日本語が恋しくて

ひとつ前のエントリで書いたとおり、最近は英語のほうのブログのほうをよく書いているのだが、やはりなかなか納得できるものが書けない。まあ無理もない、僕の日本語の数と英語の語彙数はおそらく5倍くらいの差がある。そうなると何万ピクセルの表現だろうと、初期ドラクエ的なドット画になってしまうのは致し方ないところだろう(端的に言えば、こういう表現は英語ではできない)。にもかかわらず、あちらのほうは世界のあちらこちらからアクセスがある(たとえばウクライナとか)。ロシアから現在進行形の抑圧を受けて苦しんでいる人々が、こんな東洋のサルの書いているクソブログを読む理由なんて、正直なところさっぱりわからない。もしかしたら、こいつ英語ヘタだな、ぷぷ、とほくそ笑んでいるのかもしれない。知ったことか。

 

もともとこのブログは、個人的な日記を細々と書いて、ひっそりと運営していこうと思ったのだが、ちょっとマトモなものでも書こうかなあと思っている。これまた誰かはわからないけれど、ちょくちょく来てくれている人がどうもいるみたいだからである。で、今僕が書きたいテーマをちょっと考えてみると、以下のようなものが浮かぶ。

  • 人文系の勉強をすることについて(その功罪)
  • 『紋切方社会』の素晴らしさについて
  • 『東京タラレバ娘』の辛らつさについて…これは書いている人が多いからやめておこう
  • 自然科学の本が読みたい(ブルーバックス縛り)
  • 品川区大崎の素晴らしさについて(アホかと)
  • 女性はわからない(アホかと)
  • 35歳という年齢について

と書くと、なんだかひどく自分が凡庸な気がする。まあ実際凡庸なのだから仕方ない。

ともあれ、マトモなものを書くのは次回だ。僕はあとふたつ契約書レビューをしなければならないのである。25時までには寝たいところ。がんばれ自分。