帰ってきたフレンチマン(ウルトラマンではない)

重い腰を上げて久しぶりにフランス語を鍛え直すことにした。かなり雑なプランではあるのだが、COVIDがある程度追い付いたところで、あっち方面のポジションにアプライしてしまおうという狙いである。妻ともいろいろ相談したところ、「まあいいんじゃない?」というスタートアップ然としたノリでとりあえず進めることになった。子どもの学校とかいろいろ懸念事項はあるけれども、まあ後で考えればいい。

 

で、久しぶりにL’amantをフランス語で読むと、けっこう読める。おお、やはり昔取った杵柄というのはバカにできないものだなと思う、、、のだが、「仏語一人つぶやき練習法」でボソボソと一人で喋ってみたところ、まあものの見事に口が忘れている。まあこのあたりは3か月くらいかけて地道に鍛え直すしかないだろう。考えてみると、僕が一緒に仏語を――というか哲学を――勉強した友人たちは、軒並みその道の専門的なポジションについていたり、人によっては教科書を書いていたりするのに対して、僕が今ここで「基礎会話からやりなおします」というのは、面白みの中にそこはかとないペーソスを感じさせるものがある。まあ仕方ない、僕は過去の15年を資本制とともに生きてきたのだから。

 

これは一種のミッドライフクライシスなのかもしれないな、と思う。僕が見ているのは、20歳のときに見ることのできなかった、幻想としてのune nation francophoneなのかもしれれない、と。それが分かりつつも、僕はそれ、あるいはここではないどこかに進むしかないのだろうという気がする。東京という街がかつて与えてくれた刺激やダイナミズムを、今の僕はほとんどと言っていいほど感じなくなってしまったからだ。あまりにも多くのものがここにはありすぎるのだ。

 

というわけでこの極めて個人的なプロジェクトは粛々と進めつつ、明日も英作文に勤しむ。早く連休が来ないかな。