砂糖と距離を置くの巻

前々から考えていた、「砂糖と距離を置く」計画を実行に移すことにした。すでに初めてから1週間が経過している。とはいってもそこまでハードコアなものではなく、要するに菓子や清涼飲料水の類は基本口にせず、調味料は基本的に若干のはちみつを使用、という程度のものである。それ以上の厳格なポリシーを貫こうとすると、日本で暮らしていくにはいささか角が立ちすぎる。

 

この計画を考えた理由は、主に「午後のパフォーマンス低下を防ぐ」「脂肪肝の予防」「虫歯の予防」、それに「整ったシックスパックの獲得」の4点である。これらそれぞれについて、悩みとは言えないまでも、「どうすればより改善できるか」というぼんやりとした問題意識を常々抱えていたため、問題の共通原因である(と思われる)砂糖を生活から除けば、すべてを解決できるのではと思ったのである。

 

途中経過としては、なかなか順調に進捗していると思う。禁断症状的なものも出ていない。睡眠不足の翌日に常々感じていた、午後のどうしようもない眠気はほとんどなくなった。おそらくはこれからのQOLにもプラスに作用することが多いのではないかと思う。まあおつきあいで甘いものを食べるというのはこれからも出てくると思うので、完璧というのはなかなか難しいと思うけれど、今後も続けていきたいと思っている。

 

☆☆☆

 

先週はふたつ大型のイヴェントがあった。

 

ひとつは会社関係での幕張でのもの。ここでは前々からなかなか興味があった――というか、女性として素敵だなとちょっと思っていた――平野未来氏の話を聞く機会に恵まれた。彼女が登壇することは会場に入るまで知らなかったので、ちょっと得した気分になった。プレゼンテーションを聴いて何よりも印象に残ったのは、彼女の率いる会社のエッジの効いた事業内容…ではなく、彼女の声のトーンの高さだった。もう少し低い声で、ゆっくり言葉を選んで話すようなタイプだと思っていたので、これは意外だった。

 

もうひとつは有明でのおもちゃフェア。こちらは娘を連れて参戦。プリキュアもだんだん見慣れると可愛く見えてくるのが怖い。やっていることは相変わらずむちゃくちゃ暴力的なのだが。暴力をデフォルメすることでその暴力性を隠蔽するというのは、教育的な観点では、あまりよい結果を生まないような気がする。

 

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生まれて初めて、自分一人でストラテジー・ペーパー(要するに自社の成長戦略をまとめたドキュメント)を書き上げ、社長のレビューを受ける。こんなんで大丈夫かなあ…と思っていたのだが、結果は上々だった。やはりこれは僕としてもなかなかうれしかった。コンサル出身の上司はうーん、もうちょっと…というような顔をしていたのだが、社長は満足していたようだったので、経営側とアドバイザー側の目線はやはり違うのだろうな、と思った。もちろん改善点はいろいろあるのだが、今の職種でやっていく自信のようなものが少し得られたのは僥倖だった。

 

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まだ書きたいことはあるのだが、もう寝る。勉強しなければならないことは相変わらず多い――というか、年を重ねるごとに増えているような気がする。いつになったら落ち着いて中国語を勉強できるときが来るのだろう。そんなことを思いつつ、 厳戒下の香港に思いを馳せる。

モチベーション

前から予期していたとおり、少しずつではあるけれども、自分の時間と呼ぶべきものが日常に戻り始めている。やはり子育ては3~4歳がひとつの山なのだなと思う。家族と一緒の休日でも、軽めの本を読んだり、簡単な片づけをするくらいの時間ならずいぶん確保できるようになってきた気がする。四六時中子どもから目が離せない時期が過ぎつつあることに、若干の寂しさがないというわけではないのだが、総合的な生活のバランスを考えると、やはりこれは慶賀すべきことなのだと思う。

 

一方で、まだ顕在化しているわけではないけれども、自分のモチベーションの維持というものがこれからは課題になってくるのだろうという気がしている。ひととおりの教育課程と生殖を終え、労働規範をほぼ完全に内面化してしまった今、半ば強迫観念のような、青い時代の強烈な欲望を保ち続けるのは、どうすればよいのかという問題である。そんなにシリアスなものではなけれども、これは大きな人生の後半の大きな課題ではないかという気がする。昔はわからなかったけれども、30代半ばの稲葉浩史が「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ」と歌った理由が、僕もようやくわかるようになってきた。常に試されて、ヒイヒイ言っていたいのだ。

 

やや話がズレるが、このモチベーションの話は、なぜベートーヴェンは50代にしてあのような珠玉の作品群を生み出すことができたのだろうかという点にも接続可能だろう。まあ彼の場合は、もともと持っていた才能と継続的な努力に加えて、身体的な困難や孤独、甥の問題なんかが混ざり混ざって創作のエネルギーになったのかもしれない…ずいぶん話が飛躍してしまった。

