なんてったってクレイジー

なんというかタイトルからしてもうヤケクソ感が漂っているのだが、11月も終わろうとしているので、申し訳程度のアップデートを記載しておく。前のエントリからして程なくして誕生日を迎えたものの、年一番の繁忙期で、脳がハングアップしたPC状態のようになっており、仕事以外の全てをほぼドロップせざるを得ない状況であった。雑に言ってしまえば、今月やったことは来年の顧客セグメンテーションと組織設計の詰めである。このプロセスについては毎年そうなのだが、トップダウンと現場の泣きとの間との調整で、正直心身共に疲れてしまった。とりあえずピークは越えた(と思う)ので、12月を平常運転モードで乗り切って、早く年末休みに入りたいところである。

 

今年は年初にけっこうカラフルな(当社比)個人プランを立てたのだけれど、結局、件の感染症と忙殺とで、結果的には自分史上最もモノクロな一年になってしまった――正確にはまだ終わっていないが、99%そうなるだろう。個人的に「今年の漢字」を決めるのであれば、これはもう「家」以外にはありえないくらいである。というわけで、2020年の最後を少しでもvividにするためにも、今年は少し早め、クリスマスの時期から冬休みに入ることにする。たぶん誰も文句は言わないだろう。で、家で黙々と中国語の練習をしたり、pythonの基礎固めをやったりするのだ…これはあまりカラフルとは言えそうもないな。本当はそろそろ一度実家にも帰りたいのだが、状況が状況なので、どうしたものかといったところである。

 

ともあれ、今年もあと一か月。次はもう少しマトモな記事を書きたい…ブログに関しては、我ながら本当にこれを言ってばかりだな。

分断の風景

相変わらず忙殺されっぱなしで10月も終わってしまった。来年のプランニング関連の業務がピークを迎えている時期であり、いきおい稼働も重い日が続いている。まあそれはそれ、これはこれということで、今思いついた2~3について、メモのようなものを残しておく。読者のほうを向いていないと言われれば、そうした批判は甘んじて受け入れるしかないのだが、過去に自分が書いてきたそれらの「メモ」群は、過去の自分を振り返ったり、考えを整理するのに一定の役割を果たしてきた。以下のメモもいつかそうなるのだろうか――それともインターネットという広大な宇宙に存在するデブリの一部になるのだろうか。

 

☆☆☆

 

すでに一か月近くが過ぎようとしているが、2020年10月はエディ・ヴァン・ヘイレンが彼岸に渡った月として、ロックンロールの――ハードロックの、と言ったほうが適切か――歴史に記録されるのだろう。ギターを弾くものの端くれとして、彼の訃報を見かけたときにはそれなりにショックを受けたから、僕よりもコアな人たちの悲しみは推して知るべし、といったところである。というわけで、この10月は中学生以来というくらいにVan Halenをよく聴いた。歴史に残るギタリストでありバンドだから、この期に及んでコメントするのも野暮でしかないのだが、本当にdistinctiveというのがぴったりの人たちだな、思った。中域の豊かなギター、抜けの良いスネア、巧みなコーラスワーク…。旧い友人と「いつかVan Halenを見に行こう」と言っていたけれど、それも叶わない約束になってしまった。ボンゾをなくしたZeppelin同様、エディをなくしたVan Halenももうかつてのそれではありえないからである。そういうわけで、一人部屋で”not enough”を聴いて追悼する。この曲の最後のコーラス、”love is only to share…”の部分を、僕はもうかれこれ25年間も口ずさみ続けている。そしてきっと、これからもずっと。

 

☆☆☆

 

またフランスはニースで痛ましい事故が伝えられた。19年前の僕が毎日その横を通っていた教会での3人の殺人である。2016年のテロのときもそうだったけれども、やはり過去に自分が影をを残した場所がこうして汚されていくのは耐え難い。フランスでは2週間前くらい前にも風刺画をめぐる諍いから教師が殺害されており、かの国における分断の問題の深刻さが、ここに来てまた浮き彫りになっている。時を同じくして、アメリカでも同種の問題が、例の”black lives matter“と大統領選を通してクローズアップされており、「フラット化する世界」と謳われていた10数年前からすると、隔世の感を感じざるを得ない。ビジネスの文脈でも、昨今しつこいくらいに多様性が強調されるけれども、それは他者に対するフォビアを根本的に拭い去ることができない、人間の醜さを隠すための方便なのではという気さえしてしまう。

