前回予告したとおり、30代の終わりまでもうカウントダウンに入っているということで、自分なりにこの10年の振り返りをまとめてみたい。このブログに書かれていることは、原則として僕の個人的な関心に基づいたものだが、今回はとりわけその要素が強く、公共性やら公益性なんてものはほとんど考慮されていない。一方で、もしこのブログの読者の中に、僕よりも少し若い年代の人や、これから30代を迎えるという人がいれば、ここから何らかの教訓を引き出すことができるかもしれない。
1. ON
うまくいったこと
- 収入が増加した
- 起きている時間のだいたい7-8割は給与所得者として生活しているので、まずはこの点を挙げないわけにはわけにはいかない。年収は、30歳のころから比較して概ね3倍強に上がった。世間における平均の上昇幅がどの程度かは不明だが、会社勤めとしてはそれなりに成功している部類に入るのではないか。ドライバは、タイミングよくレイヤーの高いポジションに転職して、どのポジションでもそれなりに成果を挙げられたこと。トップスクールの一角でMBAを取得したことも間接的に寄与していると思う。
- マネージャ経験を積めた
- 前職と現職で、約4年弱の管理職経験を積むことができた。外資系の企画部門は人数が少ないことも多く、いきおい正式なラインマネージャとしての経験を積むチャンスが得られにくいことを考えると、こちらもハイライトと言えるのではないかと思う。これは、そういったポジションがマーケットで空いたときに、タイミングよく手を挙げられたことがよかったのではないかと思う。
- 業界内でのネットワークが構築できた
- あくまで給与所得者の間が中心ではあるのだが、テクノロジ業界を中心に、一定の成功を収めている人々――つまりマーケットの中で一定の能力と評判を勝ち得ている人々――と知己を得ることができた。これは業界のリーディング企業に続けて勤務したことと、僕の仕事がリーダーシップへのサービスを中心としたものであったことが大きい。
うまくいかなかったこと
- 焼き畑農業的な仕事を続けてしまった
- 業務時間のほとんどは目の前の仕事に追われていたことから、創造的な仕事や5~10年というスパンでものを考えるということができなかった。自分の能力開発計画やチームの育成プランなども、どちらかといえば「やっつけ仕事」になってしまっていたように思う。もっとやっておきたかったのは、今の仕事をスケールさせる方法を考えたり、10年後のトレンドを読んでそこから現在の投資領域を逆算したりするような作業だ。こういう点は短期的な影響は出にくいのだが、ちょうどここ20年の日本がそうであったように、競争力を徐々に蝕んでいくため、なるべくこのエリアに使用できる時間を増やしていきたい。
- 海外にいけなかった
- 30代の初めころは、「向こう10年を日本の外で過ごそう」と思っていたにもかかわらず、結果的には出張ベースの繰り返しという中途半端なものになってしまった。これは、32歳のときにMBAのアプライ先をフルタイム→パートタイムに変更したことと、いざ行こうと思った去年にCOVIDが蔓延してしまったことが理由である。40代で行くつもりではあるのだが、その場合、持ち家と子どもの教育という現実的な課題について真剣に考えざるを得ないため、フットワークの軽さという点においてはどうしても10年前に比べると劣後してしまっている感が否めない。
- スキル開発が遅れた
2. OFF
うまくいったこと
- 第二子が生まれた
- 自宅を購入した
- 東京でも屈指の利便性の高い地域に居を構えることができた。これにより、通勤にかかるストレスはほぼゼロになり、より業務に集中することができるようになった。購入時より地価は値上がりしているし、住宅ローン完済の目途も立ったので、住宅購入に伴う資産・キャッシュの管理も概ね成功しているのではないかと思う。
- 投資である程度利益が出るようになった
- 2010年代の官製株高を利用し、毎年投資でコンスタントに利益を出せるようになった。20代はそんな世界があることすら知らなかったことを考えると、少なくとも自分の中では大きな変化である。一方で、個人的にはもっとできた領域でもあったと考えており、特に昨年3月の暴落時にもっとアグレッシブに買い向かっておけば、おそらく手持ち資産は2~3千万ほどは違っていたのではないかと思う。この領域はまだ学ぶべきことが多いため、継続的に時間を投資していく必要があると考えている。
