あまり感動しなくなったことについて

予算もだいたいできたし、確定申告も終わった。ようやく年明けからのバタバタが一段落した感じである。というわけで、今日はプールでいつもよりも少し長めに1kmほど泳ぎ、ジャグジーにゆっくり浸かってきた。僕にとってはささやかな贅沢である。追加コストもかからない。あとはここで人畜無害な自分語りでもすることにする。

 

☆☆☆

 

タイトルのとおり、僕はあまり感動しない――というか、感動できなくなったのかもしれない。年齢的に感性が鈍ってきたのが原因かもしれないし、新しく触れるものに過去の類型を見てしまうのが理由かもしれない。もちろん、心の琴線に触れるものに費やす絶対的な時間が減少していることもあるだろう。ともあれ、今日はちょっとこのことについて書いてみたいと思う。

 

とりあえず、思春期くらいから本気で感動したものについて、以下に時系列(だいたい)でまとめてみる。 

  • "Love Phantom"を初めて聴いたとき(こんなにカッコいい曲があるのかと思った。今聴くとどうしてもダサさを感じてしまう部分はあるのだが、やはり完成度は群を抜いていると思う)
  • サイケジア・渡辺さんのギター(人のチョーキングに感動したのは、人生の中でこの人とジミ・ヘンドリクスくらいである)
  • Mr. Bigのコンサート(地鳴りのような"Take Cover")
  • ローマ対ユヴェントス(中田さんが獅子奮迅だったやつ)
  • クラプトンのコンサート("Bell Bottom Blues"で人目をはばからず泣いた。LAと日本とで一回ずつ見て、2回とも同じところで泣いた)
  • カミュ『異邦人』(ちなみに後でフランス語で読み直したときは、それほど感動しなかった。日本語だと入ってくるところが違うのかもしれない)
  • B'z 渚園での"Brotherhood"(地元、台風・大雨での野外という特殊条件だったからかもしれない。涙が止まらなかったのは覚えている)
  • ロンドンフィル ホルスト「惑星」(@ミューザ川崎。最前列で見た。ベタながら「木星」が秀逸だった)
  • フェルメール「絵画芸術」(上野で見た。絵のたたずまいからして神々しかった)
  • 庄司紗矢香のヴァイオリン(メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。場所は失念。モノが違った)
  • 東大寺と大仏(大仏を見て泣いた人というのは、自分以外にあまり聞いたことがない)
  • カルメン(初オペラ@初台。なんかこう、空気感だけで泣けてくるようなところがあった。それにしてもなぜヨーロッパにいるときにオペラを観ておかなかったのだろう?)
  • 2004年アテネ・オリンピックの体操(ベタだな)
  • 2008年北京オリンピックの4継(ベタだな)
  • ラスヴェガスで見たジャズ・カルテット(あまり知っている曲を演奏してくれなかったのだけど、なんかもう空気感が違った)

たぶんこれくらいである。で、これらについてまとめると以下のようになる。

  • 僕は前20年くらいで、少なくとも覚えている範囲では14回前後しか感動していない
  • 僕が本気で感動するものの多くは音楽である
  • 映画・小説などではそれほど感動していない。食事に至ってはゼロである

最後に、ここから導出される僕についての一般法則は以下のとおりである。

  • 僕は年に一度くらいしか本気で感動しない
  • 本気で感動するのは音楽についてであることが多い
  • おそらく映画で本気で感動したことがない。これは、観ている絶対的な本数がそれほど多くないというのもあるのかもしれない。2時間の間拘束されるのがが個人的にあまり好きではないからかもしれない
  • 小説もそれほど多くない。僕がこれまで読んできたもの多くは19世紀の小説だが、それらのほとんどは尺が長すぎて、感動というよりは読み切るので精一杯だったからかもしれない(例えばドストエフスキーバルザック
  • 食事で本気で感動したこともない(もちろん、これはすげえな、と思うことはある)。ここ数年については、いわゆるお高い食事の多くが「経費飯」になってしまったことが原因だと思う。だいたい海外の偉い人を相手にして、緊張しながら食べているので、味なんか覚えてない。自腹でないので記憶にも残りにくい
  • 音楽については、明らかにポップス→クラシックの移行が見られる

 

僕の感性が擦り切れてしまったかどうかというのは、残念ながら上記からはわからない。ただ、人生の時間は限られているので、やはり若いうちに本気で感動できるもの(要するに一流のもの)に触れたほうがいいとは思う。そういうものに出会ったときには、例えばTwitterで世界に向けて発信したいなどとは思わないものだ。多くの人は、その感動を正確に表せるような言葉を持たないからである。

 

それにしても、感動するのが難しい時代になってしまったなと思う。何しろ、フルトヴェングラーブラームスyoutubeで聴ける時代である。そのあたりを基準にして、例えばミュージック・ステーションで嵐なんかを見ると、やはりなかなか辛くなってしまうところがある。

 

☆☆☆

好き勝手に書いてだいたい満足したので、もう寝る。明日はガリガリ勉強する予定。