春を待ちわびて

また久しぶりのエントリになってしまった。結局1月も半ば記憶が飛んでいるくらいに忙しく、そこに中学受験最終フェーズのサポートが入ってきたために、ぜんぜんブログなど執筆する気になれなかった。一応それらをひとつひとつ終えてようやくひと段落という感じではあるのだが、例によってそれら各イベントに付随する疲れが体の奥のほうに積み重なっているような状態なので、今日のところは簡単なアップデートのみ記載しておく。

 

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長女の中学受験が終了した。苦戦したものの、一応第一志望群の学校から合格がもらえたのでほっとしているところである。お世辞にもトップスクールとは言えない学校ではあるけれど、今の彼女の学力や精神的成熟度を考えれば、少なくとも及第点であることは間違いない。僕自身、立地も校風も気に入っているし、進学実績だって18歳で駒場にいることを目標にするのでなければ、十分な水準である。実際僕から見ても、ここ2、3か月くらいの彼女はそれなりに熱心に勉強していたと思う。とはいえ、ここ1年を総括してみれば、僕が自分に課しているスタンダードからすると、彼女の受験に向かうスタンスについては甘さばかりが目についたというのが正直なところである。小学生には当たり前なのかもしれないけれども、自分でスケジュールや優先度をコントロールしたり、いわゆるPDCAを回せないという部分はかなりギャップを感じてしまった。そして、僕は性格的に子どもの水準に自分を合わせるのが極度に苦手ということがよくわかった。本当に教師にならなくてよかったと思う。

 

次は僕がステージを変える番である。具体的には、1.5年以内に国外で$200K水準の仕事を見つけること。ようやく本格的に自分に時間を投資できそうなのでわくわくしている。

 

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仕事の話。今年からチームの人数が増え、徐々に管理業務に割く時間が増えている。自分でも笑ってしまうのだが、わりと真面目に「外資系マネージャ」的な仕事をしているのである。年相応なのだろうか、これまで人事管理なんて領域はまったくと言っていいほど興味のない領域だったのだけれど、だんだん人を動かすことの喜びみたいなものが少しずつ分かってきた気がする。言ってみれば、「パスの面白みに目覚めた」状態と言っていいかもしれない。しかしながら、就職して15年、いろいろありつつもそれなりに充実感を感じながら仕事を続けられていることに我ながら驚いてしまう。何のオチもない感慨というだけの話ではあるのだが。

 

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春がきたら久しぶりに関西に行こうと思う。「東大寺南大門が見たい」という長女の希望と、「USJで遊びたい」という次女の希望に応えるために。そして僕は、ずいぶん前に鬼籍に入ってしまった友人に久しぶりに会うために。まさにこれは「会いに行くわ 汽車に乗って」だな。春はもうすぐそこまで近づいている。

2022

そこそこ長い文を書くのは本当に久しぶりになる。今年の冬休みは13日間と、例年に比べても長めの休暇だったのだけれど、諸々の雑事+子どもの勉強フォローで、予想していたよりもずいぶん忙しく、気がついたら終わってしまっていたというのが偽りなき実感である。一方で、一度仕事が始まってしまうと、必然的にタスクの嵐になり、先週も終了が26時以降になってしまった日がすでに3回あった。まあもうそういうものだと諦めてはいるけれど、改めてタフな仕事だなと思う。

 

年一回目のポストなので、本来であれば今年の目標などを書くのが適切なのだろうが、プライベート・仕事とも繁忙期が続いている感じで、落ち着いて長期のことをあまり考えられていないというのが正直なところである。とりあえず目の前にあるものとしては、子どもに受験を首尾よく終えてもらい、僕は来年に昇進+海外トランスファーが実現できるよう、ひとつひとつステップを踏んでいきたい。少なくもそれらは、今の僕にとってはずいぶんと現実的かつ妥当なターゲットであるように思われる――いささか視点が低いとのそしりを受ける可能性はあるにせよ。

 