うまくいかなかったこと
- 子どもの学習をあまり見てあげられなかった
- 忙しかったと言えばそれまでなのだが、自分の理想とするほどには、長女の学習サポートに時間を割くことができなかった。そのためか、4か月後に迫った中学受験には未だ不透明感満載の状態である(幸い、学校での学習・成績は問題ないものの)。もちろん学習に集中する時期は人によって違いがあるので、あまり焦りすぎるのはよくないと思うのだが、低空飛行の偏差値を見ると、それなりに気が滅入るのも事実である。あと残された時間でどこまで準備できるだろうか。最終的にどこの学校に行くかももちろん重要だが、少しでも努力による成功体験を積ませてあげたいところである。
- 生活が非文化的になった
- ゲゼルシャフトにおける継続的な労働、そして子育ての宿命的な帰結として、自分の中に占める文化的活動の割合は大幅に低下した。これは日常のレベルで言えば、学術書を読む時間や楽器を練習・演奏する時間、より開かれた文脈で言えば、美術館やコンサートに行ったりする時間のことを意味しているが、この10年はそのどちらにもほとんど時間を割くことができなかった。このためか、超越的なものや過度な左派寄りの言説を自分には縁遠いものとして遠ざけてしまう――あるいはそもそも視界に入らない――ことが自然と多くなっていった。今は失われた時間の隙間をspotifyが埋めてくれているものの、それはすでに神話的な意味や「なにかよくわからないけれどきっと素晴らしいであろうもの」を僕に提供するものではない。
- 友人と会う機会が減少した
- これは僕に限った話ではないのだろうが、20代の頃に比べると友人に会う機会は激減した。ほとんどの友人が結婚して家庭を持っていること、日常で顔を合わせる機会が少なくなっていることを考えると、おそらくこれは自然な現象なのではないかと思う。自己啓発系の本には、「それはあなたが成長している証拠」なんていう記載も見られるけれども、そこに言いようのない寂しさを感じてしまうのもまた事実である。厳密に言えは、僕たちはまだ愚かだ。けれども、それはかつて僕たちがそうであったような特権的な愚かさではない。ピーターパンを信じられる時間はすでに終わってしまったのだ。そして、その扉は僕の人生において二度と開くことはない。
- 失恋の傷がいえきらなかった
- いつか東京タワーで受けた、あの精神的な傷はまだ癒えきっていない。日常的に痛むことはずいぶんと少なくなったものの、すでにそれは僕の人生における通奏低音のように未だ密やかに鳴り響いている。このことによる個人的な活動へのマイナスインパクトは甚大であり、失われてしまったエネルギーで例えばCFAくらいは取得できたのではないかという気がする。バッジョはあの輝かしいキャリアを「一本半の足で戦った」と述懐しているが、僕も30代の自分の人生を思い返すと似たような感慨を覚える(バッジョと自分を比べるのは、あまりに月とスッポンというのは措いておくとして)。その多くの作品において喪失をテーマとして扱った、フィッツジェラルドの諸作品に親近感を覚えるようになったことは、唯一ポジティブな点であったと言えるかもしれない。
3. 上記を総括して
全体としては、極めて教科書的な30代の10年であり、その意味では「いろいろありつつもそれなりうまくやった」というのが、自分なりの結論となる。一方で、「目の前の仕事」に過度にリソースを割いてしまい、それがOn/Off双方での機会損失につながってしまったという点は反省であり、この点をどう改善していくかは40代での大きな課題となるだろう。具体的にどの領域に対して、どういった方法で、どの程度のリソースを投下していくかについては、年末にかけて徐々に考えを固めていきたい。無論、その考えは固定されたものではなく、On/Off双方の状況を参照しつつ、適宜ピボットをしていく必要がある。
☆☆☆
本日新内閣が発足したけれども、戦略の具体性のなさに早くもやや落胆モードになっている。しばらくは個人投資家には辛い時期が続くかもしれない。月末に衆院選とのことだけれど、けっこう真剣に入れるところがなくて困ってしまう。海外トランスファーの制限が緩和されたら、すぐにそちらに舵を切るほうがいいのかもしれない。