啓蟄も過ぎて

日曜の深夜、というか月曜の未明とだというのにまたPCを叩いていてまたよくない。この週末もひたすらTODOをこなしていたらあっという間に終わってしまった。自分が前に進んでいるのかどうなのかさっぱりわからない。パッと書けるレベルの記事しか書けない時間だけれども、一応自分のためにも2、3アップデートを記しておこう。

 

☆☆☆

 

2月のお偉いさんの来日は一応成功。"flawless"という言葉をもらったのでまあ概ねよかったのだと思う。日本人の僕が見てもやりすぎなくらいクオリティには気を遣っていたので、手前味噌ながら妥当な評価だとは思う。

 

☆☆☆

 

↑の件であまりにも疲れたので、一日休みをとって一人で雪山に行く。一人だと何も考えずに滑っていればいいので大変に気が楽である。周りの日本人は大学生と思しき人しかおらず、残りはほぼすべてインバウンド旅行者と思われる中国人だった。

 

☆☆☆

 

今週は久しぶりの渡航で韓国に行く予定。ビジネスではなく友人の結婚式のためなのだが、いい機会なので向こうの同僚にも会ってくる予定。韓国で使われている歴史の教科書を読むのと、スタディカフェ?なるものに行くのが楽しみである。

 

☆☆☆

 

26時なのでさすがにもう床に就かなければ。寝る。

高層ビルとガレー船

いろいろ書きたい書きたいとは思いつつ、アイデアが浮かんでは消えていく。特に非モテと実存に関する文書を書きたいと思ってはいたのだが、それを結晶化するだけの時間も気力もあんまり残っていないのである。たぶん実務的なことにリソースをとられすぎなのだろう。無理もない、過去10日間で僕はお偉いさん向けのレポートを16枚レビュー・添削したのである(もちろん仕事はそれだけではない)。回ってくる資料の英語のレベルはだいたいにおいてpoorであり、それを「英語母語使用者がストレスなく読めるものにする」という、必要だがあまり生産的とは言えない作業に大量の時間を投下して、結果ほとほと疲れてしまった。毎晩そういう作業をKid A(特にNational Anthem)を聴きながらやっていたら、だんだん何が仕事でなにがそうじゃないんだかわからなくなってしまった。

 

というわけで疲れた上に大変寒いのでもう寝る。週末はもっとマトモなことを書きたい。こんな消耗をいつまで続けるのだろう。ここはまるで快適さだけが過度に改善された奴隷船のようだ。

インフル来たる

子どもが持ってきたインフルにいよいよ僕もかかってしまう。金曜は38.6℃の熱の中、なんとかその日の仕事を終え(休めよ)、さすがにこれはマズいと思い近所の内科に行くと、5分くらいでインフルと診察される。イナビルを診察時に服用したものの、すぐに発熱は引きようもないので、さすがに同日は21時に寝ることにした。誰にも邪魔されずに10時間以上寝られることなどめったにないので、体を布団に横たえたとき、久しぶりに心から幸せだと思った。

 

土曜日。どこにも行けないので、昼寝をして起きてはマンガを読むという自堕落な一日を過ごす。根が貧乏性なもので、体調が悪くない限りはとてもこんな日は送れない。というわけでずっと気になっていた『葬送のフリーレン』を一気読みし、家族の話題についていくことができるようになった。夜フランス語を少し読もうと思ったが、1ページ読んだだけでちょっと頭がクラクラしたのでやめることにした。英語の発音練習は通常どおり入浴中に行うことができた。習慣とはすごいものだなとあらためて思う。

 

日曜日。熱はほぼ引いたので、身の回りの整理をルーティンどおりに終え、4人分の昼食をつくり、午後は夜用のおでんを煮込む。なんてことのない日曜。ともあれ、明日からの仕事の山を前にして、体調がある程度戻ってくれたのは僥倖であった。

 

今回学んだことは、①体は資本として重要であること、②体が弱ると、過去の借りや後悔についてくよくよと思いだしてしまうことが多くなること(僕の場合はだいたい一人の人のことが多いのだけれど…)。

癒しとしてのKID A

年が始まって早一か月ということで、早くも忙殺モードに入っている。そんな中で家庭内ではインフルが猛威をふるっており、なんともカオス感にあふれた月曜日であった。本当はもっと書きたいことがあるのだが、なんといっても25:30なのでもう寝なければいけない。こんななかでボチボチとフランス語のレッスンを続けている自分はなかなか健気だなあとか思うのだが、残念ながら脳のリソースは十分に投下できていないようで、今日は"Bon Week"とか初心者でもしないような間違いを堂々としてしまう有様であった。おそらくもっとリラックスが必要なのだろう。

 

深夜の業務中、今日はずっと"KID A"を聴いていた。たぶん前に聴いたのは10年以上前になる。なぜだかあの無機質さに妙に癒されてしまった。「ああ、いいなあ、、」と。おそらくこれは、何か極限的なものを見てしまった人間のための音楽なのだろうと直感的に思った。20代の頃はそんなことを思いもしなかったのに、不思議なものだ。記号化された消費とか、人間の凡庸さとか、曲がりなりにもそういうものを自分なりに人生の中で反芻してきたことで、そういう感性が涵養されたのかもしれない。