 

☆☆☆

 

明日には39歳になる。あまり響きがセクシーではない年齢だな、と思う。年齢はやはり素数がいい。まあそれはそれとして、40代を迎える前の一年が、素晴らしい年でありますように。

神無月も走る

また2週間経ってしまった。マトモに――だといいのだが――企業人として働きながら子どものあれやこれやに対応していると一週間くらいはあっという間に過ぎてしまう。だいたい20日くらいの3日が1週間に相当するくらいの時間間隔である。年齢的にはほぼ倍になっているので、たぶんそれに応じて内的時間の過ぎるスピードも加速しているのだろう。となると、後半生というのは、自分で意識的にギアを変えない限りは、なにかの後日談のようにあっという間に終わってしまうのではないか――そんなことを思う。ただ、それに対して、今の僕は特に恐怖を抱いてはいない。それが諦めなのか、退廃なのか、それとも成熟なのかは不明である。

 

☆☆☆

 

久しぶりにオフィスに行く。3月に原則自宅勤務になって以来の出社である。半年ぶりのオフィスは人もまばらで、まるで一度退社した会社にOBとして入ったような、不思議な感覚を覚えた。ほとんど毎日通っていた食堂もカフェももちろん閉まっていたのだが、無人のスペースの中、なぜか音楽だけは半年前と変わらず50年代のジャズが流れており、そのせいか現実の次元が歪んでいくような、奇妙な感覚を覚えた。一方で、ガラガラのオフィスの働き心地は最高で、特にプリンタが使い放題なのと、トリプルモニタで作業ができることが生産性に与えるインパクトが大きいことを改めて実感した。いまの流れだと、おそらく来年以降も自宅勤務がデフォルトになる可能性が高いと思うが、できれば週に一度くらいはオフィスに来て、自宅ではできない作業を集中的にするというサイクルがよいのではないかと思う。せっかく近くに住んでいるのだから、なおさらである。

 

☆☆☆

 

先日キャンプでご一緒した、娘の友人のお父様から、僕の勤めている会社を受けたいので、ぜひいろいろ教えてほしいと依頼があった。仕事の関係で会ったことのある人たちからそういうことを言われるのは時々あるのだが、まさかそんな身近なところか仕事関係の依頼があるとは思ってもいなかったので、これはなかなか驚いた。というわけで、人もまばらな雨の週末のカフェで、レジュメを持ってきてもらって(僕より年上だし、立派な経歴の人だった)、いくつか実践的なアドバイスをした。ビザスクなんかで見てみると、こういう個人指導に1時間1万円くらいとることも珍しくないので、手前味噌な話ながら、おそらく彼からすればずいぶん得だったのではないかと思う。しかし、本当に人と人というのはどこでつながっているか、どこでつながるかわからないものだなと思う。

 

☆☆☆

 

90年代にあったいくつかの出来事について書こうと思っていたのだが、今日は遅いのでまた次回。

富士へ

結局また2週間経ってしまった。いつも書いているとおり、週に一度くらいは記事をアップしたいと思ってはいるのだが、だいたい忙殺されていることと、仕事漬けでキャッチ―なネタに乏しいというふたつの理由により、どうしてもこれくらいのペースになってしまう。まあ細々とした個人ブログだし、いきおいそんなに高い期待を寄せられているわけでもないと思うので、無理のない範囲でぼちぼちとやっていこうと思う。とはいいつつ、もう5年もここに戯言を書き続けているのだから、これはこれでちょっとしたものである。

 

☆☆☆

 

子どものリクエストに応え、連休は富士山のふもとでキャンプをした。3家族合同という、僕にとっては新しい形式の集まりである。子どもが発端となってそういう機会に恵まれたことを考えると、ああ彼女はもう彼女の社会に生きているのだなという、なんとも言えない感慨のようなものが感じられる。雨の予報ではあったものの、当日はほとんど降雨はなく、涼しい空気の中でのんびりと食事とお酒を楽しむことができた。夜は娘を含む女子小学生3人と同じテントに寝るという、これまた新しい経験だったのだが、これはもしペドフィリアの人だったら楽しくて仕方ないのだろうな、と思った。帰りは東名が今年一番の渋滞で、たかだか150kmくらいの道のりに7時間もかかってしまったが、総じてよい休日の過ごし方だったと思う。

