Up to the eyeballs

次こそは2月にテレビ出演したときのことに関する考察めいたものを書こうと思っていたのだが、結局忙殺されてばかりで、なにかを熟慮するということがまったくできておらず、いきおい今回もそれを見送らざるを得ない状況である。ここ最近はほぼ非常宣言状態で、家事や子どものための時間も削らざるを得ず、妻への負担が大きい状態が続いてしまっているのが非常に心苦しい。このあたりの「人様に迷惑をかけたくない」という部分は、自分が日本人であることを非常に感じさせられる部分である。とりあえず、来週からシッターを週一度手配して、妻の負担を少しでも軽減する予定。

 

☆☆☆

 

大学院時代の友だち(女の子)に久しぶりに連絡したところ、返ってきたメールの文体がとても柔らかくなっていて驚いた。テクスト批評なんかをやっていた人で、そのせいかちょっとしたやりとりのメールなんかでも冷たさというか、薄い壁のようなものを感じさせるところがあったのだが、今回そういうものは一切感じられなかった。時代錯誤めいて聞こえるかもしれないけれど、やっぱり結婚・子育てという経験が精神的成長の上で果たす役割は、とりわけ女の人にとって大きいのだろうなあと思った。夏くらいに子連れ同士で会えたらいいね、との由。こういうのはなんだか素敵だ。

 

☆☆☆

 

MBAで行っているプロジェクトはいよいよ佳境に入ってきて、これからエグゼクティヴへのインタビューを順次行っていく予定。僕は各国のカントリーマネージャ5人に30分のインタビューを行う予定なのだが、その中には某日系大手企業の役員も含まれており、けっこう緊張している。こういうとき、英語だと一枚壁があってプレッシャーを感じることは少ないのだが、日本語だと良くも悪くもわかりすぎてしまう部分があるため、また違った難しさがある。まあいずれにせよ決められたことを淡々とこなすしかないのだが…。

 

☆☆☆

 

今週は水曜日からまたシンガポールで、プロジェクトの報告と3日間の授業。行きも帰りも深夜便なので若干体力が心配だが、今回は僕が好きなシンガポール航空なので、それを励みにがんばろうと思う。水曜日までにあと2本短いレポートを書かなければならないので、月曜火曜も落ち着きのない2日間になりそうである。

 

連休の闇

気がつけばもう連休も半ばである。とはいったものの、相変わらず僕は仕事・家族・勉強のサイクルをぐるぐると回しているだけであり、バタバタとしてはいるものの、必要以上に頭を使うこともなく日常を生きている。忙殺されているからなのか、さほど季節感を感じることもない。果たして僕は人間としての生をしかるべき方法で生きられているのだろうか。

 

☆☆☆

 

まだ結果を受け取ってはいないものの、先週の財務の試験はさんざんな出来であった。まあ周りに聞いても、よくできたという声はあまり聞かれなかったので、みんな同じようなものだったのかもしれない。数字関係の試験については、問題を見た瞬間に、だいたいの解法が頭に浮かんで、体が勝手に反応するような状態まで仕上げる必要があるのだが、今回は時間の関係からそこまで準備できなかったのが原因かもしれない。その財務の試験が終わった後、モスバーガー・レポートもなんとか提出したが、こちらもどう評価されるかはまったく不明である。でも、今モスバーガー関するトリビアクイズの試合なんかがあったら、僕はたぶん偏差値70くらいはとれると思う。

 

これで企業財務・マーケティングの授業が終わりで、ここから2ヶ月は戦略とオペレーションの授業になる。これまた「おお、MBAらしい」という感じの並びでわくわくするのだが、プレリーディングのケースが非常に長いので、すでにげんなりとしている。

 

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何を思ったのか、シェア3位の某マイナー検索エンジンで自分の名前を検索してみたところ、昔ひどく揉めた女の人の名前が関連キーワードとして挙がってきて、なんと言っていいかわからない気分になった。何が起こっているのだ?テクノロジーという名の底なし沼を恐れるべきなのだろうか?真相は闇である。

 

☆☆☆

 

