家族という戦後レジーム

ずいぶん空いてしまった。いろいろ雑事をこなしつつも、ブログを書きたいとは思っていたのだが、余裕のなさからどうしても深夜にPCに向かい合う気になれなかった。絶対的な時間の不足が理由であることは疑いようがないところだが、精神的な部分の余裕のなさが最も大きな理由であったような気がする。

ここ一か月の大きな変化は、次女がいることが当たり前になったことだ。家族4人であることが日常になったとも言えるだろう。高度成長期以降、4人の核家族はしばしば中産階級の典型的な像として語られてきた。郊外の家、セダン、犬小屋、アップライトのピアノ(ヤマハ)…そういった諸々の中産階級的要素の核となるものとして。そして、その形態が日常に組み込まれることの必然的な帰結として、僕の役割はより教科書的な「父親」に近いものになったような気がする。これは僕以外の家族が全員女性であることと無関係な話ではないだろう。陳腐な話ではあるが、1対2と1対3というのは、1の側に立ってみると相当に異なった状況である。例えばサッカーで、前者のケースであればまだ追いつこうという気力も沸くものだと思うが、後者だとどうしても諦めが出てきてしまう。例えがあまり適切ではないかもしれないが、単純にそれほど違うのだと言うことがいいたいだけである。ただ、「4家族」という現代の三位一体にも似た小宇宙の安心感は、やはり否定しがたいものがある。

☆☆☆

もう過ぎ去ってしまったものだからどうでもいいのだけれど、2年前にフルタイムのMBAに行く道を選んでいたらどうなっていただろうと想像することがある。まあ経済的に楽でなかったことは明らかだろう。僕は自分のしたいことのために、家族の生活を犠牲にすることはしたくなかったし、自分の現在を見ると、おそらくそれは正解だったのだと思う。手前味噌な話ではあるが、33歳のうちに大手外資系企業のマネージャ職を得て、コンスタントに高い評価を得るというのは、誰にでもできることではないし、それなりの努力も必要だ。

けれども――そのときのwhat-ifに対して、どうしても答えのない仮説をいくつも考えてしまう。これは前の失恋のときの「もしもあのとき…」という想像とも近いといえるかもしれない。まあいい、僕は来年からエグゼクティヴ・プログラムに行って、そこで学位を取るのだ。フルタイムと比べると簡単と揶揄されることが多いけれど、実務をこなし、家族を支えつつ、2年間勉強漬けにになるというのは、そんなに容易いことではないと思う。あとはユーロやらフランやらがもう少し安くなってくれればいいのだが…。

今日はこれくらいにしておこう。英語の勉強をしたらもう寝る。