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新しくフランス語の辞書を買った。Robertやらの研究者向けのものではなく、学部の頃に使っていたPetit Royalの2020年度版である。最近使用されるようになった新つづりに対応しているのが現状この辞書のみというのが表向きの理由だが、実際にはもっと直感的なもので、ただ単に「新しく辞書が買いたかった」だけというのが主たる理由である。歳を重ねたからだろうか、この頃無性に辞書という存在に心が惹かれる。もちろん、電子辞書ではなくて紙のものだ。世界を表象するする言語――それはある意味では世界そのものだ――を両の手でめくるという行為が、いかに贅沢な行為であるのかを理解するのに、僕は40年の年月を要した。4,000円で買うことのできる僕だけのアジール。株取引をしていると手数料に消えてしまうようなささやかな金額だけれども、辞書を買うという行為に付属する金額として考えると、なにかそこには重さのようなものが感じられる。社会人として学習を続けるというコミットメントのようなものがそこに付属しているからだろう。ともあれ、悪くない投資だと思う。

Long time no see

しばらく書けていなかったのは、単純に忙殺されていたためである。年末恒例のTODO listをひたすらに消化していたら、もう師走も終わりに近づいていたという単純な理由だ。仕事自体はクリスマス・イヴから休んでいるのだけれど、家庭側での諸々の細かい作業がなくなることはないし、来年の仕事の準備も細々と続けているということで、どこまでがONで、どこまでがOFFなのか正直自分でもよくわからないところである。

 

今日はもう夜遅いので、日を改めてまた書こうと思う。それにしても、2か月近くも書いていないと、どんなことがあったのかを思い出すのにもウォームアップが必要だなと思う。年内にもう一記事アップしたいところである。

40

気がついたら40の誕生日はあっという間に過ぎ去り、もう日曜の深夜になってしまった。2週間も新規ポストのないブログはあまりよろしくないので、また申し訳程度の記事を書いておく。

 

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そういうものだろうとは思っていたのだが、思った以上に40歳の誕生日はあっけないものであった。平日なのに妻が少し洒落た夕食を準備してくれたのがいつもと違うくらいで、あとは朝から晩まで計11の打合せをこなし(げんなり)、夕食後は深夜まで手元のワークをこなすという、特別感とか祝祭性には乏しい一日であった。子どもの誕生日だと、僕としても気合を入れてケーキやプレゼントを買ってきたり、彼女たちが喜ぶ料理を準備したりするのだが、言うまでもなく僕はもう人生のそういう時期にはいないし、世の中の多くのこと・ものについて、与える側になっているのだなというのは改めて実感した。とはいえ、何年も続けて個人的にメッセージをくれる友人の存在はありがたいものだなと思う。

 

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上記の非祝祭性の反動というわけでもないのだが、一応僕のお祝いのひとつとして、翌日はちょっとお高いホテルのランチブッフェに行く。なかなかよいお値段ではあるのだが、驚いたことに当該レストランは満席であった。みんな長く家にいただろうから、外に出て、非日常を味わいたかったのだろうなと想像する。ちなみに料理はもちろん美味しかったのだが、一定量以上を食べると効用が下がってしまうことがわかっているので、全体的に「美味しいものを少しずつ」という、一歩引いた感じのランチであった。それにしても、脂質コントロールをしている人間がランチブッフェに行くというのは、爪の先ほどの説得力もないなと思う。まあ人間なんてそんなものなのかもしれないけれど。

 

