大阪・京都 秋の陣

11月頭の慌ただしい一週間が終わり、今年もクリスマスまであと7週間を残すのみとなった。それなりに動きの多い週だったこともあるので、備忘も兼ねて、あったことを簡単に振り返っておく。

 

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久しぶりに大阪に行く。というとなんだかそれなりの高揚感があってもよさそうなものだが、実際にはひたすら会議の資料作りに追われ、行きの新幹線の中から当地での滞在中に至るまで、ずっとヒイヒイ言いっぱなしの3日間であった。週末返上でオフィスにてスライドを50枚くらい作ったにもかかわらず、このザマである。当地でも前日25時までかかってなんとか間に合わせるという感じで、本番が始まる前にすでにHP一桁のような状態であった(しかもそこから深夜にカツ丼を食べに行くという無茶ぶりつき)。堂島浜のホテルが素敵であったことはささやかな慰めだったけれども、二晩とも帰りは24時過ぎだったため、僕が実際に得ることのできた付加価値は「快適に寝る」という一点のみであった。まあだいたいそんなものである。

 

とはいいつつも、リーダーシップの末席で、社長の発表というか、彼の心の声を聴くことができたのはとてもよかった。考えてみればこの人をサポートすることが自分の仕事の中心になって4年になるけれども、そういう個人的な思いを聴いたのは初めてだったなと思った。”leadership is a choice” - 彼はそう言った。おそらくはどのリーダーも、きわめて個人的な経験から、そういうスタイルを決めていくのだろう――もちろん僕も例外ではなく。体はボロボロだったけれども、そういう彼の言葉を生で聴けただけでも来た価値があったなと思った。

 

3日間の予定終了後は、京橋に寄って友人の墓参りをする。コロナで身動きがとれない期間があったとはいえ、前に来たのは6年前だという事実に今更ながら驚いてしまった。時の流れは本当に早い。駅の周りは再開発がずいぶん進んでいて、前に来たときの面影がすっかりなくなってしまっていた。

 

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大阪から東京に戻り、家族とともにささやかに自分の誕生日を祝った後、1日のオフィス勤務を経て今度は京都に向かう。今回は仕事ではなく個人的な試験のためである。前日に京都入りした上で、しっかりと6時間の睡眠をとって臨んだのだが、時間配分にやや手こずり、リスニングもリーディングも2、3問未回答になってしまった。加えて、作文も終了直前で規定文字数に届いていないことが判明し、流れに無関係な文を無理やり1行入れるという荒業を行ってしまう。一方でスピーキングはなかなか悪くない出来であった(と思う)。口述試験のあと、試験管が「そういえばあなたは仕事は何をしてるんですか?」と訊いてきたので、「(僕の勤めている会社名)で経営企画・管理の仕事をしてます」といったら苦笑いしていた。かの六角形の国では、僕の勤めている会社はあまり評判がよくないようである(知ってた)。まあ正直若干の不完全燃焼感はあるものの、このムチャクチャなスケジュールの中でそれなりによくやったと思う。

 

ちなみに筆記試験の後、スピーキングまでは1時間強の時間があったため、昼食は久しぶりに進々堂に行ってみることにした。かの店に前に足を運んだのはおそらく16、7年前になる。店の横にはエニタイム・フィットネスができており、時の流れを感じさせた。店で出てきたカレーはやや薄味だったけれど、もしかしたら京風だったのかもしれない。

 

試験終了後は、鴨川沿いを歩いて、出町柳の駅の反対側にある下鴨神社に向かう。試験が終わった解放感からか、過去へのノスタルジーか、自然とジュディマリの”KYOTO”が口をついて出てきた。「季節が変わる前に、、、」――たぶん僕はあの頃と何も変わっていない、そんなことを思いながら。

 

下鴨神社に着く。河合神社から下鴨神社の表参道に入るところで、ゾクっという感覚が体を駆け抜け、鳥肌が立つ。いつもながら基本的に超自然的なものは信じないのだが、こういうことがあると何かしらそういったものの存在があるかもしれないと思ってしまうのも確かだ。境内の雰囲気は、明らかな社格の高さを感じさせるものであった。大神神社が自然に由来するエネルギーをあるがままに放出している(しまくっている)場所だとすると、ここはより都会的かつ端正な形でそれが表出している場所だ。本殿に参拝を済ませ、ゆっくりと参道を引き返していく。一帯の木々の葉は概ね半分ほど紅くなっており、どこを見ても印象派の絵のような光景であった。

 

帰り道は七条から京都駅までのんびりと歩いた。今年初めて秋らしい日を過ごすことができた気がした。無理もない、都会のビルの中では良くも悪くも季節感というのは極めて希薄なのだ。人でごった返す京都駅でのぞみのシートに座ると、いつの間にか僕は浅い眠りに落ちていた。

 

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年末調整の時期ということで、10月末時点での収支計算をしてみたところ、10か月間の手取り収入の半分近くが税金の支払いに使われていることが判明する。道理で現金預金が増えないわけである。確かに昨年はRSUからの給与所得がけっこうなボリュームだったので、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、あんまりな話である。さらにここにきて自民党が諸々増税検討とか言っているので、さすがにおいちょっと待てと言いたくなってくる。こういうのが来ると、自分のためだけでなく、子どもたちのことを考えても、日本以外に足場を作っていくというのは必須だなという気がしてしまう。

 

 

※今回は新幹線の中で比較的時間があったのと、動きの多い一週間だったため、いつもよりやや文章が長めである。内容についてはいつもどおりのつれづれといったものではあるけれども。