 

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上記のようなことを書きつつもやはり投資は楽しく、その奥深さと難しさがようやく最近わかりはじめている。ひとつわかったことは、100%勝つというのはもちろんないのだけれど、学習とパターン化、そして情報収集によって、確実にその確率は高めることができるという点だ。その点、投資――といっても想定しているのは現物のみだが――は、努力がある程度反映されやすいゲームなのだと思う。一方で怖いのは、マーケットという世界がPublicであるという点である。毛並みの良い会社や学校であれば通用するようなcommon senseは、そこではほとんど意味を持たない。良い子ちゃんの世界ではないのである。そして、そういう「お勉強」の世界では花開かなかったけれども、株の世界では億万長者というような種類の人々が、世の中には少なくない数存在する。あまりに乱暴な言い方かもしれないが、こういう人たちは、躊躇なく最短距離を突っ走る非常に長けていて、極めて学習能力が高い。そういう世界で生きてきた、ということだろう。別に彼らのようになりたいわけではないし、尊敬という感情も特にないけれど、彼らの生存能力の強さのようなものを認めるのはやぶさかではない。

 

でもひとつ言えることは、おそらく彼らの大部分は、マネとモネの違いを説明できないだろうし、空き時間に『存在と時間』を読むということもないだろう。このあたりの文化資本の蓄積――とはいってもずいぶん昔のものだが――は、高等教育が僕に与えてくれた数少ない資産と呼べるのかもしれない。僕はその手のものを、それこそ呼吸するように吸収して20歳前後の日々を過ごした。まったくTangibleではないけれど、その種のものが僕の人生に与えてくれた歓びは、決して小さいものではなかったように思う。恋愛もそうだけれど、教養も若い時分に身に着けてこそ得られるものがあるのだ。その二次的な価値を考えずに、純粋にその喜びを感じることができるという点において。

神様がくれた時間

急成長企業に勤めることの代償ともいえる、ジェットコースターのような日々にようやく休息が訪れた。今週は社長以下のマネジメント陣が全員海の向こうに行っているので、一週間ゆっくりと自分の仕事ができる。ついこの間10連休があったとは思えないくらいに疲労困憊だったので、これは大変にうれしい。正直、一人でゆっくり仕事ができるというのは、下手な休日もずっと休めるし、ファイルの整理やら、受けられていなかった研修とか、普段なかなかできないことをまとめて片付けられるので、自分の生産性に与えるインパクトも大きい。これは普段の仕事が慌ただしいこともあるけれど、それ以上に、子持ちの宿命として週末まったく休めていないのが理由である。もう後半というか、いわゆる「子育て」という時期は8合目くらいまで来たとは思うけれど、依然拘束時間が長い状態は続いているし、やはり手もかかるので、週末の稼働率はおそらく7割を超えている。ともあれ、僕にとっては、一か月遅くやってきた「黄金週間」である。いわば、「神様がくれた時間」だ。無神論者にだって、神様はちゃんといるのである。僕のちっぽけな実存を支えてくれる、大切な大切な、時間の供給者として。

 

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前述のとおり、今週は少し時間がとれるので、ずっと棚上げになっていたSQLの練習を集中的に行う。まあ基礎的な内容なので、2~3日集中的に取り組めば大丈夫だと思う。おそらくこれで、分析の切り口が一気に広げられるはずだ。そのことは当然、戦略策定という業務においてクリティカルな要素になる。僕のいる会社では、「どんなポジションであれ、SQLを自分で書けないやつ、自分のビジネスのデータを自分で分析できない奴はダメ」という暗黙のルールがあるので、「早く人間になりたい」僕にとっては、いわばこの一週間は自動車学校に通うようなものなのである。というわけで、37歳にもなって、一人会議室に籠って、基礎構文を何度も書いて覚える。我ながらなかなか滑稽だが、この年齢で新しく学べることがあるというは、幸せなことだなと思う。実際には学ばなければならないことだらけなのだが…。

 

☆☆☆

 

ほとんど旅行ができなかった昨年の反動だろうか、今年はいつになく家族で出かけることが多い。個人的なKPIとして、「23区以外の自然スポットに子どもを18回以上連れていく」という目標を年初に設定したこともあって、コンスタントに月1、2回はそれなりに緑のあるところに足を運んでいる。当たり前かもしれないのだけれど、そういうところに行くと、不思議と疲れをあまり感じなくなるし、子どもたちも大抵の場合は喜んでくれる。別にそれについての分析やら考察をするつもりではないけれど、これはやはり人間として――というより都会に住むものとして――必須だと思うので、今後も続けていきたい。ちなみに、夏は長女の地理学習も兼ねて、北海道と三重に行こうと思っている。

