アメリカへ

­­­久しぶりに成田空港に来たら、施設の老朽化がずいぶんと目についた。ここ最近は羽田しか使っていなかったので、必然的にそちらが基準になってしまうのは、むべなるかなというところである。古くなってきたのは無理もない、中森明菜が「北ウイング」を歌っていたころからもう30年以上も経っているのだ。そんなことをぼーっと考えつつ、久しぶりにアメリカへ向かう。新しい会社に入って、初めての出張である。かの地に最後に行ったのはもう4~5年も前なので、それなりに久しぶりということになるのだが、アメリカ文化のものはそこらじゅうにあふれているし、英語は毎日イヤというほど触れているので、特別な感傷を感じるということもない。悲しいかな、「海外に行く」という行為そのものに意味があったような年代を僕はとうに過ぎてしまったのだ。事実、この一週間にについて、高揚感のようなものはほぼない。家を不在にすることの懸念のほうがずっと大きいのである。一人で小さい子二人の世話をしながら、仕事と家事をこなさなければならないことの大変さを、僕自身が身をもって知っているからだろう。しかしながら、こう思ってしまうのは、家庭人としてはあるべき姿なのかもしれないが、男性として魅力的かというと、これはなんとも言えないものがあるな…というのが正直なところである。

 

ともあれ、久しぶりにこの一週間は本当に久しぶりに思う存分仕事ができる。子どもの寝る時間に気を配る必要もないし、会議の数も通常の週よりずっと少ない。ここ最近できていなかった、「ゆっくりものを考える」チャンスも、1日くらいはありそうである。おそらくこの1週間は、今回に加えて、1~2本くらいは新しい記事をアップできるのではないかと思う。つかの間の自由、と呼んでもいいかもしれない。

借りる猫の手募集中

また泣きそうになるほど時間がない。昨年の暮れの頃は、学校が終われば、毎日ゆっくり読書する時間くらいとれるだろうと期待していたのだが、結局毎日25~26時まで働いており、ワークライフバランスは一時的に悪化している。おそらく3月の半ばを過ぎれば一旦落ち着くとは思うのだが、その手の期待は多くの場合裏切られるので、そんなに期待はしていない。前職と比べると、時間が3~4倍のペースで流れているような気がする。いわゆる大企業で1、2か月に一度ある重要なレビューが毎週(ときには毎日)あるような状態である。まあやるしかないのだ。

 

来週は一週間海外で、まあそんなに拘束もきつくないと思うので、たぶん記事の1~2本は書けると思う。ホテルで一人になれる時間があるのが、出張で一番うれしいことだというのは、我ながらあまり健全ではないのではないかという気がする。

逃げとしての副詞

ここに書こうという気があまり起こらなかったのは、忙殺されていたというよりも、仕事で文を書き続けなければならなかったためかもしれない。僕が勤めている会社には、「フォーマルな報告書は原則ワードで書く」というルールがあって、フォントサイズ9で4~6枚の文書を書かなければならない。僕は今月それを日本語で2回、英語で1回書いた。これは考えを整理する上では非常によいエクササイズなのだが、極端に労力を要するというのも事実である。

 

なかなか面白かったのは、これらの文書に対するフィードバックで、とある人からは「君の文は副詞が多くて意味がストレートに伝わってこない」というコメントがあった。なるほど、副詞というのは、留保というか、条件付けというか、要するに逃げ場を作っているのだなと思った。ビジネスの場では「けっこう好き」とか、「友達として好き」というような、あいまいな修飾語は意味をほやけさせるので、あまり使うべきではない、というのが背景にあるようだ。なるほどな、と思った。大学院時代にフロイトの「否定」を呼んだときも似たようなことを思ったが、文章の書き方ひとつで、無意識のうちに逃げ場を作っている自分が出てしまうということについて、なかなか深く考えさせられた。

 

それにしても、社会人になって、それも資本主義の王道ど真ん中のような会社にあって、自分の文体について考えさせられるとは思わなかった。

 

☆☆☆

 

1月のラッシュが終わって、2月は少しゆっくりとした月になりそうである。とはいったものの、1年以上も慌しい日々を送っていたので、早めに仕事が片付くと、なんとなくどうしていいかわからないような気になってしまう。まずはしっかりと疲れを抜きつつ、何冊か本を読むところから始めたい。昔なら見向きもしなかったような、通俗的なんビジネス書が読みたい気分である。人間いろいろ変わるものだな、と思う。

 

☆☆☆

 

今年は自分のキャリアの中でも、ずいぶん海外出張の多い年になりそうである。上半期だけでもアメリカに2~3度行くことになりそうだ。とはいっても、別に飛行機が好きなわけでもないし、海外オフィスに行っても仕事をするだけなので、別に心躍るというわけではない。むしろ、家族マネジメントの点からすると課題が増える面のほうが多いので、なかなか困りものである。最近ちょこちょこと『あさきゆめみし』を読んでいるので、海外よりもむしろ西に足を伸ばしたい気分なのだが、今のところ行動を起こすだけのcompelling reasonは見当たらない。まあどうでもいい話なのだが。

