある。まあいささかの問題はあるにせよ、僕は僕なりに社会的規範を自分に植え付け、抑圧を自分に課し、自分を商品化してグローバル資本制の時代を生きることを選んだのだ。フーコーやらマルクスやらの亡霊に祟られようが、税金と住宅ローンという名の債務が毎月発生する以上、社会的義務以上に「還元不可能な個人性」なんてものを優先するわけにはいかないのである。まあ、いくつかの義務を滞りなくこなして、波のない海のような毎日に自分自身を沈めてしまえば、大方の危機はなんとか乗り切れるだろう…年に一度しかない誕生日だというのに、僕はそんな打算的なことばかり考えていた。

 

☆☆☆

 

深夜0時、誕生日の終わり。僕は仕事の手を休め、無記名の人々が行きかう巨大なインターネットの掲示板をぼんやりと眺めていた。恩師の名を見つけ、そこで手を止める。新しい翻訳書の紹介だった。そのまま、21世紀の三種の神器Google先生に彼の名前を打ち込む。Google先生はとても優秀なので、僕のように打算をあれこれ考えることもなく、迷うことなくページのトップに彼のTwitterアカウントを表示する。これだろ、と言わんばかりに。僕は、大学教師がいい歳こいて二次元世界に自我晒してる場合かよと思いつつも、そのリンクをクリックする。

 

驚くべきことに、僕がそこで最初に発見したのは、彼の著書の情報ではなく、僕がかつて恋慕した女性の写真だった。キャプションを見ると、どうやら彼の主催したシンポジウムのときの写真のようだ。その顔には10年以上という時の流れが確かに刻まれていたが、紛れもなくそれは、僕がかつてそれを求めて飢え、渇き、時には眠れぬ夜を過ごしたその女の顔だった。息つく間もなく始まる動悸。諦めと妬み、そして10年越しの強烈な劣等感が僕の脳裏を執拗に攻撃する。あらゆる世俗的記号と制度がその意味を失い、自己の持つすべての欲望が生/性に収斂する瞬間――ああ、僕はこの名前のつけようのないパトスの中で自己という時間を闘ってきたのだ、と思った。そして僕は、結婚と労働という制度で自分を護ることで、いつしかそうした感情の波を避けて生きる術を覚えてしまった自分を思い、ふと泣きたいような気持ちになった。自分の感情に蓋をするようになってしまったのは、会社でも社会制度でも、ましてや東京という冷たい街のせいでもなく、自分、そして世界に対しての幻滅をあまりにも恐れるようになってしまった僕自身のせいではないのか、と。

 

リスクをとらねば、と僕は思った。それも、33歳の今だからこそ取れる、社会にあまねく価値が還元されるような行動に対してのリスクを。その中で僕はまたひどく幻滅をするだろうし、いくつもの目を覆いたくなるような光景に出くわすだろう。でもおそらくは、そうした中で生まれる強烈な何かへの希求なくしては、人生はそれが持つ本当の光を放つことができないのではないか。適切な方法でリスクを取り続けることでしか、失い続けるという理不尽さを、自分の中においてしかるべき仕方で消化することはできないのではないか――。真夜中というのに昼から――そして10数年前から――変わらぬ光を放ち続けるモニタの画面を見つめながら、僕は自問自答を続けた。答えは頭の中にも、巨大な情報網の中にもありそうになかった。そういえば今日は誕生日の夜だったなと思い、僕は自分の滑稽さを笑いながら、コンピュータの電源を落とした。

Analytics

気がついたら1月も終わりが近づいている。相変わらず僕は、仕事・家庭・勉強の3要素をヘロヘロになりながらjuggleし続けている。仕事は会計基準の変更で事業部とのコミュニケーションが著しく増え、学校には来週提出予定のレポートが2本あるなかで、明日は一人で子ども二人を一日見なければならない。どう考えてもリソースが逼迫している状態で余裕などあるはずもないのだが、そんな中でも寂しいという感情が浮かんでくるので、実際にはまだけっこう余力を残しているのかもしれない。とはいえ、睡眠時間はすでに相当程度削っている状態で、そのせいか今年の冬は活蔘28を飲むことが多い。多くの栄養ドリンクが結局カフェインによるドーピングであるのに対して、活蔘28は本当に仙豆的なところがあって、あれを飲んでそこそこ眠っておけば、翌朝にはだいたい疲れがとれてしまう。素晴らしい効能だとは思うが、依存しないように気をつけねばならない。

 

☆☆☆

 

MBAでは卒業プロジェクトの内容が決定し、僕はシンガポールの某ヘルスケア企業に10ヶ月間のコンサルティング(のようなもの)をすることになった。人生初のコンサルティング・プロジェクトが戦略というのも驚きで、正直大丈夫かよと思わないでもないのだが、なんとかチームにもお客様にも貢献できるようにがんばりたいところである。この経験があると、製薬・テクノロジーの業界経験+コンサルティング経験+戦略・ファイナンスのファンクション経験+マネジメント経験ということで、レジュメの強さがグッと上がるのではないかと思う。まああまり打算的なことばかり考えたくもないのだが…。

