社会階層

授業2本と打ち合わせ2本で計4時間半。それらの準備に土曜日の半日を充てているので、土曜のうちだいたい10時間くらいは学校関連の活動をしていることになる。まあその良し悪しは措いておくといて、これでようやく明日は一日頭脳労働から離れられるので、子どもと一緒に動物園か水族館にでも行こうかと思っている。つまり明日は肉体労働である。

 

☆☆☆

 

昨日はめずらしく少し早めに帰宅することができたので、井上尚弥の世界戦でも見ようと思っていたのだが、台所で洗い物をしているうちに終わってしまい、拍子抜けしてしまった。まあこのご時世なので、あとで動画はいくらでも見られるのだが、1RでKOというのもなんとも言いがたいものがある(まあ彼の試合はだいたい5、6Rくらいまでに終わってしまうのだが)。ともあれ、あの生意気そうな眼は個人的に大好きである。あの左ボディはまともにくらったら当然相当に痛いのだろうな。

 

☆☆☆

 

今日は久しぶりに絶望感のあふれる日であった。どうも日中一人でPCを長々と見ていると、そういう気分になりがちでよくない。過去にあった思い出したくもない出来事や、他人の楽しそうな姿(セックス含む)を思い浮かべてしまって、だんだん卑屈な気分になってくるのである。それでも、今日はとんぷくとして、Waltz for Debbyがてきめんに効果を発揮してくれた。もう冒頭のピアノの音を聴くだけで、心のひだを優しくなでられているような気分になってしまい、泣きそうになる。村上春樹は、リバーサイド時代のビル・エヴァンズを「自我が濾過されて宝石に変わっていくような」と評していたが、本当に一音一音が宝石としてこぼれおちてくるようである。昔ほど熱心にジャズを聴くことはなくなってしまったけれど、この曲が与えてくれる、人をやさしさと哀しみで包み込むような感覚は、初めて聴いたころから少しも変わっていない。

 

☆☆☆

 

最近外国の人と仕事や勉強をすることが多いなかでとみに思うのだが、国籍や文化の違いによる感覚の差異というのは、僕たちが思っているよりは小さいのではないかということだ。例えば、「あいつ空気読めてないよね」というのは、国籍問わずやっぱりお互いわかるものだし、笑いのツボもさほど変わらないことが多い。もっとも、これは僕が普段一緒に仕事しているのは、だいたい多国籍企業のマネージャーやディレクターであり、当然しかるべきレベルの教育を受けている人たちである。そうなると、少なくとも実務レベルで「話が通じにくい」ということは実はあまりない。それに対して、同じ日本人同士でも、基本の生活指針や教育水準がまったく異なると、悲しいほどに話が通じないということが起こって、唖然とすることがある。あまり認めたくはないのだが、ブルデューの言っている社会階層というのはこういうものなのかなあと考えさせられる。いい悪いの話ではないのだが。

 

☆☆☆

 

これからCLの決勝なのだが、非常に眠いのでたぶん寝てしまうのではないかと思う。