自宅待機型社畜

寝ても覚めても英語を書いてばかりで、疲れ果てている。相変わらず自宅で毎日2時(昨日は3時…)まで働いていて、引きこもりもいいところである。こういう環境だと、夜22時とかに、「明日の10時までに資料直しておいてね(膨大)」って言われることってけっこう多いのだけれど、これって労務管理的にどうなのだろう。まあ厳密に言えばNGだろうな。僕は僕でもっと人に仕事振りたいのだけど、手戻りのリスクが高いので躊躇してしまう。

 

というわけでワードの世界に戻る。緊急事態も一旦解除されたことだし、ゆっくり温泉に行きたい。というか、たまにはマトモな時間に寝たい。

オレンジの魔法

相変わらず引きこもっているのだが、ワークロードは一向に減らない。何が悲しくて自宅で2時まで働かなくてはいかんのだと毎日思ってはいるのだが、如何ともし難い。「テレワークで過労死」とか、どっかの新聞の見出しでありそうだけど、本当に笑えない状況である。おまけに15時を過ぎると、自宅の上のほうを飛行機がビュンビュン飛んでいて大変にうるさいのがけっこうなストレスになっている。良くも悪くも、僕は政治が決定したことに文句を言うことは少ないほうだと思うのだが、これは本当になんとかしてくれよと思ってしまう。スキャンダルやら袖の下やらはどうでもいいから、まずは飛行機をなんとかしてくれ、と。

 

そんな中、日常で唯一の癒しとなっているのが街を歩くことである。いま少し時間がとれるのは、子どもたちが寝室に行ったあと、夜勤を始めるまでの21:30~23:00の間くらいなので、だいたいその時間を利用して自宅の周りをウロウロと歩いている。そう書いてしまうとなんというか犯罪予備軍か変質者みたいなのだが、当人としては人畜無害にただ歩いているだけなので、文句を言われても困ってしまう。昨日は24時前のほとんど誰もいない戸越銀座商店街をゆっくりと歩いてきたのだけれど、寝静まった商店街全体が街灯のオレンジ一色に染まっていて、まるでどこにもない幻の街のようだった。自宅からほど近い距離なのに、ずっと遠くの国にまで旅行にきたような、そんな気がした。昔、アーメルスフォールトの夜の旧市街を歩いたときも同じように感じたことを思い出す。オレンジという色が織りなす魔法なのかもしれない。

 

「新しい生活様式」…おそらく20年後の教科書か資料集に太字で載るであろう、この耳慣れない言葉は、僕の生活をも確実に侵食しつつある。おそらく、突然のパラダイムシフトにいささかの戸惑いを覚えているのは、僕だけではないだろう。小野田寛郎はそれを受け入れることなく、地球の裏側に移住することを選んだ。僕はこの先3年で、どのような決断を下すのだろう。

湾岸まで歩く

木・金は通常どおり働いていたのだが、あくまで休みの中のと「登校日」のような位置づけであり、明日からがまた通常のリズムに戻ることになる。自宅勤務という状況ではあるし、それに入ってしまえばどうということもないのだが、フル5日間連続勤務は久しぶりなので、若干憂鬱な夜である。昨年の10連休の後は、会社に行きたくて仕方なかったという記憶があるのだが、この心持ちの違いは何なのだろう。おそらくは、①下の子が5歳近くになり、子育てに余裕が出てきて、休日が休日らしくなってきた、②自宅勤務でモチベーションが上がりづらい、③5月~6月の仕事が重いのが目に見えているの3点ではないかと思う。とはいえ、世間的に言えば恵まれた立場であることは十分にわかっているつもりなので、バランスをとりつつも会社員としてはしっかりと結果を出していきたい。

 

こういう状況ではあるのだが、あまりに運動不足と在宅のストレスがたまったので、昨日は湾岸エリアまで家族でひたすら歩いてみた。だいたい12km、歩数にしてだいたい18,000歩くらい。さすがにこれだけ歩くと、ちょっとした旅行気分も味わえてストレスも解消できる上にお金もかからないし、例の「三密」でもないので、現時点で可能な外出先としては悪くないのではないかと思う。天王洲のあたりはもうだいぶ人が街に出ていて、何も言われなければ緊急事態とはとても言えないような雰囲気だった。ともあれ、「ちょっと気合を入れて歩くと、まったく表情の違う街にすぐに行ける」とい東京の醍醐味を久しぶりに実感した日であった。子どもがかなりの歩行距離に耐えられるということは、なかなかの新鮮な驚きだった。