明日は久しぶりに一日フリーなので、少し気分転換をする予定である。とはいっても、だいたいこういうときは、ジムで運動→散髪→思想書を読むという流れが確立されており、あまりそこには創造性のようなものは見受けられない。しばらく会っていない友達に手紙を書こうかなあなどと思うのだが、果たしてそこまで時間はとれるだろうか。

千葉・佐野波論争とモスバーガー

ここ2日ほど深夜はモスバーガーのことばかり書いているのだが、深夜のネタとして若干これはしんどいものがある。油を連想させるからである。近年SNSを中心に飯テロとかいう言葉が広く使われるようになった感があるが、僕は夜に腹が減るという気持ちがよくわからないので、どこがテロなのかはあまりピンとこない。深夜に油モノを見て、「こんなの食えるかよ」という気持ちならわかる――というのがこのオープニングの趣旨である。我ながら本当にどうでもいい話である。

 

☆☆☆

 

千葉雅也氏の著作をめぐるAmazon掲示板でのやりとりがなかなか過激になっている――というか、もう完全に泥仕合の様相を呈してきてしまっているので、そろそろお互い刀を納めたほうがよいのではないかと思う。ルソーとディドロしかり、太宰と志賀しかり、江藤と大岡しかり、人文学まわりの論争は、結局遺恨以外に何も残らないパターンがほとんどなので、こういう場外プロレスはギャラリーが多少喜ぶだけで、当人たちにとってはエネルギーの無駄遣い以外のなにものでもないと思う。実際、この一連のやりとりを見て僕が一番に思ったのは、「この人たち時間あるんだなあ」ということだった。

 

個人的な意見としては、佐野波氏の挑発的な書きかたにはあまり賛同できないし、フランス思想=脱主体というような画一的な整理のしかたはお世辞にも丁寧とはいえないと思うけれど、いくつか同意できる点があるのは事実だ。具体的には、「切断」の礼賛と「接続」の奨励なんかが挙げられる。それに、思想村の閉塞っぷりと丸投げっぷりは僕もよく知っているので、このあたりを攻撃したくなる気持ちはわからなくもない。

 

とはいえ、流れを見れば、今回はやはり千葉氏が当たり屋にぶつかってしまったという印象で、いささかの同情を禁じえないものがある。まあもう彼も業界では名が通った人なのだから、もう少しおおらかに構えていてもいいような気もするけれど。まあ僕は部外者だから好き勝手なことが言えるのだろう。

 

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というわけでモスバーガーに戻る。深夜にモスチキンのスクリーンショットをとったりしているのは若干辛い。

生存確認

2週間ほどまったくといっていいほど時間がとれず、とてもブログを書くような余裕などなかったのだが、1st termの授業がすべて終了し、ようやく少しばかりの時間ができた。来週テストがひとつ、レポートがひとつそれぞれ残っているが、まあなんとかここまでこれたことは僥倖である。いつものことながら、ブログについてはほとんどの場合、その場で思いついたことを熟慮せずに書くというスタイルをとっているので、内容もcrappyなことが多いし、いきおい今回もそうなると思うのだが、一応の生存シグナルとして、今日も思いついたことを適当に書こうと思う。よくここに来てくれる方々には申し訳ないのだが、残念ながら今の僕には、何かについて深く考えるという余力はほぼ欠如している。

 

☆☆☆

 

来週のファイナンスのテストに備えて、水曜日は一日休みを取ったのだが、結局エロビデオを見たり、シャコンヌの聴き比べをしたりしていたらあっという間に一日が終わってしまった。中学生だった頃とまったく行動パターンが変わっていないことに我ながら驚いてしまう。

 

☆☆☆

 

会社の先輩の自宅にて、パーティーのようなものに参加する。4月にもかかわらず、「おでんでワインを飲む」というナゾの企画であった。まあそれなりに楽しかったのだが、平均年齢30代後半ともなると、人生の落ち着きどころをどこか定めてしまっているような人が多く、その点は若干の寂しさを覚えてしまう。まあ彼ら・彼女からすれば、既婚・子持ちの30代後半で、週25時間命を削って勉強しています、みたいなほうがよっぽど奇特に映るのだろうが…。落ち着いた男性の魅力というのは僕もよくわかるのだけれど、自分はあまりそういう方向に行く気がしないというか、おそらく無理ではないかと思う。キルケゴールは絶望を死に至る病と呼んだが、彼にとっての絶望は、僕にとっての中二病ということになるのかもしれない。まあキルケゴールも非常に中二病的な気質を持っていたのだろうとは思うけれど。思えば、キルケゴールブラームスは結構性格的に似通っていたのではないかという気がする。

