劣等感が恋しくて

相変わらず激務の日々が続いている。会社では相変わらず、脳と小腸と足首を同時に手術するような荒療治が続いていて、いきおい僕も毎日深夜までPCを叩く日々が続いている。事務的なことだったらまだ救いがあるのだが、いろいろ変えることによって席や食い扶持を失う人も出てくるということで、時々人にひどく感情的な物言いをされるのがなかなか辛い。ともあれ、ここまでの規模の会社で、こんなアホかと思えるような改革を自分で回していけるというのは、得難い経験だとは思う…結果があまりいいものになるとは予想できないのも事実なのだが。

 

☆☆☆

 

いつから僕は何かを欲することをやめてしまったのだろう、と思う。10代の頃も20代の頃も、greedyとは言わないにせよ、人並みの物欲はあった。フェンダートライアンフ、ラフ・シモンズ…まだ世界に中心なんてものがあった時代だ。それから20年が過ぎ、収入の増加と完全に反比例して、世の中に欲しいものはほぼなくなってしまった――あえて言えば、時間、健康、それに良好な人間関係くらいだろうか。どれも金銭には代えられないものばかりだ。The best things in life are freeとはよく言ったものだな、と思う。性欲にも似たようなところがあるかもしれない。

 

とはいえ、である。本気で、狂おしいほどに何かを欲しないことには人間に本当の変化など訪れはしないことは、僕だってよくわかっているのだ。おそらく必要なのは、あの二度と戻りたくもない10代に毎日感じていた、強烈な劣等感である。多少方向性に問題があったにせよ、あの頃の自分には変わりたいという強烈な欲求と向上心があった。東京がまだはるか遠くの幻想の街のように感じられた頃だ。まさか自分が真っ当な会社員としての人生を歩むなんて露ほどにも思えなかった。「行儀よく真面目なんてできやしなかった」からだ。

 

そして東京の街は、僕に多少の財力を与えた代わりに、僕から劣等感を奪っていった。人はそれを凡庸な上京物語、あるいは幸福な会社員としての人生と呼ぶのかもしれない。でもそれは、僕が心の底から望むようなものではないのだ、きっと。人生はもっと好奇心に満ちた、ファンキーなものであるべきなのだ。

 

この話題、同世代とであればいくらでも話せると思うのだが、生産的な結論など到底出そうもないので、とりあえずこう締めくくっておく。「劣等感をもう一度」、と。

 

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これからお風呂で英語の勉強。寝る前にはちょっと『明暗』を読む。そろそろ『明暗』を再読すべき年齢に来ているのではないかという気がする。何の根拠もないのだが。