入院、面接、お弁当

もう25時を過ぎているということもあり、寝たほうがいいということは自分でもよくわかっているのだけれど、そろそろ書かないとまたしばらく機会を失ってしまいそうなので、パタパタとキーボードを叩く。深夜だというのに、外から入ってくる風はまだ気持ち生ぬるい。生きていることにどことなく現実感を感じない日々ではあるのだが、この生暖かさの感覚はそんな時間の中で非常に現実的であるもののひとつである。

 

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次女が風邪をこじらせた結果、肺炎に罹患してしまい、近くの総合病院に先週末から入院となる。共働きの宿命として、付き添いはほぼ不可能なので、ひとりで入院をさせることに。生まれてからずっと一緒にいたので、正直心配で気が気ではなかった。幸い入院していたのは4日間だけだったのだが、毎日18:30までに仕事を切り上げて、その後1時間面会というパターンを2日続けるのはそれなりにしんどいものがあった。なにより辛かったのは、20時に僕が病室を出るときに必ず彼女が泣いてしまうことで、それをふりきって外に出て行くときには、こちらも少なくない精神的ストレスを感じた。一方で、彼女と触れ合っている1時間は本当に親密かつ笑いの絶えないもので、「ああ、僕の人生の何分の一かは彼女のためにあるのだろうなあ」と改めて感じさせられることになった。僕の生きる意味は相変わらず不明だが、少なくとも彼女はその何分の一かを保障してくれているのだ、と。

 

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転職活動の続き。最終面接(4回)が終了した。結局、1時面接から数えると、計6回面接をしたことになる。最終面接では3回に分けて先方オフィスに行かねばならず、当然ながら時間調整にはそれなりに苦労することになった。それ以上に泣きそうになったのが、面接時の機器不調である。この会社の面接では、最終面接のうちのひとつの難易度が意図的に高く設定されており、その面接が事実上の最終関門となっているようなのだが、なぜかこの面接がビデオ面接であった。しかしながら、ビデオの通信状態があまり芳しくなく、通話がところどころで途切れがちになる。「多国間の試験で、同じ条件…どうして差別化に…説明してくれますか?」などなど。僕は僕で、この面接が勝負どころとわかっていたので、このトラブルはかなりショックであった。このことが結果にどう影響するかはわからないけれど、もし不合格だったら、やっぱりそこに文句を言いたくもなってしまうよなあという話。

 

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夏休みということで、週に3日にくらい妻が娘のお弁当を作っているのだが、少なくともそれは僕の基準からすると相当に凝っている。要するにおにぎりに海苔のデコレーションがしてあったりするわけである。「他のお家のお子さんもそれなりに可愛いお弁当を持ってくるだろうから、恥ずかしくないものを持たせねば…」というような無言のプレッシャーがあるのだろう。働く母への呪いと言ってもいいかもしれない。しかしながら、これはけっこう「囚人のジレンマ」的というか、消費者以外だれも幸せになれないのに、価格競争を続ける牛丼チェーン業界みたいな話で、母親を疲弊させているだけではないのだろうか(なかにはそこに生きがいを見出している人もいるだろうが)。都会では、子育てについて無駄に基準が高く設定されているようなところがあって、もう少しみんな鷹揚になればお互い楽なのになと思わされることが多いのだが、これもそのひとつではないかと思う。現実的には、設定された基準点から最初に外れるのはなかなか勇気がいるので、難しいことだとは思うのだが…。

 

ちなみに、僕も週に3日くらいは自分で弁当を作るけれど、ご飯といくばくかの野菜、それに冷凍食品を入れるだけなので、ものの5分もかからない。したがって、それらの3日間については、僕は昼にほぼ同じものを食べているということになり、僕はそれを「コピペ弁当」と呼んでいる。残念ながらあまり風流とは言えそうもないが、少なくともそこには、上述したような呪いはまったく含まれていない。