 

☆☆☆

 

以下はここ3ヶ月における、本ブログの閲覧履歴のサマリである。興味深いのは、①性別で、男性と女性がほぼ拮抗している点と、②25~34歳の閲覧者が最も多いという点だ。記事別では、本ブログのほぼ8割の閲覧者は「なぜ男性は海外旅行好きの女性を敬遠するのか」から流入しているので、結婚適齢期の男女が当該記事を見ているというケースが多いのではないかと思う。ちなみに、Googleで「独身女性 海外旅行」と検索すると、この記事が一ページ目に表示される。それ以外だと、「五反田あおい書店の閉店によせて」「どうしようもない悲しみを癒すにはどうすればよいか」あたりが比較的読まれているようだ。

 

f:id:fightpoverty:20180128020125p:plain

 

もう少し内容のある記事も書きたくはあるのだが、何しろ今は余裕がない。ブログを書くという行為は、日常でさほどプライオリティが高いものではないので、これはまあ仕方ないだろう。

 

☆☆☆

 

ストレスがたまっているからなのだろうか、なんだか久しぶりに思い切り泣きたい気分である。しかしながら、『国境の南、太陽の西』ではないけれど、馬齢を重ねてしまったせいか、どうやって、何のために泣いていいかももうよくわからない。まあまずは目の前のことを全力でこなしていこう。そうすればたぶん12月にシンガポールで気持ちよく泣けるんではないかと思う。

ズルい大人になれなくて

一週間が終わった。今週はもう少し仕事がハードだと思っていたのだが、嵐の前の静けさという感じで、そう大きな混乱はこれまで発生していない。肝はいわゆるASC 606の導入で、会計基準の変更としては10年に一度の規模といわれるほど大きなものなのだが、影響範囲が広すぎて、これから何が発生するのか今でもよくわからない。まあ淡々とやっていくしかないのだろう。それにしても、おそらく最も混乱するであろう2月の頭に、一時的ではあれ、業務を離れなければならないのは懸念である。まあなるようにしかならないのだろうが。

 

☆☆☆

 

上司からのレビューセッションで、お客様との交渉での不備を指摘され、「お前はもっと腹黒くならなければダメだ。じゃないと会社を守れない」と言われる。要するに、抜け目のなさが足りないという意味なのだろう。なんだか深く考えさせられてしまった。「悪いヤツほど出世する」というのはちょっと言いすぎとしても、バカ正直であることが推奨される環境ではないのだ、僕が生きている世界は。ゲゼルシャフトというのは、いわゆる人権だとか、平等だとかの19世紀的な「べき論」が通用するような世界ではないのである。

 

とはいったものの、たぶん僕は根がけっこう正直者なので、腹黒くなれるかというとあまり自信がない。この言葉は、おそらく「もっと戦略的になれ」と解釈すればいいのではないか…まあそう考えておくことにしよう。

 

それにしても、今後MBAが終わったら、「計算の苦手な会計士」に加えて、「交渉の苦手なMBA」が誕生してしまうことになる。まあそうならないように、できるところから努力を始めてみよう…どうすればいいのだ?プラトンの『対話篇』でも読めばいいのか?

 

☆☆☆

 

学校のクラスでFacebookのグループを作ることになったので、やむなくまたアカウントを作ることに。一応学級委員なので、これくらいは仕方ない。まあ英語でやりとりしている分には、言葉の直接性というか、内面化される程度は、日本語に比べてはるかに低いので、あまり毒にもならないのではないかと思う。

 

☆☆☆

 

インフルエンザの流行で、長女のクラスが2日間の学級閉鎖となる。東京の学校は毎年学級閉鎖になるのだろうか。仕方ないので、妻と僕とで一日ずつ休んで対応する(会議なんかは電話で出ているので、実質的には自宅勤務)。よくある話なのだろうが、この話を上司に相談したときも、明らかに否定的な反応の色が見えて、若干辛かった。こういうところの意識から変えていかないと、子育てなんか絶対にしやすくならないし、出生率も上がらないよなあと考えさせられる。

 

こういう環境にいると、もう少しマクロな話、例えば、子育て・子ども関係の政策なんかについても、否が応でも関心を持たざるを得なくなってしまう。まあ大人になったということなのだろう。あとは地域包括ケアか。20代の頃は自己の実存が自分の主要な問題系だったことを考えると、ずいぶん遠くまで来てしまったなという気がする。

さらば大崎図書館

例によって特にめくるめくような出来事もないのだが、ここ数日のことを記しておく。

 

☆☆☆

 

成人の日は例年どおり出勤であった。オフィスの外は雅な女の子がたくさん歩いているし、なんといっても祝日だったので、3時間くらいでささっと済ませて帰宅しようと思っていたのだが、大トラブル発生で、結局午前1時までオフィスに残ることになってしまった。午後7時にはエアコンも止まってしまったので、誰もいないオフィスで一人コートを着てひたすらPCと格闘、という散々な一日であった。帰りのタクシーで運転手の人にこの話をしたらちょっと同情してくれた。

