サーカス

3連休は瞬きのごとくあっという間に過ぎていった。草野マサムネは瞬きという一瞬の中に存在する悠久を歌ったが、残念ながら僕の瞬きの中にそんな詩情は微塵もない――いや、人生における恒久的残尿感についてであれば、僕もその一瞬にいくばくかの詩情を込めて語ることができるかもしれない。そんな満たされない思いを抱えて、僕はここ20年ほどずっと人間稼業をしていることになる。僕の人生に対する期待値が最後に満たされたのはいつだっただろう?

 

☆☆☆

 

サーカスを観に行く。サーカスというビジネス自体、動物愛護の観点から批判的に見られがちなので、会場の外では愛護団体が金切り声を上げているかと思ったのだけれど、まったくそんなものはなくて、やや拍子抜けしてしまった。きっとそういう団体も、政府批判が忙しくて、ロシアン・サーカスなぞにかまっているヒマはないのだろう。

 

会場に入ると、劣化した”Mr. Crowley”(のイントロ)みたいな曲がかかっている。席に座ってしばらくすると、ドブリージェーニな人々が入れ替わり立ち代り曲芸をみせてくれる。劣化版”Mr. Crowley”の時点でいくぶん予想できていたのだが、音楽が88年くらいで完全に止まってしまっており、正直ナツメロ以外の耳で聴くにはだいぶ厳しいものがある。たぶん”Get Wild”をそのままかけても、誰も違和感は持たないだろう。動物を交えた曲芸コンテンツもあまり新鮮味はなく(そりゃそうだ)、2時間観ているのは正直辛いものがあった。エンタメビジネスという切り口だと、2000年代以降はCirque du Soleilベンチマークとならざるを得ないのだろうが、正直サーカスという切り口であちらを越えるというのはかなりハードルが高いのではという気がする。

 

まあ子どもは喜んでいたので別にいいといえばいいのだが。

 

☆☆☆

 

久しぶりに友人と会って、五反田のスペインバルで白ワインを飲みながら、35歳以降の人生をどう生きるべきかについて話す。話しているうちに、「35歳以降の人生は果たして消化試合なのか」という点が論点になる。まあある意味では、その問いに対する回答はYesなのかもしれない。9月26日あたりのヤクルト対広島みたいなものだ。僕たちは、雇われでいる限り、どれだけ働こうが、会社という組織の中の閉鎖的な序列に組み込まれるだけである。子どもはかわいいが、究極的には彼ら・彼女らは、親から独立した意思主体であり、いずれ離れていく。

 

けれども――同時に僕は思う。そんな消化試合にだってそれなりの楽しみ方はあるはずだ。それを戦うチームには、ホームラン王候補だって、首位打者候補だっているかもしれないのだから。正しいかどうかは別として、今はそんなミクロな目的の中に楽しみを見つけるしかないのだろう。自分の中の首位打者をなんとかして見出しながら。

 

軽く酔って家に着いたら、無性にジャズが聴きなくなる。”My foolish heart”――スタンダード中のスタンダードなので、古今東西のミュージシャンが演奏しているが、やはりビル・エヴァンズのものが一番好きだ。甘いメロディに身を委ねながら、どうしたものかな、と考える。しばらくして回答を出すのを諦め、歯を磨いて床に就く。オートメーションに身を委ねるように。そんな暮らしが続いている。

 

☆☆☆

 

3連休だったというのに、個人的に自分に課している勉強やら読書やらはまったく進まなかった。月並みだが、子どもを育てるというのは本当に大変なことだなあと実感する。まあいい、今週もギリギリchopをテーマに全力で走ることにしよう。死んでからゆっくり休めばいい。