 

☆☆☆

 

キャンプから帰ったのもつかの間、休日をつぶしてビジネスレビューの準備。3日連続で26時までかかって、なんとか木曜のレビューを首尾よく終えることができた。それはそれでまあいいのだが、この文書作成作業は、ものすごく労働集約的というか、僕の気合いだけでなんとかしている状態なので、そろそろなんとか自分なしで回る仕組みを考えないと、遅かれ早かれ限界が来てしまうだろう。実際、レビューが終わったら木曜から日曜の今日まで、疲れから昼間はほとんど何もする気が起きなかった。それくらい消耗が激しいのである。このあたりをどう改善していくかは来年の課題としたい。

 

☆☆☆

 

朝から竹内結子の訃報。僕は特に彼女のファンというわけでもないけれど、どう見てもそういうことをしそうなイメージはなかったので、朝ネットニュースを見たときはさすがに言葉を失ってしまった。人から見れば順風満帆の人生に見えただろうが、本人にしかわからない葛藤があったのかもしれない――というか、ない人などいないのだろうが。『ノルウェイの森』の世界が現実を侵食していくようなおそれを感じた。

 

いずれにせよ、死者は何も語らない。残された子どもたちのことを考えると、やはり胸が痛む。

近況

いろいろバタバタしているとはいえ、さすがに3週間何もアップしないのはブログとしてどうかと思うので、小文を載せておくことにする。わりとそういうところは生真面目なのかもしれない――が、自分のそういう生来の気質が、人生のどこかで役に立ったかというと、どうにも答えようがないというのが正直なところである。まあいい、とにかくいまは日曜の深夜で、僕はこの後発音練習をしたら寝なくてはならない。

 

☆☆☆

 

もうすでに時間がけっこう経ってしまったけれど、10日くらい前の白井聡氏の某ソーシャルメディア上での失言をめぐるやりとりは、傍で見ている者としてはなかなか興味深かった。彼の行ったことはどうみても言論テロの一種なので、社会的に許されるべきものではないけれど、まあその点は各所で叩かれていたので、ここでは特に問題にしない。僕が個人的に一番気になったのは、彼の顔である。写真に写った顔が、あまりにも幼いのに驚いてしまったのだ。人文学者としての彼の業績はさておき、顔に経験の蓄積のようなものがまったくといっていいほど見られなかったのである。矛盾、韜晦、葛藤、相克、、、その手の感情の集積は、40前後の男だったら、誰しも多かれ少なかれ顔に出ているものだ。でも僕は彼の顔に、そういった種類の陰影を感じることはできなかった。そして、そのことに若干の怖さを覚えた。

 

☆☆☆

 

また政治の季節がやってくる。とはいっても、もう次の総理大臣も事実上決まったようなものだし、そうなると大幅な路線変更はないのだろうけれども。個人的に金融緩和を続けてくれるのはウエルカムなのだが、あまりにも税金が高すぎるので、その点だけは本当にどうにかしてほしいと思う。幸いなことに、昔よりも経済的には恵まれているけれど、所得税やら社会保険料やらがわんこそば的に盛られていくので、やっぱり日常的にはサイゼリアなのである。そりゃシンガポールに人も流れるよなあ、と思う。

 

☆☆☆

 

もう遅いのでこれくらいにしておく。今週は社内研修講師業。僕は古文がセンター試験5点だったのだが、そんな自分が「ビジネスライティング基礎講座」を教える立場になったことを考えると、人生は本当に何が起こるかわからないなと思う。

摂理としての落日

先週はお盆ということもあって、海外関係の仕事以外は軒並みオペレーションが止まっており、いきおい非常にゆっくりとした一週間であった。昨年のお盆に、CEO Review用の資料作りでヒイヒイ言いながら仕事をしていたのが嘘のようである。さらに、明日からは自分の夏休みが5日間続くので、今月はほぼ半分休みのようなものである。とはいったものの、暑さとウィルスのせいで外に行くのも億劫なので、例によってほとんど自宅待機という、色気にも面白みにも乏しい一週間になりそうだ。考えてみると、社会人になってから、夏に一週間まとめて休めた年はこれまでなかったし、それらのささやかな休みはほぼ家族と過ごしていたので、自分でその中身をデザインできる――今年は制限が多いが――休みというのは、大学院生のとき以来なのである。もちろん家庭のオペレーションを回しながらなので時間的な制約はあるけれども、この神様からもらった時間を大切に使いたいと思う。

