孤独の肖像

なぜだか最近猛烈な寂しさに襲われている。仕事は普通に――というか結構ハードに――しているし、家族とも仲良くやっているからまあ生きていく上で問題と呼べるようなものはないのだけれど、寂しさという感情が心の片隅から消えることはほぼ、ない。もろもろの心の傷のその原因だとは思うけれど、それ以上に、日常に刺激らしい刺激が存在していないことがその中心的な理由ではないかと思う。もちろん、毎日それなりのノルマはあるし、幸か不幸かそれらはどれも適度に面倒臭い(だから給料がもらえるのだ)。昔と違うのは、そのどれもが、僕の心を震わせるようなものではないということである。感性が擦れてしまったのか、それとも日常に慣れすぎてしまったのか――おそらくはその両方だろう。

そうなると、どうしても生きる理由というのを再発見したくなってしまうのが、僕という人間、いや人間一般の性である。とても冷静に考えると、社会に対する恩返し、家族に対する責任くらいしか現世的な理由が見つからないのではないかという気がする。ああ、いけない、あまり人生を楽しめていないのだ。というか、大人の男はどこで人生を楽しむことを社会的に期待されているのだろう?少なくとも五反田の歓楽街なんかではないはずだ。本当によくわからない。

そんな気分のせいかわからないのだけれど、最近よく夜はビリー・ホリデイを聴いている。昔は彼女の曲のよさなんてまったくわからなかったけれど、歳のせいかこれが染みる。傷を負った人間のための音楽なんだろう。

今夜は何の本を読もうかな。