bon 盆 凡

世間は盆だが、僕の半径3メートルくらいは100%の平常運転である。庇護を必要としている小児がおり、平日に終わらなかった仕事の残り、読みかけの本、そして書きかけのエッセイがある。というわけで、今日も特に特筆すべき出来事のないまま、静かに陽が暮れていこうとしている。それを人は幸せと呼ぶのかもしれないが。

 

☆☆☆

 

ここに書いている雑文を書くという行為によって、僕はどれくらい自分の内面と向き合うことができているのだろう?急にそんな問いが頭をよぎる。そして、その問いに対する回答は、残念ながら、おそらく「ほとんどゼロ」である。もちろん、実名入りでSNSなんかに書き込むよりは、いくぶん自己対話的な側面が残されてはいるのだろうが、人に読まれることを前提として書かれた文章は、多かれ少なかれ虚飾の覆いをかけられる。太宰はルソーの『告白』にもいくぶんの虚飾が混ざっていると指摘しているが、まったくレヴェルは違うにせよ、ここに描かれた文にも、「等身大の僕」よりは、「僕が他者の目に対して投影したい僕の像」が描かれていると考えるのが自然だろう。

 

というわけで、久しぶりに大学ノートと鉛筆で簡単な日記を書く。もちろんどこにも公開する予定のないものである。それだけで心の中の排水溝を詰まらせていた髪の毛のようなものが、ずいぶん取り除かれるような気がする。不思議なものだ。

 

ところで、ルソーは彼の絶筆となった『夢想』を、誰かに読まれることを前提として書いていたのだろうか?おそらくはそうであるはずだ。あれだけの分量を自己のためだけに書くことはきわめて考えにくいからである。では、公開を前提として書かれ、そこに多少でも虚飾が混じっているとすれば、それは正統な意味での自伝と呼べるのだろうか?このあたりはルジュンヌによる浩瀚な研究書があったはずなのだが、詳しい内容は残念ながら失念してしまった。博士論文を書くなら、ぜひこのあたりのテーマで書こうと思っているので、後日また勉強したい。

 

☆☆☆

 

スピッツのアルバムを買いに近くのTSUTAYAに行く。いつもCDが陳列してあったスペースを見ても商品が見当たらなかったので、店員に尋ねたところ、CDは原則販売しないということになったとのこと。ついにここまで来たか、という思いがした。

 

結局、いつものネット通販で購入。アルバムはやはり安定のクオリティだが、ここ数作マンネリ気味になっているようにも感じる。一曲「夜を駆ける」に似た雰囲気の曲があって、個人的にはなかなか好みなのだが、本家の出来が良すぎるので、やはり比べるのは酷だなあと思う。

 

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ここ3ヶ月ほど、ドイツ銀行関連のニュースを見ていなかったので、今日まとめて確認した。大きな動きとしては、6月のストレステストに通らなかったことくらいか。CDSの価格は相変わらず200を上回っているので、破綻リスクが完全に払拭されたということはないだろう。それにしてもなぜ日本のマスコミはこの件をもっと大々的に取り上げないのだろう?もしものことがあれば、アイドルグループの解散なんかとは比較にならないほどの経済的衝撃があるだろうに。