 

☆☆☆

 

先週日経で面白かった、EconomistによるGoogleに関する記事。ちょっと冒頭の原文を引用してみる。

 

It may be just 21 years old, but Google is in the midst of a mid-life crisis. As so often in such cases, all seems well on the surface 

 

記事の主旨としては、従来のエスタブリッシュメントを否定し、創造性に根差した企業文化を作り上げてきたGoogleも、組織の硬直化やマンネリの波には抗えなくなってきている、というような話である。これはこれで読ませる記事なのだが、それ以上に、この冒頭の主語をGoogleから自分に変えても違和感なく読めることに笑ってしまった(”HE MAY BE just 38 years old, but fightpoverty is in the midst of a mid-life crisis. As so often in such cases, all seems well on the surface”)。おそらくは、企業であれ個人であれ、成長の勢いに陰りが出始め、第2・第3の方向性を見定めなければならないときがあり、僕にとっては今の時期がそれにあたるということなのだろう。その意味では、いま繁栄の絶頂を謳歌しているように見えるアメリカの大手IT企業群も、その最良な時期はすでに過ぎてしまったのかもしれない。ローマ帝国であれ、平家であれ、ブルボン朝であれ、栄華を極めたものが衰退しなかった例など、歴史上にただの一つもないのだ。無論、それは個人のレベルでも同様である。

 

この困難な課題について、記事はこう締めくくられている。"Google’s best way forward is to follow the advice often given to victims of a mid-life crisis: slim down, decide what matters and follow the dream"――なんというか、とても他人事には思えない。

 

それにしても、久しぶりにEconomistの英語を読んだけれども、相変わらず知的かつ重厚で、普段仕事では満たされない部分の知的好奇心が刺激されるのを感じる。もう少し日常的に読むことができればよいのだが。

 

☆☆☆

 

来週は休みなので、できれば平日に一度くらいは更新したいところである。繰り返しになるが、ほぼ自宅待機で一週間休みというのは本当に妙なものだ。外の強烈な暑さとも相まって、ちょっとしたディストピアではないかという気さえする。

一路西伊豆

前のポストからそろそろ一週間になるので、先週のことを中心に記録をしておく。

 

☆☆☆

 

久しぶりに西伊豆に行く。そう遠くに行ったわけでもないのだが、4か月間の引きこもり生活を経て久しぶりに東名を走ると、やはり相応の開放感が感じられる。当地ではのんびりと温泉に浸かり、海辺で子どもとの水遊びに興じた。いつの季節に来ても温泉はいい。こういう時期なので、もしかしたら軽く迫害されるかもと若干懸念があったのだが、杞憂に終わってなによりである。暑いうちにできればもう一度海に遊びに行きたい。

 

☆☆☆

 

世間は盆ということで、仕事がやや落ち着き気味になっているからだろうか、中だるみ感のようなものを強く感じている。ささやかな旅行をしたとはいえ、極度に人とのかかわりが少ない日々が続いていることで、その傾向に拍車がかかってしまっているのだろう。あまり好ましくない状態だが、幸いお盆開けの週は僕も丸一週間の休みがとれそうなので、自分なりにここ数年のことをしっかりと整理したいと思っている。何しろ日々の雑事に追われて、その手のメンテナンスをずっと後回しにしてきたからだ。中国語とPythonの学習にもある程度まとめてリソースを投下したいところである。あとは久しぶりにマトモな学術書が読みたい――自分の中にもまだ欲求と思しきものが残っているのだな、と思う。

 

☆☆☆

 

今日はもう遅いのでこれくらいで筆をおくことにする。ざっと書くと、なんだか文体も夏バテしているような気がする。たぶんあまりにも暑いので、ややこしいことや高尚なことを脳が拒否しているのではないかと思う。そう考えると、よく会計士試験をグアムなんかで受けていたなあと思う(いま思い出してもなかなかしんどかった)。