 

☆☆☆

 

しかしながら、38歳、都心に家を持って、2人の娘を育てているというのは、我ながら本当に誰かの人生のようだな。もしオリジナリティに乏しいなんていう批判があったら、残念ながら僕はそれを否定する材料を持たない。オリジナルであるって本当に大変なことだし、多くの場合コストに見合った果実も得られないので、ある程度の努力で手に入る予定調和的な落としどころが一番快適だとわかってしまったのだろう。このあたりの心境の変化は、3年に一度くらいしかツアーをやらなくなって、セットリストの多くを過去のヒット曲が占めるようになるミュージシャンを彷彿とさせて、若干寂しいものがある。でもまだリスクはとれるはずだ。まだ僕は自分の人生の可能性を信じている――青臭くて恥ずかしい物言いではあるのだが。

ビジネスのエクリチュール(あるいはエクリチュールのビジネス)

気がついたらもう連休の最終日になってしまった。月日が経つのは早い――と言ってしまえばそれまでなのだが、今年は特に家にいる時間が長いこともあって、例年とはやや異なった心持ちでこの時期を迎えている。歴史の転換点に立っていると言うと大げさだが、パラダイムシフトの中を生きているのだという、切実さを伴った実感とでも言えばいいのか。ただ、僕はその変化を概ね好ましいものだととらえている。もちろん、現在の状況が多くの人々に甚大な被害を出していることはわかっているので、そんなことは大きな声では言えないのだが。

 

☆☆☆

 

仕事の話。今年に入ってから、戦略関係の仕事に加えて、ライティング関連の業務をまとめて任されている。ビジネスの概況や課題、解決方針などを数ページでまとめて、本社CEO以下のお偉いさんに報告するというのが主たる業務である。英語のレポートはこれまでもけっこう書いてきたし、自分でも好きな部類に属する業務だとは思うけれど、どちらかというと英語を自己流で勉強してきた自分が、アメリカ人(超ハイソサエティ)を相手にしたレポーティングなんかを任せられていることを思うと、なんだかこれはちょっとしたものだなと思う。考えてみれば、曲がりなりにも哲学で修士号を取ってから、半ば自分の中で「書く」という行為を封印していたのだが、人生とは不思議なもので、ここにきてまた「書くこと」が日常の中に入り込んできたのである。もちろん、二つの世界で要求されるエクリチュールは、まったく異なるものだ。哲学の――とりわけ現代思想の――文体には一定の流麗さとレトリックが求められる一方で、ビジネスの文脈では、後期のデュラスのようなシンプルな文体で、ファクトを明晰に記載することが要求される。もちろん、ふたつの間に優劣をつけるつもりはない。興味深いのは、自分が「ビジネスのエクリチュール」を書いてしまうときにどうしても癖として出てしまう人文系育ちゆえの癖である。至る所でパラフレーズを試みようとしてしまうのが典型的だが、そういった仕草は、ビジネス文書では(というか、僕が勤める会社のレポーティング・ルールでは)あまり好まれるものではないように思う。この、「自分はわざとやっているわけではないけれども、どうしても出てしまう癖や雰囲気」というのは個人的にけっこうツボで、女の人にそういう部分があるとやたらと魅力的に見えてしまう…。とまあ話が脱線したが、「書く」ことが日常のハビトゥスとして帰ってきたという話。

 

☆☆☆

 

