焦燥

なんだかまた傷が痛む時期がやってきた。周期的なものなのかもしれない。おかげで仕事のパフォーマンスも落ちるし、あまり勉強にも気が向かない。困ったものである。そして残念なことに、こういうときの僕の選択肢は極めて限られている。日常的に安らぎを与えてくれるのは深呼吸くらいである。すーはーと息をゆっくり吸ってゆっくり吐くと、それでずいぶん落ち着いた気分になれる。

 

そういう中で子どもが熱を出していたりするから、まあ世の中は複雑である。きっと30代はこんなふうにずっと平凡な幸せの中で、この鈍い痛みを抱えながら過ごしていくのだろう。しょうがない。どうしようもないのだ。

 

「痛みによって生きる」――最近読んだ本に、そんな一節があった。「痛みとともに」ではなく、「痛みによって」、である。悲しくもそれをエネルギーにしないことには生きられないということだ。そして、ここ数年の僕は、好む好まざるに関わらず、そういう生き方をすることを余儀なくされている。人はそれを不幸と呼ぶかもしれない。ただそれは、不幸だろうがなんだろうが、僕の人生なのだ。ゴミだろうが、カスだろうが。

 

でもきっと多分もっと違ったものに出会えるはずだ――。心のどこかで僕は信じ続けているのだと思う。結果的にジャン=ジャック・ルソーはそれをし続けて、『夢想』という断章を書いている途中に彼岸に行ってしまった。さて僕はどこに行くのだろう。

 

いろんなものが爆発しそうだ。どちらが大統領になっても、そのことについてはあまり変わりそうにない。