 

まあいい、いずれにせよ明日も歯車としての一日が待っている。もう眠りにつかなくては。

賀正、あるいは最近のワタクシ

もう気がついたら仕事始めである。今年も年末年始は計12日間の休みと、なかなかの長い休みを過ごしたのだけれど、結局いろんなことに忙殺されてしまい、あまりゆっくり休んだという感じではなかった。だいたい子ども40%、フランス語30%、その他雑事30%というところである。まあ核家族で子どもを育てている家庭はだいたいどこも似たようなものだろう。ほとんど個人的なメモのようなものだが、休みの間にどんなことをしていたかのみ簡単に書いておく。華やかさのようなものは極めて希薄である。

 

  • 東国三社巡り。年末だというのに香取神宮は相当な人出であった。
  • フランス語。点数はいまいちだったのだが、11月の試験は合格。京都まで行った甲斐があった。フランス語圏での仕事をすることをイメージして継続トレーニングしている。
  • ご近所様と忘年会。こういうところに行くと、自分の社会的な位置づけみたいなものが良くも悪くもわかるので複雑な気分になる。ご飯は美味しかった。
  • 後厄の厄払い。なんか神社ばかり行っている。
  • クリスマスサンタ。今年も勤め先からもらった給料で、勤め先から調達した。完全にシステムの一部として取り込まれている。
  • 料理。休み中はけっこう台所に立つことが多かった。最終日は久しぶりにガトーショコラを焼いた。

 

今年こそは地元に帰りたかったのだが、ちょっとタイミングが合わなかったので3月までのどこかということで延期になってしまった。

 

中途半端な記事だが、今日はあまり時間がないのでこれくらいにしておこうと思う。まあ受験生というか、本気でどこかを目指していると時間はどうしてもないものだよなと思う。40代でそういう状態であるのは幸せなことなのかもしれないけれど。

コロ助襲来

周りもけっこうかかった人が多いので、今さら驚くようなことでもないのだが、ついに我が家にもコロナがやってきた。先週の月曜に娘が陽性であることがわかってから、火曜には僕も発熱。久しぶりに38.7℃の高熱になった(続いて妻、長女も発熱)。とはいえ、年末の繁忙期かつ重めの成果物が2つある週なので、仕事を休もうにも休めない。僕の行っている仕事は相当に属人的なものであるため、この部分は誰かに頼む、、、とかいう運用は原則としてできないのである。というわけで、はんてんをを着て冷えピタを貼り、ボーっとする頭で黙々と仕事をする。こんなことやってるのたぶん日本人だけではないか。結果的には、どちらの成果物もなかなか悪くない評価をいただけたので、まあよかったのだが。

 

というわけで療養しながらの仕事という変わった一週間を過ごしたのだが、体が弱っていたからなのか、やはり食の好みや精神面では少なくない変化があった。まず食の面では、ひたすらに純和食ーーというか梅干し・納豆・ごま昆布を食べ続けていた。あとは出汁を濃い目にとった味噌汁。正直他のものは食べたいという気になれなかったのである。どうも昔からそうなのだが、体が弱ると日本人の遺伝子のようなものが一気に強くなるようで、好みが非常にナショナリスティックになる傾向がある。一方、感性面では、ひどく涙もろくなった。『鬼滅の刃』の最終巻を手にとってはホロリとくるし、娘を膝に乗せて観た『ドラえもん』ではあろうことか号泣してしまう。精神的に若干弱り気味だったのと、療養で家族いっしょにずっと過ごしていたのがきっと影響したのだろう。ちなみに、やはりこういうときあまり頭を使うものは読めず、ラディゲを読んだら頭がクラクラした。

 

ともあれ、そんな生活を4、5日と続けてだいたい体調は8割程度まで戻ったので、そろそそろ仏語の勉強や筋トレを再開しようと思っている。

 

まとめると、在宅時間・睡眠時間が多少多かった以外はまあ普通に生活ができていたので、「まあこんなものか」という感じのコロナ療養であった。もう一度やりたいかと訊かれたら間違いなくNoなのだが、少なくともなんらかの社会勉強にはなったのではという気がする。

大阪・京都 秋の陣

11月頭の慌ただしい一週間が終わり、今年もクリスマスまであと7週間を残すのみとなった。それなりに動きの多い週だったこともあるので、備忘も兼ねて、あったことを簡単に振り返っておく。

 

☆☆☆

 