時間切れ

この週末は時間をとってゆっくり記事を書いてみようと思ったのだが、結局来週の仕事の予習と子どものケアでほぼ二日間とも終わってしまい、あまり生産的な時間を過ごすことができなかった。来週いっぱいがんばれば、なんとか年初のラッシュは終わりそうなので、2月は多少ゆっくりと過ごすことができそうである。

あくまで自分のためだが、備忘がてらいくつかメモを残しておく。

 

・スキー予約

・キャンプ予約

・英語の学校予約

体脂肪率 <10%(すでに目標達成してしまっていた)

・話し方の本読む

・部屋のレイアウト

・ピレネックスどこに行っても売ってねえ

・もっと本読め、このタコ

流されゆく日々

相変わらず仕事が重い。初めて行う業務が多いことに加えて、立場上社長以下のお歴々にいろいろと提案をしなければならない立場なので、気を遣うことも多い。いま取り組んでいるのは、社内で使用するKPIをすべて見直すという業務で、これらに検討を加えて最終化するというのが、2月半ばまでの最も重要なマイルストーンとなる。まあストレスフルなのは重要性の裏返しなので、充実感とのトレードオフという意味では仕方ないのかもしれない。。

 

こうした仕事を楽しんでいるかといえば、まあ楽しんではいるのだが、一方で「ああ、ここもやはり会社なのだな」と感じさせられることが増えているというのも事実だ。就業環境は素晴らしいし、いわゆる優秀な人たちに囲まれているとも思うので、おこがましいとは思うのだけど、それがまあ率直な感覚である。そんなわけで、目の前の仕事はがんばりつつも、40歳以降はもっと自由で、社会的意義が感じられる仕事がしたいなあと改めて思い始めている。考えてみればこれは昨年の今頃に考えていたこととまったく同じだな。

 

☆☆☆

 

MBA後の私生活はおおむね順調だと言っていい。やや仕事が重い時期なので、納得できるだけの改善はできていないものの、自宅の改装・体のメンテナンスは順調に進捗している。暖かくなるころからは、英語の学校にも通い始めたい。こちらは、プロの通訳と同程度の水準を目指すための投資である。正直このレベルになると、独学ではなかなか厳しいものがあるし、同志を見つけたいという思いもある。こちらにも、わかりやすいKPIが設定できればいいのだが、検定試験で点を取る能力と、実務での英語能力というのは相当程度ベクトルが異なるので、なかなか目標が設定しにくい。

 

なお、その他も年内の個人KPIとして、15項目を設定し、これらを月次で確認していくという運用をすることにした。こうなると、どこまでが仕事で、どこまでがプライベートなのかがどんどんわからなくなっていく。おそらく僕は、そういう一元性みたいなものが好きなのだろう。「ここを見ればだいたいのことはわかる」というようなものが。

 

☆☆☆

 

上記のとおり、生活の質は明らかに向上しているのだが、やはり根底にはなにかへの「ぼんやりとした不安」がある。将来に対するものだろうか、あるいは年齢を重ねることへの焦りなのだろうか。ミッドライフクライシスというのは、こういうところから発生するのかもしれない。「何をどこまで信じればいい」のか、僕はその問いに対する答えをまだ持っていない。というわけで、まずは目の前の課題をひとつひとつこなす。「それは思考停止だぜ」という、もう一人の自分の声を抑えながら。

欲望のかなたに

仕事が本格的に始まってまだ2日だというのに、もうかなり疲れている。年初のプランニングについての重い仕事がこの1月上旬~中旬にかけて集中しているためである。僕の勤めている会社は、とにかく文書化が命という絶対的なカルチャーがあるため、学位論文に追われている学生のようにワードをパタパタと叩いている日々である。

 

☆☆☆

 

ほとんど買い物ができなかった昨年の反動からか、昨年末から家具や洋服に集中的に投資を行っている。とはいっても、だいたい欲しいものをすべて買っても、中古のマーチと同じくらいの値段だから、まあ大したものではない。それに関連して、今回自分が買いたいと思うものをすべてリスト化して予算立てもしたのだが(一種の職業病かもしれない)、自分の洋服関係でほしいものはすべて足しても10万円をすこし上回る程度だった。あと、時計・靴・バックでそこそこのものを買っても、まあ50万円あればお釣りがきてしまう。まあ我ながら小市民的だなと思う。おそらくあまり所有するという行為自体にも興味がないのだろう(だからクラウドビジネスに関わっているのかもしれない)。

 

上記に加え、昨年一年間分のちょっとした感謝を込めて、妻にはスイートテン・ダイヤモンドをプレゼントした。ママチャリで田んぼを走り回っていたような人間も、横浜元町でダイヤを買うようになるのだなあと思うと、なかなか感慨深いものがあった。

 

☆☆☆

 

読んだ本。

 