この1か月は僕も思うことが多く、あらためて家族と時間を過ごせることの素晴らしさや、時間の大切さを身に染みて実感することになった。これまで、どれだけ多くのリソースを犠牲にして働いてきたのか、ということも。どこかで時間の切り売りの連鎖を止める、あるいは緩和する必要があるということだろう。結局僕が毎日深夜まで働いてギリギリのアウトプットを出し続けても、誰の得にもならないからである。それよりももっと、実体のある、持続可能な働き方にどこかでシフトしなければならないのだ。朝早く起き、手短に朝食を済ませて、午前中一杯デスクワーク、午後はライフワークと少しばかりの趣味に取り組んで、夜は家族とゆっくり過ごす――僕も人並みにそういった暮らしに憧れるようになった。40代半ばにはそちらにシフトしたい――のだが、案外コンクリートジャングルでの殺伐とした暮らしを続けていそうな気もする。

テレワークとはいったものの

共働きにとっては毎日綱渡りな毎日である。子どもが起きている間は、原則として働きながら育児というなかなかdemandingな状態になるからである。そういうわけで、昼間の効率性に乏しいため、今日も午前二時くらいまで資料作成をする。家だろうがどこだろうが、社畜社畜なのである。まあ世の中のことを考えると、自宅で働いてきちんと賃金が払われるというだけで、ずいぶんと恵まれた立場だなとは思うのだけれど。来週末には仕事が少し落ち着くと思うので、いまという時点だから思うことをきちんと言葉にして綴ってみたい。その後には一応大型連休(@自宅)があるから、そのときのほうがよいのかな。

10年

ふと『夢想』の最終章を、ルソーがヴァラン婦人との思い出を語るところから始めていることを思い出した。たしかこの小品が彼の絶筆であったはずだ。稀代の変態にして革命の起爆剤となったこの天才は、死ぬ間際まで青春時代に好きだった女のことを考えていたのである――おそらくは少なくない数の男がそうであるように。そして、僕はこの思想家を嘲笑する権利をまったく有していない。

 

すでにその日は過ぎてしまったが、昨日はかつて深く深く恋慕した人の誕生日であった。10年以上も会っていないけれど、生きていれば40歳になっているはずだ。実質上自宅に軟禁されているという事実と相まって、時の重みが背中にのしかかってくる。40歳、10年――決して長くはない人生という尺度で測れば、どちらもそれなりの時間である。時は残酷なまでに淡々とメトロノームを刻んでいるのだ。けれども、交わされた感情や言えなかった言葉――それらの負債は未だ僕の中で保存され続けている。おそらくは死ぬまでずっと。その意味では、デュラスが”L’amant”で書いているように、僕もまた「25歳で年老い」てしまったのかもしれない。

 

こんな日は生産活動などするものじゃない。早めにベッドに行って、現在という時間軸の中に自分を沈めるべきなのだ。でもその前に少しだけブラームスを聴いてみよう。僕が自分の最後の青春と呼ぶもの、そんなものにほんの少し思いを馳せつつ。

蟄居生活

前に書いてからもう一か月以上も経つのか。その間に僕が住む世界はまったく――というのは少し言い過ぎかもしれないけれど――変わってしまった。会社に一日15時間くらい拘束される毎日だったのに、今やほぼ自宅軟禁状態である。とは言ったものの仕事量が減るわけではないので、続くとなるとこれはなかなかしんどい状況である。

 

相変わらず仕事ばっかりしている上に、株が派手に暴落しているので、腕まくりをして買いまくり状態になっており、我ながらもう完全なエコノミック・アニマル状態である。欧州では毎日多くの死者が出ているのに、こちらは不謹慎に株を漁っているというのはあまり褒められたものではないが、まあ世の中そんなものかもしれない。”A day in the life”みたいな話だ。

 

日曜日だというのに仕事ばかりして、ほとほと疲れてしまったので、今日はこのあたりで筆を置く。今週でピークも過ぎると思うので、来週はスキーか温泉(または両方)でも行こうと思う。

 

なんの脈絡もないが、久しぶりに聴いて、「いや、やっぱり反則だわ」と改めて思ったので貼っておく。クラプトン、2001年の”Wonderful Tonight“。4分くらいから始まるデヴィッド・サンシャスのソロを聴いていると、恋の喜びと痛みがまぜこぜになったようなものが溢れんばかりに伝わってきて、胸がいっぱいになってしまう。ただの現実逃避なのかもしれないけれど。

 


Eric Clapton Feat. David Sancious - Wonderful Tonight - Los Angeles 2001