逃げとしての副詞

ここに書こうという気があまり起こらなかったのは、忙殺されていたというよりも、仕事で文を書き続けなければならなかったためかもしれない。僕が勤めている会社には、「フォーマルな報告書は原則ワードで書く」というルールがあって、フォントサイズ9で4~6枚の文書を書かなければならない。僕は今月それを日本語で2回、英語で1回書いた。これは考えを整理する上では非常によいエクササイズなのだが、極端に労力を要するというのも事実である。

 

なかなか面白かったのは、これらの文書に対するフィードバックで、とある人からは「君の文は副詞が多くて意味がストレートに伝わってこない」というコメントがあった。なるほど、副詞というのは、留保というか、条件付けというか、要するに逃げ場を作っているのだなと思った。ビジネスの場では「けっこう好き」とか、「友達として好き」というような、あいまいな修飾語は意味をほやけさせるので、あまり使うべきではない、というのが背景にあるようだ。なるほどな、と思った。大学院時代にフロイトの「否定」を呼んだときも似たようなことを思ったが、文章の書き方ひとつで、無意識のうちに逃げ場を作っている自分が出てしまうということについて、なかなか深く考えさせられた。

 

それにしても、社会人になって、それも資本主義の王道ど真ん中のような会社にあって、自分の文体について考えさせられるとは思わなかった。

 

☆☆☆

 

1月のラッシュが終わって、2月は少しゆっくりとした月になりそうである。とはいったものの、1年以上も慌しい日々を送っていたので、早めに仕事が片付くと、なんとなくどうしていいかわからないような気になってしまう。まずはしっかりと疲れを抜きつつ、何冊か本を読むところから始めたい。昔なら見向きもしなかったような、通俗的なんビジネス書が読みたい気分である。人間いろいろ変わるものだな、と思う。

 

☆☆☆

 

今年は自分のキャリアの中でも、ずいぶん海外出張の多い年になりそうである。上半期だけでもアメリカに2~3度行くことになりそうだ。とはいっても、別に飛行機が好きなわけでもないし、海外オフィスに行っても仕事をするだけなので、別に心躍るというわけではない。むしろ、家族マネジメントの点からすると課題が増える面のほうが多いので、なかなか困りものである。最近ちょこちょこと『あさきゆめみし』を読んでいるので、海外よりもむしろ西に足を伸ばしたい気分なのだが、今のところ行動を起こすだけのcompelling reasonは見当たらない。まあどうでもいい話なのだが。