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人文系アカデミアがいろいろ騒がしい。すでにtwitterをはじめ各所でまとめられているのでここでは詳しく言及しないが、とある女性の文学者に対する中傷により、それなりに名の通った日本史研究者が内定済みのポストを取り消されたというのが事のあらましである。驚いたのが、僕と昔いろいろあった女の人が、この女性文学者の側の支援者に名を連ねていることであった。ここで起こっていること事態は当人同士の言い分もあるだろうから、僕がいちいちコメントをするようなものでもないけれど、僕からすれば一企業の勤め人が所属先を明らかにして政治的なアクションをとるというふるまい自体がちょっと信じられなかった。もし僕が同じことをしたら、まず社内で厳重注意を受けるのは間違いないだろうからだ。PRやらマーケやらがそういうガイドラインを設けていないのかもしれない。もうひとつ思ったのは、時間あるんだろうな、という点である。30-40歳前後で、フルタイムの仕事と家族を抱えていたら、だいたいは政治的なアクションに関わったりする時間もリソースもないものだからだ(例外はあるのかもしれないけれど)。例えば僕の場合は、良くも悪くも(あんまりよくない)、ここ10年ほど月月火水木金金がずっと続いているので、必要以上に他人のことを気にしたり、自分に対する罵詈雑言に心を痛めたりする時間も持ち合わせていないのである。

 

ともあれ、このいざこざを見て、そういう世界に早めに見切りをつけてよかったなと思った。一方で、一度は深くコミットした世界ということもあるので、複雑な思いがないこともない。本件がどのように決着するのかはそっと見守りたいと思う。

過去からの手紙たち

 

また一週間経ってしまった。急に寒くなったので、こたつを出したり、今年初のおでんを煮込んだりと、なんというかひどく小市民的な生活を相変わらず送っている。もう少し生活に柔軟性を持たせたいのだが、今年度内は家庭内のタスクが重いのと、仕事が年一番の繁忙期に入っているため、個人的にはほぼロボットのように暮らしているような感覚である。そんなわけもあって、テレビから週末にSlackの通知音が聞こえたりすると、ひどくぐったりとしてしまう。どうやら人間は完全なロボットにはなれないようだ。

 

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ネットニュースをチェックしていたら、高校時代のクラスメイトが参院補選で当選確実という記事が現時点でのトップニュースになっている。おそらく彼の政治的な立場は、現在の僕の思想的・政治的な考えと異なっているとは思うけれど、旧友が大きな舞台で活躍してくれるというのは、やはり僕にとってもうれしいことだ。もちろん勝ったからというのはあるのだろうけれど、久しぶりに見た彼は、なんというかとてもいい顔をしていた。10年くらい連絡をとっていないけれど、久しぶりに会ってバカな話でもしたいなあと思った。

 

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インターネットでB’zミスチルがコラボレーションした”Everything”を聴く。これらのミュージシャンや曲は、半ば僕が青春を送った年代の通奏低音のようになっており、好きとか嫌いという次元の話では語れないようなところがある。当時を考えるとちょっと驚いてしまうようなこのコラボレーションは、9月の合同コンサートで収録されたものである。実は、時間が許せばこのライヴに足を運ぼうと思っていたのだが、日程・場所・状況などを考慮してチケット取得には動いていなかった。ともあれ、この録音を聴くと、90年代を生きた一人の人間としてはやはり感慨深いものがある。現場で聴いていたらおそらくイントロからひたすら泣いていたのではないかと思う。その感覚を的確に表現するのは、おそらく言語という手段は不自由に過ぎる。

 

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久しぶりにラヒリを読んでいる。『停電の夜』(なぜ邦題は『病気の通訳』ではないのだ?)。正確に言えばこの本を日本語で読むのは初めてであり、原文とのニュアンスの差が興味深い。僕の印象だと、小川先生は比較的シンプルな日本語を好む傾向があるので、彼女の文体には相性が良いのではないかという気がした(逆にフィッツジェラルドのときは、元の文の華やかさがややスポイルされているような印象を受ける)。このきわめて優れた女性作家の文庫本を片手に、また今日も夜は更け、秋は深まってゆく。

 

 

ささみとむね肉の日々

もう日曜の夜になってしまった。特にここ2週間で人生の方向性を変えてくれるような出来事があったわけではないのだが、一応ここは僕の人生のログのためのスペースではあるので、いつものように身の回りのことを淡々と記録していく。

 

