前の記事からの間隔が少し長く空いてしまったのは、おそらくワールドカップが始まったことに加えて、プロジェクトの詰めが重なったためである。別に昼間に空き時間がないというわけではないのだが、なぜかそういう時間はどうも書く気にならないのである。少し今日はいつもの記事とは方向性を変えて、ひとつのテーマを少し深めに掘ってみようと思う。
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正直に言って個人的にはもう食傷気味ではあるのだが、AI関連の議論はいまだ喧しい。多くの人は多かれ少なかれAIを使用しているのだろうが、まだその応用には広大な地平が存在していることを考えれば、それ自体は自然な流れではあると思うし、その技術が将来的にもたらすであろう経済的な便益や人類・社会への貢献を思えば、それらの多くは健全な議論であるといえるだろう。しかしながら、まだ黎明期であることを考慮するとしても、AIによって我々の仕事は本当に楽になっているのだろうか?
まずはポジティヴな面を見てみよう。AIの導入によって劇的に楽になったのは、なんといっても議事録作成が挙げられる。特にジュニアレベルの企画職にとって、これまで勤務時間の1~2割程度を割いていたであろうこの業務に要する時間が減ったことは、まさに福音であったように思われる。とりわけ外資系企業だと、英語を聞き取れていなかったところをAIが拾ってくれていることも少なくなく、個人的にはその点においても助けられている。あとは、翻訳やアイデアのたたき台出しなどもそれなりに役立つことが多い。細かいものを入れればもっと例はあるのだろうが、「6~7割程度のドラフトを作る」という目的であれば、総じてAIは優秀である。
しかし、である。個人的な所感としては、この70点のものを100点、例えばマネジメントに意思決定を求める水準の資料にする段階だと、現状AIはほとんど役に立たない。場合によっては邪魔になったりさえする。ここはもう少し細かく例を見てみることにしよう。
例えば、チームメンバーがAIを使って作成した社長向け(もっと言えば海の向こうのGlobal Sales VP向け)の経営状況のレポートを僕がレビューするとき――その多くは文章で書かれる――、僕は通常以下のような確認・判断のステップを踏んでいる(そんなことをやっているから大企業の生産性は、、、という突っ込みはナシ)。
- Validation: 数字は正しいか。数字の取得にあたって特殊な条件やマニピュレーションは行われていないか。報告内容は事実に即しているか。
- Triangulation: 書かれているメッセージ・提言は、別のソースと照らし合わせて事実と相違ないか。
- Contextualization: 書かれている内容の前提となる状況・コンテクストが正しく、また適切に与えられているか(これをひたすらwhyで掘る)。
- Distillation: 書かれている報告は、マネジメントが時間を要して検討するための価値があるか。(つまり、報告内容を何段階かso whatで掘って、いわゆるインサイトが出るまで内容を精製する(「生成」ではない))。絞ってもエッセンスが出ない場合は、適宜切り口を変えたり、題材を変える。
- Stakeholder Alignment: 書かれている報告・提言の内容は、社内外の関係者とのコンフリクトを引き起こすものではないか。もしくはそのリスクはないか。
これらの業務でAIがどれくらい使えるかというと、1、2はそれなりに使えるものの、間違いがかなり多いので、結局自分でひとつひとつソースを確認する必要があり、あまり時間の削減にはなっていない。さらにより困難なのは3~5である。人間が書いていたころは、3割、あるいは6割くらいの草稿の段階でレビュー・フィードバックができるので、これらのプロセスに伴うサブタスクの洗い出しやリスクマネジメントを事前に行うことができた。一方AIは「できましたが何か?」とでも言いたげに、ピーナッツバターが平坦に塗られた冷凍パンのような文章を平気で出してくるので、大体僕はそういったものを見るたびに、そこからの果てしない作業を頭に浮かべて深いため息をつくことになるのである。何しろ、その冷凍パンをどこに出しても恥ずかしくないメインディッシュ――しかるべき器に盛られ、適度な付け合わせの添えられた――にまで昇華するのが僕の仕事だからだ。もちろん、勘のよい読者の方であれば、「改善のフィードバックをチームメンバーにして書き直してもらえばよいのではないか?」と思うだろう。ところがそうは問屋が卸さない。残念ながら、求められる水準のアウトプットを自分の力で出せないメンバーがたとえAIを使っても、クオリティが上がるのは門構えの体裁くらいなのである(もちろん、僕の指摘事項が的を射ていないケースもあるのだろうが)。かくして概ね半分以上のフィードバックとそれに伴うイテレーションプロセスは、表面的な修正に終わり、気がついたらもう締め切りまであと2日、とかいうのがここ数カ月のサイクルである。しかも、その段階において僕の前に残っているのは、相変わらずの冷凍パンのままである。
そこからの解凍・調理は、概ね深夜か休日に行われる。集中して考えられる時間でないと、この種の仕事はできないからだ。もちろん残業などという概念は存在しないので、そのコストは概ね僕の職業的倫理観、義務感、善意という財源から賄われている。例えば2週間前には、たった1,000 words程度のレポートをレビューした上で加筆・修正を行うだけで土曜日が丸一日つぶれてしまった(上記1~5のプロセスがすべて含まれているので、むしろ1日で済んだのを僥倖と呼ぶべきであろう)。同じような経験のある方は決して少なくないだろう――というか、おそらく僕と似たような仕事をしている世界中の人々が、似たような問題を目の当たりにしているのではないかと想像している(6/26付でHBRに掲載された AI Adoption Is Overloading Your Middle Managers“という記事は、いみじくもそのことを裏付けている。なんともタイムリーである)。ソーシャルメディアなんかを見ると、未だに「AIで人間の仕事がなくなる」というようなナイーブな言説を見かけるけれども、少なくとも僕が周りを見ている限り、それらは現在の職場環境で起こっている事実を反映したものとは思えない。おそらくそういった方々は、例えば自分の報告内容で人に対して重要な意思決定を迫るようなシチュエーションなどに対する、畏れのような感覚や想像力が足りていないのではないかと思う。
というわけで、一応の結論としては、AIはいまのところ銀の弾丸や魔法の杖と呼べるようなものではなく、中間管理職にとってのレビュー時間の増幅装置という側面が強いように思われる。少し言い方を変えれば、この革命的な――そうであってほしい――ツールは、議事録作成などでこれまでジュニア層が払っていたコストを、中間管理職層に移し替える契機だったと言えるかもしれない。要するに、ブルシット・ジョブはなくならず、それを行う人間が変わっただけという、なんとも救いのない話だ。しかしながら、そんな身も蓋もないオチが決して笑い話にも聞こえないというのが、ビジネスの現場でAIを使用している一企画職としての偽らざる実感である。
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ワールドカップの日本戦を見る。馬齢を重ねたからなのだろうか、大歓声のチャントを聴くだけで涙腺が緩む。無理もない、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、笑ってはいけないQBK、ロストフの泡沫の夢――今回のアメリカまでの旅路をずっと一緒に追いかけてきた世代なのだ。もちろん僕ももう少し夢の続きが見られたらいいのにとは思ったけれど、負けた後も選手たちはひたすらに美しかった――敗北を単純なセンチメンタリズムに還元してはいけない、と思いつつも。フットボールの物語はまだ続いている。