千葉・佐野波論争とモスバーガー

ここ2日ほど深夜はモスバーガーのことばかり書いているのだが、深夜のネタとして若干これはしんどいものがある。油を連想させるからである。近年SNSを中心に飯テロとかいう言葉が広く使われるようになった感があるが、僕は夜に腹が減るという気持ちがよくわからないので、どこがテロなのかはあまりピンとこない。深夜に油モノを見て、「こんなの食えるかよ」という気持ちならわかる――というのがこのオープニングの趣旨である。我ながら本当にどうでもいい話である。

 

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千葉雅也氏の著作をめぐるAmazon掲示板でのやりとりがなかなか過激になっている――というか、もう完全に泥仕合の様相を呈してきてしまっているので、そろそろお互い刀を納めたほうがよいのではないかと思う。ルソーとディドロしかり、太宰と志賀しかり、江藤と大岡しかり、人文学まわりの論争は、結局遺恨以外に何も残らないパターンがほとんどなので、こういう場外プロレスはギャラリーが多少喜ぶだけで、当人たちにとってはエネルギーの無駄遣い以外のなにものでもないと思う。実際、この一連のやりとりを見て僕が一番に思ったのは、「この人たち時間あるんだなあ」ということだった。

 

個人的な意見としては、佐野波氏の挑発的な書きかたにはあまり賛同できないし、フランス思想=脱主体というような画一的な整理のしかたはお世辞にも丁寧とはいえないと思うけれど、いくつか同意できる点があるのは事実だ。具体的には、「切断」の礼賛と「接続」の奨励なんかが挙げられる。それに、思想村の閉塞っぷりと丸投げっぷりは僕もよく知っているので、このあたりを攻撃したくなる気持ちはわからなくもない。

 

とはいえ、流れを見れば、今回はやはり千葉氏が当たり屋にぶつかってしまったという印象で、いささかの同情を禁じえないものがある。まあもう彼も業界では名が通った人なのだから、もう少しおおらかに構えていてもいいような気もするけれど。まあ僕は部外者だから好き勝手なことが言えるのだろう。

 

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というわけでモスバーガーに戻る。深夜にモスチキンのスクリーンショットをとったりしているのは若干辛い。