8月9日

なぜか今日急に気分が軽くなった。10年単位で抱え込んでいた荷物をふっと降ろしたような、不思議な心持ちである。なにが契機になったのかはわからないけれど、突然、自分の過去やら思い出したくもないような過去や、ひどく傷つけられた言葉なんかをひっくるめて、「まあ、どうでもいいじゃん」と思えるようになったのである。一時的なものなのかもしれないけれど、おそらくは喜ばしい変化ではある。過去に苛まれることほどに無意味な消耗はおそらく人生において他にないからである。

 

同時にしみじみと思ったのは、やはり親として少し子どもの成長をしっかりと見届けたいということだ。恥ずかしい話ではあるのだけれど、6年前に父親になったときは、子どもという存在によって人生の可能性がひどく狭まってしまったような気がして、正直複雑な思いを抱いていたところがあった。でも今日、本当に彼女たちは僕にとって大切な存在なのだと深く実感した――とても強く。こう書いてしまうと陳腐だが、身近にあるものがかけがえのないものだと気づくには、しかるべき時間がかかるのだということの一例だと思う。もっとも、文字どおり体を張って子どもを産む女の人で、こんなに出来の悪い人は稀だと思うけれど、男性で僕のような人はきっと少なくないのではないかと思う。

 

それにしても、なぜ今日だったのだろう?東京の気温が体温を超えたから?半日自宅勤務で子どもと一緒に過ごしたから?久しぶりにルソーを読んだから?ブラウザのエロサイトブックマークを子どもに見られたから?どれも適切な理由とは言えそうもない。

 

おそらくは僕の内面の側で、なにかしらの変化があったのだろう。でもそれがなんなのか、当の僕もよくわかってはいない。僕の中のなにかが、「おい、こんな荷物背負ってちゃ後半走れないぜ。なにしろこれから坂がもっとキツくなるんだから」とでも僕の脳に呼びかけたのかもしれない。

 

ともあれ、そういうわけで、僕はいくつかの荷物を降ろした。8月9日。この夏一番の暑さの日。