雨にたゆたう

6月の雨の日曜日というのは、人生の意味とその空しさについてぼんやりと考えるにはおあつらえ向きである。疲れがたまっていたのか、体調もあまり芳しくなかったので、僕はベッドの上で過去あったいくつかの出来事についてぼーっと考えつつ、人生に果たして意味はあるのだろうかと自分に問いかけながら午後を過ごしていた。ニーチェ稲葉浩志は「そんなもんねえんだよ」と言う。僕も賛成だ。草野マサムネはバスが揺れたらその意味がわかったと歌った。そんなわけあるかよ。35歳にもなって、こんなヤクザな命題にに思いを巡らせている不甲斐ない父親の横では、もうすぐ2歳を迎えようとしている好奇心の塊がすやすやと寝息を立てていた。村上春樹の小説の一文が、ふと脳裏をかすめる。

 

「時々、泣くことができれば楽になれるんだろうなと思えるときもあった。でも何のために泣けばいいのかがわからなかった。誰のために泣けばいいのかがわからなかった。他人のために泣くには僕はあまりにも身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くにはもう年を取りすぎていた」(村上春樹国境の南、太陽の西』)

 

☆☆☆

 

先週から短期のプロジェクトに駆り出されている。僕のキャリアの中ではおそらく初めてとなる戦略寄りのプロジェクトなのだが、これが大変に難しい。業界の構造や慣習に通じていなければならないのはもちろん、各プレイヤーの動きやそれぞれの会社の利害関係者の考え方などの複雑な要素をうまく消化し、会議で適切な発言をして、なおかつそれを具体的な成果物に落とし込まなければならない。英語なので、アメリカ人のチームメンバーなんかと比べられると、その点でもやはりハンデがある。まあそれはそれとして、春秋戦国時代の軍師なんてのは、おそらくすさまじいプレッシャーだったのだろうなあと思う。なにしろ国が滅んだら王様以下一族郎党皆殺しの時代である。株式会社やらLLCやらが倒産しても個人の賠償責任になることはないのとはずいぶん違う(債権者集会で罵声を浴びせられて石を投げられるのはまああるけれど)。現代の戦略コンサルの人々はどれくらいの覚悟を持って日々の業務にあたっているのだろうか。

 

まあいわゆるファイナンス、とりわけBusiness partneringのキャリアを突き詰めていく上では、ビジネス戦略に明るくならねばならないというのは自明なので、よい修行の場と思ってがんばろうと思う。そういえば実務経験が長くなってくると、古典を読むのが面白くなると大学院時代の恩師が言っていたけれど、確かに最近そういう普遍的な作品が読みたいなあと思うことが多い。ぱっと思いついたのは、『戦史』と『ガリア戦記』。ぜひ夏休みに読みたいなあと思っているのだが、せっかくの夏休みに岩波語を読んでも肩が凝ってしまうだけのような気もする。光文社から新訳は出ていただろうか。

 

☆☆☆

 

Lonely at the Top: The High Cost of Men's Successという本を読んでいる(Kindleで800円程度とかなり割安だった)。これは要するに、男性は女性に比べると孤独になりがちで、そのことが自殺をはじめとする男性の不幸につながっているという主旨の本である。なかなか示唆的なことがいろいろと書かれているので、ぜひ今週いっぱいくらい読みきって、次回はちょっとした感想でも書ければいいなあと思う。

 

なんか全体的に暗いエントリだけど、まあそういう時期なのだろう。