10年

ふと『夢想』の最終章を、ルソーがヴァラン婦人との思い出を語るところから始めていることを思い出した。たしかこの小品が彼の絶筆であったはずだ。稀代の変態にして革命の起爆剤となったこの天才は、死ぬ間際まで青春時代に好きだった女のことを考えていたのである――おそらくは少なくない数の男がそうであるように。そして、僕はこの思想家を嘲笑する権利をまったく有していない。

 

すでにその日は過ぎてしまったが、昨日はかつて深く深く恋慕した人の誕生日であった。10年以上も会っていないけれど、生きていれば40歳になっているはずだ。実質上自宅に軟禁されているという事実と相まって、時の重みが背中にのしかかってくる。40歳、10年――決して長くはない人生という尺度で測れば、どちらもそれなりの時間である。時は残酷なまでに淡々とメトロノームを刻んでいるのだ。けれども、交わされた感情や言えなかった言葉――それらの負債は未だ僕の中で保存され続けている。おそらくは死ぬまでずっと。その意味では、デュラスが”L’amant”で書いているように、僕もまた「25歳で年老い」てしまったのかもしれない。

 

こんな日は生産活動などするものじゃない。早めにベッドに行って、現在という時間軸の中に自分を沈めるべきなのだ。でもその前に少しだけブラームスを聴いてみよう。僕が自分の最後の青春と呼ぶもの、そんなものにほんの少し思いを馳せつつ。