コーヒーと雨の日曜日

というわけで、7月より久しぶりにpeople managementをすることになった(ちょっと『夢想』の頭の書き出しみたいだ)。とはいったものの、例によって実務の量が減るわけではないので、しばらくは今行っている業務に人事管理が付加されるということになる。ちょうど業務量maxの6月がなんとか終わったので、7月はteam development関連の業務を細々と進めるつもり。そういう領域の仕事がだんだん楽しくなってきたのは、まあ年相応と呼べるかもしれない。

 

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よく知られた話ではあるけれども、東京の生活費は、比較対象に挙げられるような世界都市――例えば、ニューヨークやロンドン――に比べると相当に安い。例えばこのサイトでは、東京の生活費はロンドンより28%安いとある。後者の二都市だと、住宅費はだいたい東京の3割増くらいだし、500~600円でまともなランチはまず食べられない。言うまでもなく、これはバブル崩壊20年以上に渡って日本を蝕んできたデフレーションのためである。その根本原因については、すでに様々に論じられているけれども、日本の企業が世界的に存在感を失ってしまったことがその一因であることは、おそらく衆目の一致するところだろう。例えば、1994年のFT 500 global rankingには、150社弱の日本企業がランクインしている一方、2020年度版では50社程度になっている。当然ながら、90年代に日本が占めていた位置に割って入ったのは中国である。

 

なぜこのような凋落が起こってしまったのだろう?少なくとも日本人は、90年代以降も、満員電車に揺られてあくせくと働き続けきたはずだ。ネガティヴに言ってしまえば、それはあくまで近視眼的な、「戦車に竹やり」的な努力の仕方だったのかもしれない。それは、日本、それも東京という限られたマーケットに極度にローカライズされたアプローチである。それを考えると、まさに目下の関心事項である中学受験というのは、そうしたガラパゴス的な局地戦の継続に過ぎないのではないのか?結局それが目指すところは、これまで我々がそうであったような、前時代的なホワイトカラーの労働力を生産するだけではないのか?そして、前々から思っているとおり、どこかで日本以外のスタンダードに目線を合わせる機会があるのであれば、そこで一気にリスクを取って飛び込む必要があるのではないか?モスバーガーで230円のアイスコーヒーをちびちびと飲みながら、そんなことを思った。

 

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7/4、コーヒーと雨の日曜日。この後は投票所に行く。とりあえずの市民としての義務を全うするために。僕が子どものころに思い描いていた大人の休日はこんなものだったかな、と思う。その幻想の「大人」の像に、僕はまだ追いつくことができていない。それはきっと、どこまで行っても追いつくことのできない、幻想としての大人なのだろう。そんなことを分かりつつも、どうにかもがいて生きていかなくてはいけないなと思う。諦めとほんの少しの希望を抱えて。