余はいかにしてMBA candidateとなりしか

金曜の夜、お高いホテルのお高いフロアにあるバーのプライベートスペースで、ビジネススクールの歓迎会が開かれる。15人ほどの参加。日本人と外国人が半々くらい。こういうところにくるといつもそうなのだが、だいたい少年だったころの自分との距離にめまいがしてくる。少なくとも中学校の頃の僕には、六本木のホテルのバーでワインを飲んでいる自分など露ほどにも想像できなかった。まあそれはそうと、卒業生や現役生、入学審査官ともゆっくり話すことができてなかなか楽しい時間であった。驚いたことに、今年については、日本人の合格者はこれまで僕だけだという。もしそのままだとしたら、勉強にはとてもよい環境なのだろうが、日本関係の質問には僕がすべて答えることになるだろうから、それはそれで厄介だなあと思う。

 

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今さらという感じではあるのだが、なぜ僕はMBAを目指そうと思ったのだろう?

 

教科書的な回答としては、「外資系のキャリアなので、プロモーションのための必要だったから」とか、「体系的な経営の知識を身につける必要を感じたから」とかいうことになるのだろうが、それらはすべて副次的な理由にすぎない。結局一言で言ってしまえば、「変化が欲しかった」ということになる。それは、生活の変化でもあり、意識の変化でもある。ごく当たり前の話だとは思うが、30代も中盤に入ってくると、ライフスタイルも考え方もかなりの度合いまで固定されてしまい、良くも悪くも自分の将来にある程度の見通しが利くようになってくる。要するに、仕事をして、子どもを育て、住宅ローンを払って、ボーナスと家族旅行をささやかな楽しみにする(しかない)生活が、まあだいたいは続くわけである。人はそれを幸せと呼ぶのかもしれない。でも僕は、そこに必然的について回るマンネリズムをどうしても肯定できなかった。少なくとも自分に対しては、だ。僕はもっと自分を鍛えたかったし、ビジネスの世界で、自分の中に眠っている鉱脈がまだあるのかを、より確かな実感を持って確かめてみたかった。世界中にだって、まだまだエキサイティングな機会が山ほどあるはずだ――何しろ、「この世はでっかい宝島」なのだから。その点、学校にもう一度行くというのは、自分の中にかすかに残っている若さゆえの行動であるとも言えるかもしれない。

 

あとは、自分を徹底的に追い込んでみたかったというのもある。仕事・勉強・子育てにリソースをめいっぱい割り振って、その中でしか見えないものもあるのではないか――というのが、ここでの僕の問題意識である。まあおそらく、僕はその中でよりシビアな優先順位のつけかたを学ぶのだろう。もっと言えば、いかに不必要なものを捨てていくか、ということを。

  

まあとりあえず、まずは問題なくクラスについていけるように、予習と英語の基礎力向上に励みたいところである。

 

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ここ数週間ほど、土日はほぼ一日中子どもたちと外遊びをしているということもあって、だいたいは一週間のうちで月曜がもっとも疲れている。というわけで、今日は朝一からリポビタンをあおって、気を抜くとすぐに寝てしまいそうな自分を奮い立たせて、なんとか一日を終えた。お世辞にも華やかな一日とはいえないし、生産性もあまり上がらなかったのだけれど、まあ罵られるようなこともなかったから、まずまずと言えるのかもしれない。でもそれじゃダメなんだよ。なにかもっと素晴らしいものがきっとあるはずなんだよ…というわけで僕はまた学校に行く。35だというのに、僕はまだずいぶんと中二病の気質を残しているみたいだ。