 

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というわけで、これからSQLと英語を勉強し、戦略の本を読み、株を買って寝る。結局やることはあまり変わっていない。時間は多少できたが、思想書を読むにはまだ少し時間が足りなすぎるかな、と思う。

 

葛藤

あっという間に5月も半ばになってしまった。MBAも終わったことだし、年が明けてから多少は時間がとれるようになるようになるかと思っていたのだが、①仕事がほぼ常時末期的な状態であったこと、②次女の制御がまだできない(=悲しいほど聞き分けがない)こと、③長女の中学受験のサポートにかなりの稼働を割いていること、の3点の理由で、相変わらず泣きそうなほど時間がない。とはいえ、ひさしぶりに筆がとれたので、今考えていることを2、3記しておく。BGMはHysteric Blueの「春」。元号も変わったというのに、僕はまだ90年代の亡霊を抱えながら生きているようだ。

 

☆☆☆

 

米中間の関税発動により、相場はずいぶん荒れ気味になっているが、おそらくは先週末~今週あたりが底になると思うので、明日からETFの買いを入れていく予定。下値リスクを懸念したことから、今年はここまでほとんどポジションをとっていなかったので、このあたりでポツポツとキャピタルゲインを狙っておきたい。

 

なお、上記のような理由もあって、大まかなライフプランを検討してみたのだが、だいたい今の流れだと、45歳くらいまでには人生に必要な経済的資源は獲得できそうである(もちろん投資での大失敗なんかがなければ、の話だが)。貯まるようになったのは、給与が上がったというのも大きいが、欲しいものがほとんどないというのも大きい。物質的欲求を持つには、時間的・金銭的余裕の両方が必要なのだなと思う。ともあれ、45歳以降に、人生のライフワークとして何をするかについて、そろそろ考え始めなければならない。人生は短いからのである。とりあえず考えているのは、①自分で事業を起こす、②博士号を取る、③文を書く、④飽きるまでギターを弾く、くらいか。結局自分の中にある欲望など大したことがないものなのかもしれない。

 

☆☆☆

 

今30秒くらい、次に何を書こうか考えてみたのだが、書くに値すると思われるものが正直見当たらない。悲しいかな、自分の中の余剰が本当にないのだと思う。残りの30代は仕事に打ち込むと決めていたのだが、ここまで自分の中がすっからかんだと、やはり人間としてどうなんだと思う。東京という、世界でも有数の文化都市に暮らしているのに、年々より非文化的な暮らしになっているのだ。生活の8割は仕事に埋められており、なけなしの余白は、しまじろう、プリキュアとそして小学校のプリントでカオスのように埋められていく。2人の可愛い娘に囲まれた慌ただしい暮らしを、人は幸せと呼ぶのかもしれない——確かに彼女たちは可愛い。何にも代えがたいほどに。それでも、僕がそれに対して払っている対価を考えると、自分が一人の人間としてoptimalな状態とはとても思えないというのが正直なところである。

☆☆☆

 

相変わらずよくわからないのだが、発音矯正、筋トレ、仕事を黙々と続ける。自分をあるべき場所につなぎとめるように。

充実の代償

自分で言うのもなんだが、最近けっこう充実している。仕事で認められるというか、好意的なコメントをもらうことも増えてきたし、プライベートもまあそれなりにうまくいっている。胸のあたりが苦しくなるような嫉妬や焦燥感に苛まれるようなことも最近はほぼないし、家庭はもう僕にとってなくてはならない場所になっている。もし僕が詩人かミュージシャンだったら、このような安定した状態は憂慮すべきなのだろうが、幸か不幸か勤め人としての人生を送っているため、安定感というのは概ねポジティヴに作用することが多い。ブログを書く回数が減っているのは、もちろん絶対的に時間が足りないということもあるのだろうが、むしろ精神的に充実しているがゆえに、webに自分を投影する必要がないという側面のほうがむしろ大きいのではないかという気がする。

 

☆☆☆

 

そんな中でひとつだけdepressingなことがあって、2月に受けた血液検査のLDLコレステロールがなんと180となかなかファンキーな数字であった。それ以外は概ね問題のない範囲に収まっていたのだが、ここだけは生活習慣病予備軍と呼んでほぼ間違いのない領域である。まあ昨年一年、自分でもアホとしか言えないような生活をしていたので、そのツケがきているのだろう。というわけで、すでにいくつか対策を打って、1) 毎朝青汁、2) 卵は基本的に食べない、3) 肉も控えめ、4) おやつは原則ドライフルーツかナッツ、5) 毎日6時間は寝る、のそれぞれを実行することにする。3か月後に数値がどのように変化するかなかなか楽しみである。それにしても、無茶をしても20歳そこそこの頃はまったく健康状態に影響がなかったのに、やはり30代後半にもなるといろいろメンテナンスが必要になってくるのだなあと今更ながら思い知らされた感じである。

