日常としての週末

今週末も時間があると思って、平日に終わらなかった仕事をのんびりと進めていたら(こういうの本当によくないな)、 夕方から家庭内の雑事に時間をとられてしまい、あっという間に24時を回ってしまった。子どもたちが夏休みに入ったために、ロジ関係の調整が増加しており、けっこうな負担になっている。相変わらず心は痛みを発することをやめないけれども、いくつかの痛み止めの音楽を聴きながら、なんとか「普通の暮らし」を続けている。こういう家庭持ちゆえの「普通の暮らし」の閉塞感は、30代前半のころに嫌というほどに味わって、だんだんそれに慣れていったのだけれど、未消化の感情とそれが重なると、心に地縛霊を飼っているような気がしてしまい、若干辛いものがある。

 

とりあえず書きたかっただけなので、特に意味のないエントリである(まあ他の記事も大した意味はないのだが)。明日も実務がかなりしんどそうなので、あと1時間ほど明日の予習をしたら寝ようと思う。月並みも月並みなのだが、家族みんなですやすやと眠るのが、結局一番のストレス解消になっているような気がする。別に戦後核家族という形態を賛美しているわけではないのだが、地に足のついた実感として。