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恵比寿

訪れるたびに思うのだけれど、恵比寿の街はセックスを強く連想させる。五反田と結び付けられるような肉感的なものではなく、僕が中学生だったころに性行為に対して思い描いていたような、「きっと素晴らしいであろうもの」という観念としてのセックスを。昨年の「東京カレンダー」に掲載されていた恵比寿についての記事で、かの街は「いつでも脱げる女の集う街」と呼ばれていたが、そのキャッチコピーを見たときに、執筆者の下品さとアホさ加減につくづくうんざりしつつも、やっぱり同じようなことを考えている人がいるんだなあと妙に安心したことを覚えている(ただし記事の内容は噴飯ものとしか言いようのないものだった)。

 

もう少し具体的にイメージしてみよう。

 

例えば、すごく気心の知れた女友達(美大出身)とひさしぶりに週末会って、例えばマイケル・ケンナの写真展を一緒に見に行くことになった。お互い恋人はいない。16時にガーデンプレイスで待ち合わせて、写真展へ。18:00、近くのブラッスリーへ移動。白ワイン(例えば、リースリング)をボトルで頼み、いくつかのサイド・ディッシュをつまみに会話を楽しむ。写真と小説、それに旅行の話がメイン。夜が更け、だんだん言葉が少なくなって、二人は店を出る。で、流れのままに二人はセックスをする。欲望に乗せられるというよりは、人間としてとても自然な流れの中で。だいたい僕がかの街から連想するショート・ストーリーはこんなところである。村上春樹的といえなくもない。

 

もちろんこれは僕の個人的な妄想だし、もう結婚してしまっているのでこうしたカラフルなアクシデントは起こりようもないのだが、僕が恵比寿を集いの場所として利用するとき、こうしたストーリーへの疑似体験欲求を心の中に忍ばせているのは否定できない。何しろ、かの街は綺麗なお姉さんで溢れている。そういうわけで、19時くらいに恵比寿から代官山あたりを歩くと、「いやはや、日本の女の子は本当にキレイだな」と、いつも妙な感慨に打たれてしまうことになる。でも僕にとっては、すでにそれは過ぎ去ってしまったものだ。その残り香を、擬似的なものと知りつつもなんとか味わおうとして、僕はかの街へと足を運ぶ。

 

☆☆☆

 

というわけで、久しぶりに金曜の夜を恵比寿で過ごす。駅近くにある、美味いカスレを出すビストロで、白ワインを飲みつつ友人と語る。この店は僕のお気に入りのレストランのひとつだ。バルガス・リョサボリス・ヴィアンセバスチャン・サルガド荒川洋治ヘーゲルハイデガー、バルト、スタインベック、そしてメイヤスー…労働マシン生活で、文化的な話題に飢えていたのか、そんな話ばかりしていた。「翻訳の仕事もいつかは人工知能に奪われてしまうのかな」、と友人。あるいはそうかもしれない、と僕。

 

河岸を変えて、近くのカフェへ。エロショップの上と、いささか変わったロケーションだが、居心地はよい。だいぶ酔っていたので、ペラペラと話してしまう。「僕、あの娘のこと好きだったんだよ」――話題はそういう方面に移っていく。「大変だったんだね」と友人。いや、本当に大変だったんだよ。

 

そういうわけで、金曜の夜は特に大きなサプライズもなく更けていった。23:45。頬の赤みがとれないまま、僕は緑の電車に乗って、その幻想の街を離れた。でも幻想そのものは決して僕の頭の中から離れようとはしなかった。