 

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 なんというか、悪く言ってしまえば、ひどく面白くない人間になっているような気がするが、これはこれで一過性のものなのだろうか…。おそらくは精神の一定の充実と、時間がないことの必然的な帰結なのだとは思うけれども、では時間が与えられたらそこにはどんな自分がいるのか、という点についてはうまく答えられそうにない。37歳という年齢になって、「そんなことを考えてもしょうがねえんだよ」というのが、身に染みてわかったのかもしれない。良きにつけ悪しきにつけ、物事を理解するというのは、実は非常に時間がかかるものなんだと思う…これではオチにもなっていないな。

 

雪のラスベガス

砂漠でも雪が降るのだな、と思った。聞いたところによると、ラスベガスという街を冬の結晶が彩るのは実に11年ぶりらしい。そういう稀有なタイミングに居合わせることができたのを幸運と呼ぶべきかどうかはよくわからないが、すくなくともそのせいで、欲望の街は前に来たときよりもいくぶんしおらしくなっているように感じられた。

 

今回は2日間のビジネス・カンファレンスに参加するのが主たる目的であった。だいたいのこの手のイベントがそうであるように、世界中から従業員が一か所に集まるので、人の数に酔ってしまい、あまり成果が得られないことが多い。今回もそれを危惧していたのだが、事前に会いたい人にコンタクトをとっていたため、我ながらなかなか生産的な2日間を過ごすことができた。会う人会う人皆きらびやかな経歴の人が多いのだが、ヒヤリングをするとオペレーションはかなり原始的・属人的に行っているようで、そのあたりも親近感が持てる。そうしたリレーションが作れたこと、アメリカ人の同僚ともストレスなく話せると確認できたことは今回の収穫だった。手前味噌ながら、20歳の頃に比べると、ずいぶん英語が話せるようになったのだなと思った。

 

しかし、もちろんポジティヴなことばかりではない。一日前は寝付けなかったので、魔が差してとある女性のfacebookをまじまじと見てしまい、余計に眠れなるという負のループに落ちた。我ながら本当にアホだなと思った。で、ラスベガスだというのにやはり「ルビーの指輪」を延々と聞いてしまう。村上春樹もどこかで書いていたが、世界のどこにいってもやはり自分という卑小な存在かららは逃げることができないのだなと思った。

 

☆☆☆

 

今日は束の間の休息で、サンフランシスコでちょっとした観光をして(久しぶりの美術館!)、友人とディナーをする予定。なんかちょっとfancyに聴こえる気もするが、成田空港についたら、まず吉野家行こうかなとか考えていることを考えていると、やはりそれも幻想なのだろうなという気がする。でも休みは休みだ。

アメリカへ

­­­久しぶりに成田空港に来たら、施設の老朽化がずいぶんと目についた。ここ最近は羽田しか使っていなかったので、必然的にそちらが基準になってしまうのは、むべなるかなというところである。古くなってきたのは無理もない、中森明菜が「北ウイング」を歌っていたころからもう30年以上も経っているのだ。そんなことをぼーっと考えつつ、久しぶりにアメリカへ向かう。新しい会社に入って、初めての出張である。かの地に最後に行ったのはもう4~5年も前なので、それなりに久しぶりということになるのだが、アメリカ文化のものはそこらじゅうにあふれているし、英語は毎日イヤというほど触れているので、特別な感傷を感じるということもない。悲しいかな、「海外に行く」という行為そのものに意味があったような年代を僕はとうに過ぎてしまったのだ。事実、この一週間にについて、高揚感のようなものはほぼない。家を不在にすることの懸念のほうがずっと大きいのである。一人で小さい子二人の世話をしながら、仕事と家事をこなさなければならないことの大変さを、僕自身が身をもって知っているからだろう。しかしながら、こう思ってしまうのは、家庭人としてはあるべき姿なのかもしれないが、男性として魅力的かというと、これはなんとも言えないものがあるな…というのが正直なところである。

 

ともあれ、久しぶりにこの一週間は本当に久しぶりに思う存分仕事ができる。子どもの寝る時間に気を配る必要もないし、会議の数も通常の週よりずっと少ない。ここ最近できていなかった、「ゆっくりものを考える」チャンスも、1日くらいはありそうである。おそらくこの1週間は、今回に加えて、1~2本くらいは新しい記事をアップできるのではないかと思う。つかの間の自由、と呼んでもいいかもしれない。