Japan Times Weekend

日経新聞とともに、かねてより愛読してきたJapan Times on Sundayが、このたびJapan Times Weekendにリニューアルされたので、ごく簡単にレビューめいたものを載せておく。

 

Pros:

  • 配達日が日曜から土曜に変更された。だいたい週末しか読む時間がとれないので、これはありがたい。特に我が家は妻と交代で読むということもあるのでなおさらである。
  • Week in reviewの分量が多くなり、一週間のニュースがこれまでよりも詳細に記載されるようになった。

 

Cons:

  • 個人的には、サイズは前のタブロイド判のほうが好みである。コーヒーを飲みながら読むのにちょうどいいサイズだった。
  • New York Timesまではあまり読まないので、Japan Times on Sundayだけでもう少し値段を安くしてほしい。

 

ともあれ、同じように一週間のニュースをダイジェストで読める新聞は、僕の知る限り他にないので、おそらくはこれまでと同じように読み続けるのだと思う。

 

で、ちょっと今週号で気になったのが以下の表現。

 

Tadashi Yanai, chairman of CEO of Fast Retailing  CO., […], said Thursday his company was keeping tabs on its cotton supply chain to ensure none of its products are made with forced labor in Xinjiang.

 

一方で、例えばこのサイトだと、「政治的に中立的でいたい。ノーコメントだ」とのみ記載されている。

 

僕は別に柳井氏のファンではないのだが、さすがにこの後者のサイトでの切り取り方は悪意があるのではと思ってしまった。FRも叩けばいくらかの埃が出るのだろううが、経営者という立場からのリスクマネジメントとしては、おそらくこれ以上のコメントはできなかったのではないかと想像する。そのあたりを考慮せずに、ノーコメント→人権侵害!というような短絡的な推論を読んでしまう記事が公開されてしまうのは、やはりメディアとしてのintegrityに問題があるのではという気がする。もちろん、ウイグルで発生しているであろう問題を正当化することは、いかなる理由であれ許されるものでもないとは思うけれど。

 

☆☆☆

 

娘の中学受験サポートが、早くも佳境に入ってきた、、、というか、あまりにも基礎的な部分でスタックしているので、けっこう頭を抱えているところである。連休はどこか自然の多いところにいってのんびりしようと思っていたけれども、まだしばらく自宅にこもる日々が続きそうである。来年になったらオランダあたりでゆっくりドライブを楽しみたい、、、ちょっとまだ遠いな。

帰ってきたフレンチマン(ウルトラマンではない)

重い腰を上げて久しぶりにフランス語を鍛え直すことにした。かなり雑なプランではあるのだが、COVIDがある程度追い付いたところで、あっち方面のポジションにアプライしてしまおうという狙いである。妻ともいろいろ相談したところ、「まあいいんじゃない?」というスタートアップ然としたノリでとりあえず進めることになった。子どもの学校とかいろいろ懸念事項はあるけれども、まあ後で考えればいい。

 

で、久しぶりにL’amantをフランス語で読むと、けっこう読める。おお、やはり昔取った杵柄というのはバカにできないものだなと思う、、、のだが、「仏語一人つぶやき練習法」でボソボソと一人で喋ってみたところ、まあものの見事に口が忘れている。まあこのあたりは3か月くらいかけて地道に鍛え直すしかないだろう。考えてみると、僕が一緒に仏語を――というか哲学を――勉強した友人たちは、軒並みその道の専門的なポジションについていたり、人によっては教科書を書いていたりするのに対して、僕が今ここで「基礎会話からやりなおします」というのは、面白みの中にそこはかとないペーソスを感じさせるものがある。まあ仕方ない、僕は過去の15年を資本制とともに生きてきたのだから。

 

これは一種のミッドライフクライシスなのかもしれないな、と思う。僕が見ているのは、20歳のときに見ることのできなかった、幻想としてのune nation francophoneなのかもしれれない、と。それが分かりつつも、僕はそれ、あるいはここではないどこかに進むしかないのだろうという気がする。東京という街がかつて与えてくれた刺激やダイナミズムを、今の僕はほとんどと言っていいほど感じなくなってしまったからだ。あまりにも多くのものがここにはありすぎるのだ。

 