 

☆☆☆

 

年末に取材に来てくれた制作会社のお姉さん(タメ)と家族同士でカラオケに行く。場所は新宿の「パセラ」という店。畳、部屋におもちゃ、清潔と、従来のカラオケのイメージとはまったく異なる洗練された空間にいささか驚いてしまった(いい意味でラブホみたいであった)。僕は妻から「たのむから『みかんのうた』はやめて」と言われていたので、人畜無害なポップスを適当に歌い、名物の一斤パンをもぐもぐと食べてぼーっとしていた。制作会社のお姉さんが同年代かつなかなか可愛らしい人なので、「白いカイト歌ってくれない?」と言いたかったのだが、結局自重した。家族同士のつきあいでどこまで素の自分を見せるかというのは、なかなか難しいところである。

 

☆☆☆

 

来週締め切りのマーケティングのレポートで、僕はモスバーガーを扱うことにした。国際化を進めているとは言っても、まあ日本中心のチェーンなので、レポートの題材として許されるか不安ではあったのだが、先生に相談したところOKとの返事であった。モスバーガー昨今の不振の原因と、その打開案の提案について書く予定。まあ前者はけっこう明白で、ユーザからすると、明らかに高すぎるうえにあまり満腹感もないという点と、競合他社もプレミアム・健康志向を打ち出している中で、ブランドとしてのポジショニングが見えにくくなっているという点が問題なのではないかと思う。調べていけばもう少しいろいろな点が見えていく可能性はあるが、とりあえずはこのあたりを中心に書く予定。しかしながら、僕(マーケティング素人)が考える日本の会社のマーケティング・プランを、エジプト人の教授が採点するというのはちょっとしたカオスを感じる。

 

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上記のレポートとテストが片付いたらまた少し時間ができるので、来週はもう少しマトモなことが書けるのではないかと思う。

病み上がりで折り返し

ずいぶんと更新するのが遅くなってしまった。先週小旅行に行っていたというのもあるのだけれど、それ以上に体調が思わしくなかったのが主な理由である。例年春先には体調を崩しがちなのだが、例に漏れず今年もそうなってしまった。原因はおそらく子どもからもらった溶連菌で、3日ほど体調が思わしくない日が続いたので、仕方なく耳鼻科で薬を処方してもらった。今回は家族4人がほぼ同時に罹患してしまったので、家庭内のオペレーションの質は一時的に著しく低下し、リビングは空き巣に入られた後のような状態が数日間続くという有様だったのだが、体調の回復にあわせてなんとか部屋の状態も持ち直してきた。

 

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MBAもそろそろ折り返し地点ということで、そろそろリクルーティングの準備を始めなければならない。身も蓋もない言い方だが、経営学修士はお勉強とはいっても、その実はほぼ100%の投資なので、それに応じたキャッシュフローの増加をなるべく早く実現する必要がある。そして、たいていの場合、そのためには転職という道を選ぶのが近道である。手元でそろばんを弾いたところ、3年以内に投資額を回収するには、少なくとも年収ベースで300万円の増加がなくてはならないが、同じ会社に在籍していて、短期的にそれだけ給与を上げてもらうというのは考えにくいからである(もっとも、この計算は税引き前の年収ベースなので、手取りを考えるともっと上昇幅が大きくなければならない)。そう思うと、MBA後のキャリアが以外と少ないというのは頷けるところで、要するに投資額に見合った給与を出せる会社が世の中にそもそも少ないのである。6月いっぱいくらいまではあまり余裕がなさそうだけれど、7月から集中して面接を受けたいなあというところ。その時期にスーツを着るのはかなりおっくうだが、まあ仕方ないだろう。

 

また上記に加えて、次の主戦場が決まったところで、今度は自分のビジネスを立ち上げるための準備も始めなければならない。こちらはそう急ぎではないけれど、自分の人生をトータルで考えたときに、必ず必要となるピースである。

 