柴山和久『元財務官僚が5つの失敗をしてたどり着いた これからの投資の思考法』

 

冗長なタイトルは、もう少しなんとかならなかったのだろうか。

 

それはそれとして、著者――というか、著者の経営する会社――のことは前々から気になっていた。日本のFintechの中でも、啓蒙的で、真っ当なサービスを提供しようとしている会社のように思えたからだ。とはいえ、その真っ当さゆえに、投資(特にアクティヴ投資を)をすでに行っている人にとっては、やや本書は退屈かもしれない。その真っ当さが、資本主義の持つ奪い合いという側面を捨象してしまっているように思われる。もちろん、そうした側面を強調するのは、本書のテーマにはそぐわないのだろうが。

 

個人的に、この本の好きなところは最後の章である。著者の金融にかけるパーソナルな思いが、ストレートに伝わってくるからだ。残貯金8万円のエピソードの部分などは、それなりにお金のない時間を過ごした者として、なかなか身につまされるものがある。著者の経歴の派手さ(東大法→財務省→HLS→INSEAD→McKinseyというエリートのロイヤルストレートフラッシュのようなキャリア)と、苦労話とのギャップというのが、本書のひとつの魅力といえるかもしれない。まあこういう経歴の人だと、書かれていない苦労もいろいろしているのだろうが…。

 

☆☆☆

 

ベートーヴェンピアノソナタ、31番を繰り返し聴いている。たぶんこれが今の気分なのだろう。20歳そこそこの頃には理解できなかった曲のひとつだ。37歳の今、その響きに少なからず救われている自分のことを思うと、曲りなりにも大人になったのだなという気がする。救済——。僕はまだなにかに救われることを欲しているのだろうか。

2019

冬休みは少しゆっくり過ごすことができるかと思ったのけれど、結局日常に流されているばかりで、明日の初出社を迎えようとしている。ブログに書きたいことはいろいろあったものの、休息をとることと生活のリズムを変えることを優先していたために、ここまで全く書かないままになってしまった。というわけで、申し訳程度ではあるのだが、今考えていることを簡単に記しておこうと思う。

 

☆☆☆

 

あまり潤沢に時間がとれたわけではなかったけれど、次女が少しずつ制御できるようになってきたため、読書の時間は昨年の冬休みよりもかなり多くとることができた。以下に読んだ本を記しておく。例によって、出版社名・発行年は省略する。

 

・バーバラ・ミント『考える技術・書く技術』

・齋藤嘉則『新版 問題解決プロフェッショナル―思考と技術』

・齋藤嘉則『問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」』

吉岡友治『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術: 世界で通用する20の普遍的メソッド』

カズオ・イシグロ日の名残り

 

上記に加え、深海誠『言の葉の庭』を観た。

 

このリストを見てまず思うのは、仕事に関連した書籍が多いということである(上から4つはすべて仕事に絡んだもの)。実は上から3つはすべて過去に読んだものなのだが、問題解決や論理的の基本書であり、現在の仕事でそれらが重要であることから、再読することにした。曲がりなりにも10年以上のビジネス経験を経てきたからだろう、やはり新卒で読んだときとはずいぶん印象が変わった。

 

日の名残り』は、10年以上前から読みたいと思っていたのが、忙しさにかまけてずっと手にとることができていなかったものである。まずは何よりも、和訳の素晴らしさに感銘を受けた。外国文学にありがちなぎこちなさがほとんど残っていない訳文は、土屋氏の確かな力量を感じさせる。物語そのものも、歴史、社会、色恋、職業倫理と多くの重層性が含まれたもので、久しぶりに文学作品を読んだ気がした。その上で、本作を他の文学作品とを分かつ要素とはなにかと問われれば、やはり物語が後半に進むにしたがって色濃く表れてくる、執事の後悔ではないかと思う。信じていたもの、正しいと確信していたものが、臆病な自分を正当化する理由にすぎなかったこと、それがゆえに誰かを深く傷つけたこと…その鈍い――しかし持続する――痛みとその意味は僕もよくわかる。そういう意味では、37歳で読むにはとても適切な本と呼べるのかもしれない。

 

言の葉の庭』も昨年からずっと気になっていた作品である。もうこれはヒロインの女性に思い切り惹かれてしまった。僕が15歳で、あんなふうに魅力的な女性と雨の日に逢瀬を重ねたりしていたら、確実にMajiでKoiする5秒前だっただろう。相変わらず映像美も、言葉選びのセンスも冴えているのだが、本作では何よりも主人公がヒロインの足のサイズを測る場面があまりにエロティックで鼻血が出そうになってしまった。フロイトだったら、この作品を『グラディーヴァ』と並べて精神分析の対象としたのではないかという気がする。

 

☆☆☆

 

昨年の9月くらいからあまりブログを更新できてなかったことから、ここ3か月ほど月間pv数が1,000を下回っており、あまりよろしくない状態が続いている。今年はなんとか週一度更新の周期を守るようにして、読者の皆様に楽しんでいただきたいと思う。