走れ師走よ

一応年内の業務もひととおり終了し冬休みになったのだが、ここ1ヶ月ほど、仕事も勉強も目の前のことを片付けるのがやっとで、視野が極度に狭くなっていたように思う。何であれ、全体像を欠いたままに走り続けるのは精神衛生上褒められたものではない。地図がないままに高速道路をずっと走っているような気分になる。というわけで、その地図の中に自分を位置づける作業を行うのが、この一週間の課題となる。

 

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冬休みに入ったことで少し時間ができたのか少し魔がさしてしまい、アカウントを作りっぱなしにしておいたFacebookで、8年前にフラれた女の人のページをこれでもかというくらい見まくってしまった。「何やってんだろ、俺」と思いつつ、深夜一人で過去5年分くらいのエントリと写真に一気に目を通す。僕がコメントできる立場かどうかはよくわからないのだが、彼女はやはり美しかった。もちろん、20代の特権の肌の輝きや、有無を言わせず人目を惹いてしまうような美しさはいくぶん失われてしまっていたけれども。そしてまだ結婚はしていないようだった。いずれにせよ、その画面が僕に伝えるのは、その8年という空白の長さと重さ、そして彼女の人生のポートフォリオの中に、僕という人間がすでに存在していないという事実、それだけだった。

 

そして、この行為の代償として、僕には当然のごとく鬱症状が訪れる。2、3日くらい、仕事も勉強もほぼまったく手につかなかった。もしこれがなかったら、ブログももう少し早く更新できていただろう。そう考えると、SNSを見るという行為は、少なくとも僕にとっては、自傷行為以外の何ものでもないのである。というわけで僕はFacebookのアカウントを消し、ブラームスを聴いて、自分に対しての手紙を数枚書くことで、なんとか気持ちを落ち着かせた。何度同じことをすればその愚かさに気づくことができるのだろう。

 

ちなみに、忘年会で酔っ払ってこの話をしたら、「お前本当にバカだな」と参加者全員にボロクソに言われた(そりゃそうだ)。上司は「ルビーの指輪」を、先輩格のマネージャは”Over”を歌ってくれた。

 

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なにかほかにもいろいろ書きたいことがあったのだが、失念してしまった。それだけ上記行為の代償が重かったということだろう。とりあえずは淡々と経済学の宿題を進め、年が明けたら『いきの構造』を読みたい…のだが、後者はちょっと厳しいかもしれない。とにかく師走よ、走ってくれ。僕にとっては、今年はいささか密度の濃すぎた年だった。ずっとエスプレッソみたいな日々が続いたのだ、最後の2日くらいはアメリカンでもいいじゃないかと思う。