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2月のテレビやら、「半端ない」という言葉への嫌悪感やら、いろいろ書きたいことはあるのだけれど、いかんせん余裕がない。なにしろ仕事・家庭・勉強に加えて、就職活動に取りかかろうとしている段階なので、まあこれは仕方ないだろう。ポジティブな側面としては、欲求の種類がとても単純なものになってきているということである。例えば「爪を切りたい」とか、「靴を磨きたい」だとかそんなレベルのものばかりで、とても存在の不条理に悩む余裕などない。まあとりあえず6月いっぱいはこのまま走り、7月からはtransitionを始めるというストーリーになりそうである。今年はゴーヤを育てる時間を確保できるだろうか。

 

☆☆☆

 

どうでもいい話なのだが、なぜシャルロット・コルデーはマラーの浴室まで入ることができたのだろう。現代の感覚だと、「ごめん、ちょっと待ってもらって」か、「つまみ出せ」なってしまうのが普通だと思うのだが。 この間お風呂につかりながら、「いやあ、ここじゃ逃げ場もないなあ」と一人考え込んでしまった。

弥生は走る

前のポストの日付は3/11なので、そんなに前でもないのだが、先週書けなかったこともあて、キーボードを叩くのがずいぶん久しぶりであるような気がする。レポート提出の締めきりが複数あった上、仕事でも短期プロジェクトでバタバタとしていたので、ここ2週間は自然と英語でのアウトプットばかりになっていた。もちろん日本語は毎日書いているのだが、それらの多くはメールであり、またその大部分は定型化された文章である。母国語でのspontaneousなアウトプットができる場所というのは、家族・友人との会話を除くと、今の僕にはこのブログくらいしか残されていないので、ここに定期的に戻ってくるというのは、単なる定点観測にとどまらない意味を持っているのではないかと思う。まあそんなに大げさなものでもないのだが。

 

☆☆☆

 

マーケティングの講義が佳境に入っているのだけれど、結局なにをどう理解すればいいのかさっぱりわからない。確かに基礎的なフレームワークビジネスパーソンとしての教養とも呼べるものだろうし、購買という現象や傾向を説明するのに、切り口としてある程度は有効だろう。しかしながら、とりわけ日本という市場の特殊性を考えると、古典的なマーケティング理論というのはほとんどまともに機能しないのではないかと思う。何しろこの国は、年収2,000万だろうとサイゼリアの豆サラダを喜んで食べている人もいるし(僕もけっこう好きだ)、逆にフリーターだろうがルイ・ヴィトンを喜んで着ている人もいるなんていうモザイク消費社会である。だからこそP&Gは将来の幹部候補に日本を担当させるなんて話を聞いたことがあるけれど、いずれにせよ単純なセグメンテーションが通用するほど、現代社会におけるマーケティングは甘くないよなあと思う。今のところ、僕にとってのこの講義の最大の収穫は、僕はマーケティングという職種には向いていないということがわかったという一点である。

 

☆☆☆

 

木曜日から金曜日にかけて株がまたガクッと下がって、一日で15万円くらいの含み損が出てしまった。一方で、来週には多額の学費の支払いがあるので、ここ数週間の円高傾向は少しばかりの恵みではある。まあ昨年末くらいまでの株価はどう見ても世界的に高すぎた嫌いがあるので、適正な水準に戻ってきたと解釈するのが妥当なのではないかと思う。しかしながら、日本国内だけを見ても、ちょっと政治の潮目が変わってきた感じがするのは気がかりである。僕は別に自民党が好きというわけでもなんでもないのだけれど、政治が荒れると、少なくとも経済的にはあまりいい影響はないので、このあたりは一投資家として留意が必要な部分である。しかしながらたった8億円のことでなんでこんなに揉めているのか、僕にはよくわからない。そんな無駄なことは正直どうでもいいので、頼むから100兆円を少しでも有効に振り分けるために知恵を振り絞ってほしい。

 

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来週は講義がないので、少しマトモな記事を書こうと思っている。ちょっとした旅行にも出かける予定である。寒さのピークは過ぎてしまったけれど、久しぶりに温泉に入ることができるのが楽しみだ。

