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五反田あおい書店の閉店によせて

五反田のあおい書店が明日22日をもって閉店するという。足繁くとは言わないまでも、月に何度かは行くことのあった書店だけに、いささかショックを受けている。他の街で気持ちよくお酒を飲んだあとに、ゲンロンカフェの横を通り抜け、「キャバクラいかがっすか」というポン引きをかわして、かの本屋で思想書を手に取るのは、ここ数年ほど僕にとってのささやかな喜びであった。人文書のコーナーは決して大きいわけではなかったけれど、限られた中でもそれなりにこだわりの感じられる棚作りがされていて、特に青土社の書籍は積極的に展開されていた印象が強い。人もまばらな23:00過ぎ、酔った頭でシジェクなんかのページをパラパラとめくって、僕はよく「相変わらずだなあ」とひとりごちていたものだ。『永続敗戦論』やら、『断片的なものの社会学』なんかも、僕は確かここで買ったと記憶している。少なくとも僕にとっては、この店の思想の棚は、そこにいれば資本の磁場から少しだけ逃れることのできる、大切なアジールだった。

 

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とはいえ、経営的な側面を考えれば、今回の閉店は時間の問題だったといえる。ここ1、2年ほど、店内にいる人の数そのものが過去に比べて明らかに少なかったからだ。このあたりでは珍しく23:00過ぎまで開いている稀有な書店だったのだけれど、おそらく夜間については固定費さえ回収できていなかったのではないかと想像する。

 

もっとも、当然ながら上記のような話はこの店だけに起こっている話ではなく、出版業界全体の問題である。なにしろここ数年、本の世界からは景気のいい話がさっぱり聞こえてこない。太洋社の破綻、紀伊国屋新宿南口店の閉店、創文社の解散通知、そして岩波ブックセンターの破産――これらはすべてここ1年以内の出来事である。財務情報を見る限り、文教堂あたりもあと1年程度で資金が尽きるだろうし(自己資本率1.6%というのは致命的である)、ジュンク堂紀伊国屋も書店経営の実績は似たり寄ったりというのが現状だろう。僕自身がAmazonのヘビーユーザであり、またどちらかといえば紙の本より電子版を購入することが多いので、書店ビジネスの停滞に多少の責任を感じないでもないのだが、消費者としての合理的な購買行動は責められるべきものではないだろう。

 

いずれにせよ、五反田のあおい書店は明日をもって閉店し、僕は自分の大切なアジールをひとつ失う。その事実に対していかに応答するのが正しいのか――倫理的であるのか――、僕はまだわからずにいる。ただ、僕がかの店を忘れることはないだろう。僕はそれを単一なものとして記憶するだろう――この書店を一般性に還元することなく記憶にとどめるのが、おそらく僕に行いうる最も非-暴力的なふるまいだろうから。

 

明日僕はもう一度この店に足を運ぼうと思う。ありがとうとさようならを言いに。