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約1か月かけて読了したルソー研究書の感想めいたものをAmazonレビューに登録したところ、著者がtwitterで「(レビューに)感動した」と投稿していた。元々、「もしかしたら反応があるかもなあ」と思ってはいたのだが、予想以上に反応がよく驚いてしまった。本人もまさかかなりマニアックな部類に属する研究書を、一介の会社員が精読しているなどとは思ってもいなかったのだろう。しかしながら、こちらからは向こうのつぶやきが見えるのに、向こうからは匿名のレビューしか見えないというのは、現代ゆえのパノプティコン的状況であり、奇妙なものを感じずにはいられないものがある。考えようによっては、これも一種のストーカー行為と呼べなくもない。

 

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来年のプランニングが佳境に入ってきた。この会社、というか僕が属するチームの特徴ではあるのだが、年間計画作成という稲刈りのような恒例行事にもかかわらず、11月以降のマイルストーンが断片的にしか見えておらず、どんな落とし穴や朝令暮改があるのかさっぱりわからない。3年をこの組織で過ごすうちに、そうした曖昧さや無茶ぶりに慣れてしまった部分もあるのだが、昨年のようなほぼ徹夜でのドキュメント書きはいろいろな意味で遠慮したいところである。特にオチのない話ではあるのだが。

 

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なぜかまたダイエット熱が復活してきている。これは40歳の誕生日までにもう少しきれいに腹筋を割っておきたいという、個人的な目標のためである。これまではどちらかというと糖質カット型のアプローチをいろいろ行ってきたのだが、今回は脂質を抑えるという手法を試している。どちらも一長一短なのだが、通常のオフィス勤務だとおそらく後者のほうが難易度は高く、それだけに自宅勤務のメリットが活かしやすい部分ではある。普通に3食食べるだけで(特に外食の場合)、どうしても脂質50gくらいは摂取してしまうものだからだ。というわけで、僕の最近の食事はかなり鶏むね肉とささみに偏っており、おかげで体脂肪よりも早くエンゲル係数がめざましく低下している。ともあれ、個人的な楽しみがトレーニングメニューの開発とプロテイン選びというのは、なんというか根暗もいいところだなと思ってしまう。別に誰かに迷惑をかけているわけではないのだが。

 

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結局今週もほとんど独り言で終わってしまった。今週から一気に寒くなりそうだ。濃いめにコーヒーを淹れてブラームスを聴こう。

Decade in Review - 30代を振り返る

前回予告したとおり、30代の終わりまでもうカウントダウンに入っているということで、自分なりにこの10年の振り返りをまとめてみたい。このブログに書かれていることは、原則として僕の個人的な関心に基づいたものだが、今回はとりわけその要素が強く、公共性やら公益性なんてものはほとんど考慮されていない。一方で、もしこのブログの読者の中に、僕よりも少し若い年代の人や、これから30代を迎えるという人がいれば、ここから何らかの教訓を引き出すことができるかもしれない。

 