 

ちなみに、だいたいこういう泥沼残業時は音楽をかけながら仕事をすることが多い。この日は90年代のポップス――ジュディマリとか、マイラバとか――を聴いていた。23:30の誰もいない祝日のオフィスで「白いカイト」なんかを聴いていると、いい感じに絶望できるので、メンタルに自信のある人はぜひ試してみてください。

 

☆☆☆

 

僕のお気に入りの場所のひとつである大崎図書館がいよいよ今年の3月で移転となるようである。前の職場からも、現在の自宅からも近いということで、本当にお世話になった場所であるだけに、やはり残念ではある。小さい子どもを連れていける数少ない場所ということもあり、ほぼ毎週末と言っていいほど通っていたような気がする。もしかしたら人生で一番行った回数の多い図書館かもしれない。区議会でもいろいろ議論があったようだし、例によって共産党系の議員の人たちは反対だったようだけれど、大崎エリアについては御殿山側方面の開発が急ピッチで進んでいるので、図書館をそちら方面に移設するというのはある程度妥当な判断だと思う。それにしても、書店はどんどん閉店になり、図書館も移設してしまうということで、紙の本にかかわる機会が急速に日常の生活から失われてしまっている気がする。残念ながら、ずらっと並んだ本に囲まれたときの幸福感は、Kindleには求めようもない。

 

☆☆☆

 

今週からまた学校が始まる。ここから半年くらいはほぼ休みなしで講義が続くので、それ以外に割ける時間は著しく減少するだろう。仕方のないことなのだが、そうなるとやはり、それ以外の自己啓発を行う時間はほぼなくなってしまう。言ってみれば「男磨き」の時間が宿命的に削られるということだ。例えばそれは、アリストテレスを読む時間であったり、中国語を勉強する時間であったり、会社設立の準備をする時間であったり、筋トレをする時間であったり、ホールトーンスケールの運指を練習する時間なんかのことである。おおまかな時間軸としては、MBAが終わってから、37~40歳くらいでこのあたりをまとめて一から鍛えなおしたいなあと思っている。たしかルービンシュタインにも隠遁生活をして一心不乱に技術を磨いた時期があったはずだ。次の学位が得られたら、僕にもそんな時間がくればいいなあと思う。中学校受験のサポートにどれくらいの労力がかかるのかというのは、まったくわかっていないのだが、まあそれは別の話である。時間、どっかに売ってないかなあ。

正月、孤独、ジュンク堂

明日の午後からは自宅勤務が始まるので、実質的に今日で冬休みは終わりである。というわけで、この6日間のことを簡単に振り返っておく。

 

ある程度予想はできていたものの、この期間ほとんど自分のしようと思っていたことはできなかった。学校の課題もまだ終わっておらず、まともな本は一冊も読めていない。これはある程度しかたのないことで、朝8時から夜22時くらいまでほぼ子どもの対応に追われていたことが主な原因である。実際、ここ数日僕が行ったのは、シッター業→深夜ランニング→深夜勉強というサイクルの繰り返しだけで、そこには季節感などというものはほとんど見受けられない。それでも、子どもたちは親が一緒に家にいてくれているというだけでうれしそうだった。共働きということで普段我慢させてしまっている部分も当然あるだろうから、こういうときは甘えさせてあげなければなあと思う。

 

ところで、このクリスマスから正月にかけて、5人ほどの旧友に、誕生日のメッセージやら年末の挨拶をメールで送ったのだけど、ここまでで返信があったのは1人のみだけである。ああ、人はこうやって離れていくのかなあと寂しい思いになった。まあ皆それぞれ忙しいのだろうが…。

 

☆☆☆

 

ここ半年分の『出版状況クロニクル』をまとめて読んで、ジュンク堂の工藤社長が退任していたことを知る。まあずっと赤字続きだったから、おそらくは経営責任を問われてのことだろう(ちなみに、昨年の有価証券報告書には、丸善ジュンク堂の経常損失は1,094百万円とある。外資系でこんな数字出したら一発クビである)。僕が知る限り、ここ5年ほどのジュンク堂はまだ大型店の出店をまだ続けていたはずだけれど、このような状態ももう限界に来ているということだろう。大型書店の存在は、販売=Sell-thruの増加を担保するものではないからである。一方で、版元からすれば出荷額=Sell-inの額を一時的に増やすための箱が確保できるということで、おそらくはこのような大型店舗の出店戦略は好意的に受け止められてきたはずだ。このトレンドが本格的に終了するとすれば、既存の店舗の多くは遠くない将来に閉店となり、取次にも版元にも甚大な影響を与えるだろう。

 

いずれにせよ、紙の本のビジネスは、もうほとんどビジネスとしてはほとんど機能していないのではないかという気がする。個人的にはやはり紙の本が好きなので、残念なことではあるのだが…。