「優秀」は褒め言葉なのか

通常「優秀である」という言葉は、人の能力が高いだとか、業務遂行能力が期待される水準を上回っているとかいう意味で、ポジティヴな文脈で使用される。僕もまだ新社会人だったころは、「優秀だね」とか言われると、褒められた小学生のように、それなりにいい気分になっていた。しかしここ数年、どうにもこの言葉が含意する限定性のようなものが気になる。

 

例えば、僕がK2の冬季登頂に世界で初めて成功したら、「あの人は登山家として優秀だ」などと言われるだろうか?誰もそうは言わないだろう。おそらく人が口にする形容詞は、「凄まじい」、「超人だ」とか、あるいは「クレイジーだ」とかそんなところだろう。そういう意味では、「優秀である」というのは、良くも悪くも、「期待される水準があらかじめ設定されており、その水準に達しているか、あるいは想定を超えない範囲でそれを上回っている」という極めて限定的な意味で使用される言葉であるといえる。そういう意味では、サラリーマン的な価値観と非常に相性の良い言葉であり、おそらく僕が気に入らないのはその点なのである。

 

志ある人よ、「優秀」などという言葉に惑わされてはいけない。「優秀」であろうとするのであれば、「圧倒的に」優秀であれ、そしてあり続けろ。「優秀」という枠を越えるには、そうであり続けるか、人とまったく違う道を爆走するしかないのではないかという気がする。たぶんカルロス・ゴーンは前者で、スティーヴ・ジョブズは後者である。

 

☆☆☆

 

小学校の運動会。なぜか閉会式の最後に「みんなで万歳しましょう」とPTA代表の人が言う。児童たちは素直に万歳、万歳と手を上げる。僕はそれを唖然として見ていた。この国の人々の精神構造は、大塩平八郎の乱くらいのころからちっとも変わってないんじゃないかという気がした。