久しぶりに大阪に行く。というとなんだかそれなりの高揚感があってもよさそうなものだが、実際にはひたすら会議の資料作りに追われ、行きの新幹線の中から当地での滞在中に至るまで、ずっとヒイヒイ言いっぱなしの3日間であった。週末返上でオフィスにてスライドを50枚くらい作ったにもかかわらず、このザマである。当地でも前日25時までかかってなんとか間に合わせるという感じで、本番が始まる前にすでにHP一桁のような状態であった(しかもそこから深夜にカツ丼を食べに行くという無茶ぶりつき)。堂島浜のホテルが素敵であったことはささやかな慰めだったけれども、二晩とも帰りは24時過ぎだったため、僕が実際に得ることのできた付加価値は「快適に寝る」という一点のみであった。まあだいたいそんなものである。

 

とはいいつつも、リーダーシップの末席で、社長の発表というか、彼の心の声を聴くことができたのはとてもよかった。考えてみればこの人をサポートすることが自分の仕事の中心になって4年になるけれども、そういう個人的な思いを聴いたのは初めてだったなと思った。”leadership is a choice” - 彼はそう言った。おそらくはどのリーダーも、きわめて個人的な経験から、そういうスタイルを決めていくのだろう――もちろん僕も例外ではなく。体はボロボロだったけれども、そういう彼の言葉を生で聴けただけでも来た価値があったなと思った。

 

3日間の予定終了後は、京橋に寄って友人の墓参りをする。コロナで身動きがとれない期間があったとはいえ、前に来たのは6年前だという事実に今更ながら驚いてしまった。時の流れは本当に早い。駅の周りは再開発がずいぶん進んでいて、前に来たときの面影がすっかりなくなってしまっていた。

 

☆☆☆

 

大阪から東京に戻り、家族とともにささやかに自分の誕生日を祝った後、1日のオフィス勤務を経て今度は京都に向かう。今回は仕事ではなく個人的な試験のためである。前日に京都入りした上で、しっかりと6時間の睡眠をとって臨んだのだが、時間配分にやや手こずり、リスニングもリーディングも2、3問未回答になってしまった。加えて、作文も終了直前で規定文字数に届いていないことが判明し、流れに無関係な文を無理やり1行入れるという荒業を行ってしまう。一方でスピーキングはなかなか悪くない出来であった(と思う)。口述試験のあと、試験管が「そういえばあなたは仕事は何をしてるんですか?」と訊いてきたので、「(僕の勤めている会社名)で経営企画・管理の仕事をしてます」といったら苦笑いしていた。かの六角形の国では、僕の勤めている会社はあまり評判がよくないようである(知ってた)。まあ正直若干の不完全燃焼感はあるものの、このムチャクチャなスケジュールの中でそれなりによくやったと思う。

 

ちなみに筆記試験の後、スピーキングまでは1時間強の時間があったため、昼食は久しぶりに進々堂に行ってみることにした。かの店に前に足を運んだのはおそらく16、7年前になる。店の横にはエニタイム・フィットネスができており、時の流れを感じさせた。店で出てきたカレーはやや薄味だったけれど、もしかしたら京風だったのかもしれない。

 

試験終了後は、鴨川沿いを歩いて、出町柳の駅の反対側にある下鴨神社に向かう。試験が終わった解放感からか、過去へのノスタルジーか、自然とジュディマリの”KYOTO”が口をついて出てきた。「季節が変わる前に、、、」――たぶん僕はあの頃と何も変わっていない、そんなことを思いながら。

 

下鴨神社に着く。河合神社から下鴨神社の表参道に入るところで、ゾクっという感覚が体を駆け抜け、鳥肌が立つ。いつもながら基本的に超自然的なものは信じないのだが、こういうことがあると何かしらそういったものの存在があるかもしれないと思ってしまうのも確かだ。境内の雰囲気は、明らかな社格の高さを感じさせるものであった。大神神社が自然に由来するエネルギーをあるがままに放出している(しまくっている)場所だとすると、ここはより都会的かつ端正な形でそれが表出している場所だ。本殿に参拝を済ませ、ゆっくりと参道を引き返していく。一帯の木々の葉は概ね半分ほど紅くなっており、どこを見ても印象派の絵のような光景であった。

 

帰り道は七条から京都駅までのんびりと歩いた。今年初めて秋らしい日を過ごすことができた気がした。無理もない、都会のビルの中では良くも悪くも季節感というのは極めて希薄なのだ。人でごった返す京都駅でのぞみのシートに座ると、いつの間にか僕は浅い眠りに落ちていた。

 

☆☆☆

 

年末調整の時期ということで、10月末時点での収支計算をしてみたところ、10か月間の手取り収入の半分近くが税金の支払いに使われていることが判明する。道理で現金預金が増えないわけである。確かに昨年はRSUからの給与所得がけっこうなボリュームだったので、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、あんまりな話である。さらにここにきて自民党が諸々増税検討とか言っているので、さすがにおいちょっと待てと言いたくなってくる。こういうのが来ると、自分のためだけでなく、子どもたちのことを考えても、日本以外に足場を作っていくというのは必須だなという気がしてしまう。

 

 

※今回は新幹線の中で比較的時間があったのと、動きの多い一週間だったため、いつもよりやや文章が長めである。内容についてはいつもどおりのつれづれといったものではあるけれども。