万国旗イデオロギー

予算の一連の工程が終わって少し楽になるかと思ったけれど、その後処理やら、戦略の見直しやらで会議が多かったり、運動会などの行事で週末が埋められてしまったりと、やはりバタバタしている。家族同士でのつきあいというものが自分の人生においてかなり増えたなあと思う。別に個人的に仲良くなるというわけではなく、おつきあい程度に食事に行く程度のゆるい関係だけれど、重なると案外交際費がバカにならない。まあ子どもが不利益にならない程度にはいろんな人に愛想をよくしておかなければならないので、必要経費として割り切るべきなのだろう。

 

とはいえ、久しぶりにそこそこの晴れ間ものぞいて、なかなか気持ちのよい一日だった。運動会から帰ったあと、洗濯機を3回転させて、家中にぞうきんがけをしたら、ここ最近の雨で家にまとわりついていた湿気がずいぶんとれたような気がした。

 

☆☆☆

 

学部時代の友人数名と久しぶりに会う。女性4名に対して男性1名(ワタクシ)と、なかなかアンバランスながらも朗らかな会だった。なかなか驚いたのは、女性4名のうち、すでに3名が独立して個人事業主として生計を立てていたということ。一方で、子育てもがんばっているみたいで、いやはや、パワフルだなあと思った。そのうちの友人一緒に帰ったのだけれど、ゆっくり話をしていたら、彼女は12年くらい前よりずっと魅力的になったような気がした。ハリのある生活と子どもへの愛情がもたらす内面の充実は、加齢による容色の衰えをも凌駕するものなのだろうか。

 

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保育園主催の運動会の会場でぼーっとしていると、なぜ国旗なんていう19世紀の遺物がこんなに飾られているのだろうという考えが頭をもたげる。オリンピック・イデオロギーの一種なのだろうか。ピュア左翼の人なんかだと、起立もしないし国家も歌わないだろうから、当然運動会では走らないのだろうか。このあたりの解釈が争われた判例ってあったかな…などと極めてどうでもいいことをダラダラと考える。そんなことを思ってしまうのは、たぶん幼児による運動会なるものが、根本的にあまり面白くないからである。「かわいい」という要素を除いてしまうと、そこにはあまり見るべきものはない。したがって、自分の子どもの出番が終わってしまうと必然的に手持ち無沙汰になる。というわけで、「運動会と国旗の考古学」について考えながら、可愛い先生のことをチラチラと見て、日曜の午前中は終わっていった。

 

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今年は重い腰を上げて、花粉症の根本治療をしようと思う。いわゆる舌下免疫治療が2年前から保険適用になって以来、ずっと受けよう受けようと思っていたのだけれど、転職やら子育てやらで伸ばし伸ばしになっていたので、この10月から始めるつもり。年間2万円と少しで、あの苦しみから解放されるのであれば安いものである。