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なんじゃもんじゃ

木曜ということで疲れもずいぶんたまっているのだが、気分転換に少し書く。秋が深まってきたせいだろうか、ここ一週間ほど夜はジャズばかり聴いている。19世紀のクラシック、50年代のジャズ、70年代のロック、そして90年代のポップス。だいたいその4カテゴリを、ヤッターマンがマシンを選ぶときみたいにローテーションするわけである。別にどうでもいい話なのだが。

 

☆☆☆

 

友人と月島までドライブに出かける。ドライブといってもわが家から30分もかからないので、最寄の駅の喫茶店で喋るのと感覚的にはあまり変わらない。当地では例によってもんじゃを食べる。すでにほぼ半生を都会で暮らしているというのに、これまでこの粉モノのメッカに足を運んだことがなかったというのは若干不思議である。しかしながら、粉のわりにもんじゃというのはなかなか強気な価格設定をしている。まあ観光地だから、売り手側も若干のプレミアムを乗せているのだろう。

 

もんじゃの後はどこにでもあるファミレスでぺちゃくちゃとどうでもいいことを深夜まで話す。僕はSNSが人間関係をどれだけ粗末なものにしたかを熱弁する。

 

「あれは孤独の装置なんだ。見れば見るほど自分が希薄化していくんだ」

「じゃあもし子どもがSNSを使いたいっていったら?」

「『ダメに決まってる』だな」

「ははは」

 

かくして夜は更けていく。

 

☆☆☆

 

よく言われることだが、インターネット、わけてもSNSは多くの現代人を奴隷化してしまった。まったく利益にならない情報のために大量の時間を使い、ときには感情を乱され、それでもなお人は情報の波に飛び込んでいく…これを中毒、あるいは奴隷と言わずしてなんと呼べばいいのか。昼は会社で奴隷で、夜はネットで奴隷をしていたら、起床している時間のほとんどを奴隷として過ごしていることになる。オンライン奴隷化について、僕はそれほど多くの先行研究にあたったわけではないが、おそらく同じような議論は枚挙に暇がないだろう。

 

というわけで、やはり家では極力PCを見ないようにする。代わりに遠くをみたり、本を読んだり、子どもたちの顔をみたりすればいいのだ。Not rocket scienceである。

 

☆☆☆

 

塩狩峠』は2日ほどかけて読んだが、偽善臭さばかりが鼻についてどうもダメだった。あれで感動する人はたぶんあまり読書経験がない人ではないかと思う。マルクスなんかを読んで「すべてを疑え」とか言っているような人間には不向きの本である。三浦綾子という人は結局「文学」ではなくて「説教」をしたかったんだろうな、と思った。