1. ON

うまくいったこと
  • 収入が増加した
    • 起きている時間のだいたい7-8割は給与所得者として生活しているので、まずはこの点を挙げないわけにはわけにはいかない。年収は、30歳のころから比較して概ね3倍強に上がった。世間における平均の上昇幅がどの程度かは不明だが、会社勤めとしてはそれなりに成功している部類に入るのではないか。ドライバは、タイミングよくレイヤーの高いポジションに転職して、どのポジションでもそれなりに成果を挙げられたこと。トップスクールの一角でMBAを取得したことも間接的に寄与していると思う。
  • マネージャ経験を積めた
    • 前職と現職で、約4年弱の管理職経験を積むことができた。外資系の企画部門は人数が少ないことも多く、いきおい正式なラインマネージャとしての経験を積むチャンスが得られにくいことを考えると、こちらもハイライトと言えるのではないかと思う。これは、そういったポジションがマーケットで空いたときに、タイミングよく手を挙げられたことがよかったのではないかと思う。
  • 業界内でのネットワークが構築できた
    • あくまで給与所得者の間が中心ではあるのだが、テクノロジ業界を中心に、一定の成功を収めている人々――つまりマーケットの中で一定の能力と評判を勝ち得ている人々――と知己を得ることができた。これは業界のリーディング企業に続けて勤務したことと、僕の仕事がリーダーシップへのサービスを中心としたものであったことが大きい。
うまくいかなかったこと
  • 焼き畑農業的な仕事を続けてしまった
    • 業務時間のほとんどは目の前の仕事に追われていたことから、創造的な仕事や5~10年というスパンでものを考えるということができなかった。自分の能力開発計画やチームの育成プランなども、どちらかといえば「やっつけ仕事」になってしまっていたように思う。もっとやっておきたかったのは、今の仕事をスケールさせる方法を考えたり、10年後のトレンドを読んでそこから現在の投資領域を逆算したりするような作業だ。こういう点は短期的な影響は出にくいのだが、ちょうどここ20年の日本がそうであったように、競争力を徐々に蝕んでいくため、なるべくこのエリアに使用できる時間を増やしていきたい。
  • 海外にいけなかった
    • 30代の初めころは、「向こう10年を日本の外で過ごそう」と思っていたにもかかわらず、結果的には出張ベースの繰り返しという中途半端なものになってしまった。これは、32歳のときにMBAのアプライ先をフルタイム→パートタイムに変更したことと、いざ行こうと思った去年にCOVIDが蔓延してしまったことが理由である。40代で行くつもりではあるのだが、その場合、持ち家と子どもの教育という現実的な課題について真剣に考えざるを得ないため、フットワークの軽さという点においてはどうしても10年前に比べると劣後してしまっている感が否めない。
  • スキル開発が遅れた
    • これは主にコンピュータ言語に関する部分が大きい。例えば、Pythonはもう少し早い段階で身に着けておきたかったし、SQLも未だ初心者に毛が生えたようなものである。良くも悪くも、社内に優秀なエンジニアが多く、このエリアは自分で手を動かすよりも、彼ら・彼女らに仕事を頼むほうが早いので、その分自分の能力開発が遅れてしまったように思う。また、英語も自分の期待値ほどまでには上達せず(いつになったら映画をノーストレスで見られるのか、、、)、フランス語は勉強時間の少なさからずいぶん能力が後退してしまった。経営理論や会計の最新トピックスのキャッチアップにもあまり時間が割けていない。