それぞれのローマたち

ずいぶんと暖かくなってきたのはいいのだが、だんだん花粉飛散量が上がってきており、また不安定な天気も続いているので、春を迎える喜びのようなものはあまり感じられない。それでもだんだん気温が上がってくると、やはり頭の中にはGLAYの”Soul Love”が流れてくるから不思議なものだ。ど真ん中のメジャー・ダイアトニックの曲なので、恥ずかしくてとても人前で歌う気などにはなれないのだが、なぜか啓蟄を過ぎるころになると、毎年頭の中にはこの曲が流れることになる。ちなみに連想するものはルーズソックス。90年代の亡霊に取り付かれているのだろう。

 

☆☆☆

 

経済学の成績について、クラスの何人かから「項目ごとのスコアを開示してくれるよう、先生に言ってくれないか」とリクエストがあったので、僕から依頼を出したところ、なんとクラス全員分の細かい成績表が僕に送られてきて、「君から送っておいてくれるかな」とのこと。ムチャクチャである。「ちょっと僕からは…」と返すと、なんとクラス全員に対して、全員分の成績を開示してしまった。さらにムチャクチャである。経歴を見る限り、この先生は国家戦略のアドバイザリなんかを担当してきた相当なエリートのようなのだが、授業の質も生徒への気配りも、おいマジかよと言いたくなるようなレベルである。人間的に嫌いな人というわけではないのだが、700万円の学費となけなしの時間を投資しているだけに、こういうことがあると本当においおいと言いたくなってしまう。ちなみにその後で、プログラム・ディレクターからは僕に対して正式な謝罪の連絡があった。

 

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先週から、Grammerlyを使い出したのだが、これがかなり素晴らしい。時制や冠詞をかなりの精度でチェックしてくれる上に、類義語の提案もしてくれるので、パラフレーズをしなければならない際にはかなり助かる。例えば、「大成功」という意味のいい表現がないかを探していたら、”colossal success”という言い方を提案してくれたのが、これは僕一人ではちょっと思いつかない表現である。1年で15,000円くらいなので、業務で英語を多様する人であれば、かなり費用対効果の高い投資ではないかと思う。

 

ただし、ここまでで気づいた限り、このアプリケーションには弱点が少なくともふたつある。①あくまで文法のチェックが主眼であり、コロケーションの自然さは判定項目に入っていない、②Dangling modifierが文法上のチェック対象に入っていない、の2点である。したがって、①については別途Googleで調べて対応、②については自分で気をつけるしかないということになる。まあ②に関しては、結構ネイティヴの書く文にも見られるので(Based my observation, I think..とか)、許容範囲だとしているのかもしれない。日本語での「全然」の肯定用法みたいなものだろうか。

 

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20年来、Bon Joviの”These Days”のブリッジ部分に前のところの歌詞、”I know Rome’s still burning”という部分の意味がわからなかったのだが、ようやく納得のできる説明に出会うことができた。以下のサイト。

 

http://a-puri-a-puri.hatenablog.com/entry/2016/12/10/100300

 

曰く、「fiddle while Roma is burning: 大切なものが破壊されそうになっているのをよそ目に、何も手を打たない」という成語のもじりとのこと。つまりここでは、自分にとって重要な何かが失われていっているということを言いたかったわけで、これなら曲のテーマにも合致する。僕が昔読んだCD付属の歌詞カードには、「今も燃え盛るロメオの心」なんていうムチャクチャな和訳が添えられており、中学生ながらに「なんじゃこりゃ」と思ったものだ。

 

30代も半ばになった今だからこそよくわかる。この「ローマ」は、紛れもなく、歌の主人公にとっての自分自身であり、自分の実存であり、魂であったのだと。青年と呼ばれる時期を過ぎ、自分が夢見ていたもの、信じていたものが現実の前で力をなくしていく中で、自分の中の葛藤と必死に戦っている、そんな男のことを歌っていたのだ。Bon Joviはその立ち位置と、決してインテリジェントとは言えない音楽性のために嘲笑の対象となることも多いけれど、こういうところを抑えているあたり、やはり時の試練を耐えた一流のバンドであったのだなと思う。

 

さて、果たして僕にとっての「ローマ」は何なのだろう?それを自分の中に再発見するのが、僕にとっての差し当たっての課題である。