気狂いプロフ

相変わらず慌しい日々が続いてはいるのだが、一応学校は夏休みに入ったので、夜は少し時間がとりやすくなった。ここ2ヶ月ほどのワークロードが常軌を逸していただけに、それがなくなっただけでも、ずいぶん余裕を感じることができる。本当はジムに行って体をバキバキになるまで鍛えたいのだが、あいにくまだそこまでの時間はとれていない。

 

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先週末はオペレーションの期末テストだったのだが、これがまだ強烈であった。20ページくらいのケースを読んで、内容のサマリを行い、成功要因・問題を特定した上で、それらの問題への改善案を提案する(英語で4,000語程度)といったものだったのが、課題を与えられたのが金曜で、ヨーロッパ時間の日曜日24:00までに提出をする必要があった。英語で4,000語というと、日本語で8,000字から10,000程度にあたる(ちなみに、学士論文を英語で書く場合の目安がだいたい10,000語程度)。しかも、金曜日は仕事があり、土曜日も別の授業があったので、実質的に使えるのは日曜日のみであった。仕方ないので、日曜日は家族との予定をすべてキャンセルし、パンツ一丁で泣きそうになりながら一日中レポートを書く。Whatsappを見ると、ネイティヴ組も「こんなに書けねえよ」なんて言っているという、なかなか阿鼻叫喚度の高い状態であった。結局僕が書いたのは3,200語程度で、朝9時から作業を始めて、提出できたのは深夜の2:30だった。得難い経験ではあったと思うが、もう一度やれと言われたら即答で断るだろうと思う。

 

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前から思ってきたことなのだが、年齢を重ねると本当にいろいろなことが外面に出てくるなあと思う。前は出てくるのは考え方や生き方なんかの、いわゆる内面的な部分が中心だと思っていたのだが、最近は顔や雰囲気で、男女問わず、所得水準や職業、未婚・既婚なんかまでだいたいわかってしまうようになった。あまり科学的な傍証もないのだが、おそらくは外見とそういうひとつひとつの動態的な分類には統計的に有意な相関性があって、それを直感的に判断しているのだろう。そして、僕がそういうことを考えているくらいなのだから、世の中の多くの人も必ず同じようなことを考えているだろうと思う。そういうものだからだ。こういうことを口に出すと、ステレオタイプやらレッテル貼りという批判を受けるのだろうが、おそらくは僕も直感的にそういう判断を下すようになるまでに、少なくない数のサンプルを見てきているのだろうから、それはそれで、おそらくは一定の正しさを持っているのではないかと思う。そういうわけでまた自分への問いかけが始まる。僕は30代後半の男としてしかるべき顔をしているのだろうか、と。

 

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もうすぐやってくる本当の夏休みには、本らしい本を読みたいのだが、別に特定の本を読みたいというわけではないので、また古典か昔読んだことのある本に戻ってしまいそうである。「午後の最後の芝生」みたいな話が読みたいのだけれど、残念ながら、同じような空気感のある作品にはこれまで出会ったことがない。夏の生ぬるい空気、気だるさ、女のずるさ、特権的な学生のモラトリアム…。いつかの僕も人生のそういう時期を生きていた。逆説的ではあるが、これほど自分が大人になってしまったということを自覚させられる作品はちょっとほかにない。そんなことを書いていたら、なんだか初期の村上春樹が読みたくなってきてしまった。