2. OFF

うまくいったこと
  • 第二子が生まれた
    • 一定期間の不妊治療期間の末、第二子に恵まれた。専門外来に、タッパー(?)に入れた自分の精子を自転車で運んだときは複雑な思いがしたものだが、幸いにも結果に結びついたことは僥倖であった。ちなみに今でも思い出すのだが、当該専門外来では、精子を外から持ち込む以外に「現場生産」というオプションもあるようで、その場合はしかるべきマテリアルが医院内で貸与されるとのことであったのだが、それがどういったものであったのかは個人的に見ておきたかった。閑話休題、次女は問題なくすくすくと育っており、長女とともに僕の人生に鮮やかな彩りをもたらし続けてくれている。
  • 自宅を購入した
    • 東京でも屈指の利便性の高い地域に居を構えることができた。これにより、通勤にかかるストレスはほぼゼロになり、より業務に集中することができるようになった。購入時より地価は値上がりしているし、住宅ローン完済の目途も立ったので、住宅購入に伴う資産・キャッシュの管理も概ね成功しているのではないかと思う。
  • 投資である程度利益が出るようになった
    • 2010年代の官製株高を利用し、毎年投資でコンスタントに利益を出せるようになった。20代はそんな世界があることすら知らなかったことを考えると、少なくとも自分の中では大きな変化である。一方で、個人的にはもっとできた領域でもあったと考えており、特に昨年3月の暴落時にもっとアグレッシブに買い向かっておけば、おそらく手持ち資産は2~3千万ほどは違っていたのではないかと思う。この領域はまだ学ぶべきことが多いため、継続的に時間を投資していく必要があると考えている。
うまくいかなかったこと
  • 子どもの学習をあまり見てあげられなかった
    • 忙しかったと言えばそれまでなのだが、自分の理想とするほどには、長女の学習サポートに時間を割くことができなかった。そのためか、4か月後に迫った中学受験には未だ不透明感満載の状態である(幸い、学校での学習・成績は問題ないものの)。もちろん学習に集中する時期は人によって違いがあるので、あまり焦りすぎるのはよくないと思うのだが、低空飛行の偏差値を見ると、それなりに気が滅入るのも事実である。あと残された時間でどこまで準備できるだろうか。最終的にどこの学校に行くかももちろん重要だが、少しでも努力による成功体験を積ませてあげたいところである。
  • 生活が非文化的になった
    • ゲゼルシャフトにおける継続的な労働、そして子育ての宿命的な帰結として、自分の中に占める文化的活動の割合は大幅に低下した。これは日常のレベルで言えば、学術書を読む時間や楽器を練習・演奏する時間、より開かれた文脈で言えば、美術館やコンサートに行ったりする時間のことを意味しているが、この10年はそのどちらにもほとんど時間を割くことができなかった。このためか、超越的なものや過度な左派寄りの言説を自分には縁遠いものとして遠ざけてしまう――あるいはそもそも視界に入らない――ことが自然と多くなっていった。今は失われた時間の隙間をspotifyが埋めてくれているものの、それはすでに神話的な意味や「なにかよくわからないけれどきっと素晴らしいであろうもの」を僕に提供するものではない。
  • 友人と会う機会が減少した
    • これは僕に限った話ではないのだろうが、20代の頃に比べると友人に会う機会は激減した。ほとんどの友人が結婚して家庭を持っていること、日常で顔を合わせる機会が少なくなっていることを考えると、おそらくこれは自然な現象なのではないかと思う。自己啓発系の本には、「それはあなたが成長している証拠」なんていう記載も見られるけれども、そこに言いようのない寂しさを感じてしまうのもまた事実である。厳密に言えは、僕たちはまだ愚かだ。けれども、それはかつて僕たちがそうであったような特権的な愚かさではない。ピーターパンを信じられる時間はすでに終わってしまったのだ。そして、その扉は僕の人生において二度と開くことはない。
  • 失恋の傷がいえきらなかった
    • いつか東京タワーで受けた、あの精神的な傷はまだ癒えきっていない。日常的に痛むことはずいぶんと少なくなったものの、すでにそれは僕の人生における通奏低音のように未だ密やかに鳴り響いている。このことによる個人的な活動へのマイナスインパクトは甚大であり、失われてしまったエネルギーで例えばCFAくらいは取得できたのではないかという気がする。バッジョはあの輝かしいキャリアを「一本半の足で戦った」と述懐しているが、僕も30代の自分の人生を思い返すと似たような感慨を覚える(バッジョと自分を比べるのは、あまりに月とスッポンというのは措いておくとして)。その多くの作品において喪失をテーマとして扱った、フィッツジェラルドの諸作品に親近感を覚えるようになったことは、唯一ポジティブな点であったと言えるかもしれない。

3. 上記を総括して

全体としては、極めて教科書的な30代の10年であり、その意味では「いろいろありつつもそれなりうまくやった」というのが、自分なりの結論となる。一方で、「目の前の仕事」に過度にリソースを割いてしまい、それがOn/Off双方での機会損失につながってしまったという点は反省であり、この点をどう改善していくかは40代での大きな課題となるだろう。具体的にどの領域に対して、どういった方法で、どの程度のリソースを投下していくかについては、年末にかけて徐々に考えを固めていきたい。無論、その考えは固定されたものではなく、On/Off双方の状況を参照しつつ、適宜ピボットをしていく必要がある。

 

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本日新内閣が発足したけれども、戦略の具体性のなさに早くもやや落胆モードになっている。しばらくは個人投資家には辛い時期が続くかもしれない。月末に衆院選とのことだけれど、けっこう真剣に入れるところがなくて困ってしまう。海外トランスファーの制限が緩和されたら、すぐにそちらに舵を切るほうがいいのかもしれない。