湾岸まで歩く

木・金は通常どおり働いていたのだが、あくまで休みの中のと「登校日」のような位置づけであり、明日からがまた通常のリズムに戻ることになる。自宅勤務という状況ではあるし、それに入ってしまえばどうということもないのだが、フル5日間連続勤務は久しぶりなので、若干憂鬱な夜である。昨年の10連休の後は、会社に行きたくて仕方なかったという記憶があるのだが、この心持ちの違いは何なのだろう。おそらくは、①下の子が5歳近くになり、子育てに余裕が出てきて、休日が休日らしくなってきた、②自宅勤務でモチベーションが上がりづらい、③5月~6月の仕事が重いのが目に見えているの3点ではないかと思う。とはいえ、世間的に言えば恵まれた立場であることは十分にわかっているつもりなので、バランスをとりつつも会社員としてはしっかりと結果を出していきたい。

 

こういう状況ではあるのだが、あまりに運動不足と在宅のストレスがたまったので、昨日は湾岸エリアまで家族でひたすら歩いてみた。だいたい12km、歩数にしてだいたい18,000歩くらい。さすがにこれだけ歩くと、ちょっとした旅行気分も味わえてストレスも解消できる上にお金もかからないし、例の「三密」でもないので、現時点で可能な外出先としては悪くないのではないかと思う。天王洲のあたりはもうだいぶ人が街に出ていて、何も言われなければ緊急事態とはとても言えないような雰囲気だった。ともあれ、「ちょっと気合を入れて歩くと、まったく表情の違う街にすぐに行ける」とい東京の醍醐味を久しぶりに実感した日であった。子どもがかなりの歩行距離に耐えられるということは、なかなかの新鮮な驚きだった。

 

☆☆☆

 

しかしながら、38歳、都心に家を持って、2人の娘を育てているというのは、我ながら本当に誰かの人生のようだな。もしオリジナリティに乏しいなんていう批判があったら、残念ながら僕はそれを否定する材料を持たない。オリジナルであるって本当に大変なことだし、多くの場合コストに見合った果実も得られないので、ある程度の努力で手に入る予定調和的な落としどころが一番快適だとわかってしまったのだろう。このあたりの心境の変化は、3年に一度くらいしかツアーをやらなくなって、セットリストの多くを過去のヒット曲が占めるようになるミュージシャンを彷彿とさせて、若干寂しいものがある。でもまだリスクはとれるはずだ。まだ僕は自分の人生の可能性を信じている――青臭くて恥ずかしい物言いではあるのだが。