というわけでこの極めて個人的なプロジェクトは粛々と進めつつ、明日も英作文に勤しむ。早く連休が来ないかな。

山梨

この間ブログを書いたと思ったら、前更新をしたのがほぼ一か月前と気づいてけっこう焦っているところである。自分の怠惰さを責めるのはたやすいことだけれども、毎日毎日半ば無理をして仕事をしているのは自分自身知っているので、このことについてはとやかく言うまい。いずれにせよ年明けから2か月ですでにかなりバテているということで、緊急事態宣言も空けぬ中、山梨の温泉で羽を伸ばしてきた。あいにくの曇り空で富士山は見えなかったけれども、宿からは甲府盆地が一望できて、夜は町全体が宝石箱のように見えた。広い空と新鮮な空気はそれだけで相当程度のストレス解消要因となるようで、帰ってくる頃には肩のこりもずいぶん軽減されたような気がした。

 

本当は上記の件の詳細や、ここ2週間くらいにあったことについてつらつらと書きたいのだが、もう25時になろうとしているので寝ることにする。落ち着いて記事を書けるのは5月の連休になるだろうか。ということは、ここからは8週間のマラソンになるということである。長いな…。

まだ月曜だというのに

相変わらず深夜残業している。今日は月に一度の作文日でひたすら英語を書く日である。別に嫌いな作業というわけではないのだが、月曜からの深夜労働はやはり気が滅入る。どうも夜はダラダラと作業をしてしまう癖があり、本当によくない。あとポモドーロ・サイクル2回転の間になんとか書き上げたい。不思議なもので、こういうものは時間制限をうんと厳しくしたほうがなんとか書けてしまうものだ。というわけで、デカフェのコーヒーを飲みつつ、あともう一息。

 

☆☆☆

 

試験の合格から早10年以上、このたびようやく正式にCPAに登録した、、、のだが、笑ってしまうほど感慨はない。当時通った予備校のサポートを利用して手続きしたのだが、実体はサポートというよりはチーティング(ティーチング、ではなく)という感じで、テストなのに答えはすぐ見られるだの、事前に模範解答は配られるだの、「おお、マジか、、、」と思うようなことが多かった。まあ僕もライセンス登録をすることに、キャッシュ以外のコストを書ける気はなかったので、win-winといえばそうなのだが、曲がりなりにもそれなりの公的資格がこんな運用でいいのだろうか、という残尿感のような思いが残った。一方で、GMATを受けたときのようなヒリヒリするような緊張感をもう一度経験したいかと言えば、それはそれでNoなのだが。

 

☆☆☆

 

というわけでもう少し労働する。S&Pの値動きなんか見ている場合ではないのだ。

失われた感性と日常のNice to haveたち

また前回のエントリから2週間が経過してしまった。いつも書いていることだが、時間の流れは本当に早い。大人の暮らしはただでさえルーティンに陥りやすいのに、例によって行動範囲が極端に制限されているせいで、生活全体がマンネリ気味になっているのは如何ともしがたい。元々はこれくらいの年齢でキャリアの舵を大胆に切ろうと思っていたのだが、どうにも動きがとりづらい状態になってしまい今に至っている。正確に言えば、今でも無理すれば動きを起こせないこともないのだろうが、リスク・リターンを冷静に考えると、今という状況はあまりにも分が悪い。そういうわけで、いささかの飽和感を感じながらも、少なくとも平日の5日間は、しばしば睡眠時間を削りながらPCを叩き続けている。状況が状況なので、仕事があって、報酬にも特に影響が出ていないことがどんなに恵まれていることかというのは僕もよくわかっているのだが、今の状態を維持することが自分にとって是かと言えば、僕としての答えは否ということになる。

 

とはいえ、だんだん子どもたちも大きくなってきて、少しずつ自分の時間と呼ぶべきことが日常に返ってきはじめているのは喜ばしいことだ。子どもが親離れしていくのに寂しいという気持ちがないわけではないけれども、ここ10年ほど、自分を尖らせるための時間を確保することは著しく困難だったから、自分を健全な孤独に追い込めることのありがたみは身に染みてわかっているつもりである。一回のサラリーマンとして働いている自分でもそこに一定の葛藤があったのだから、創造的な仕事を生業としている人であれば、こうした日常の雑事が足かせになってしまうという感覚はより大きいのではないかと思う。

 

それにしても暗く、重苦しい世の中だ。いや、重苦しいというのは正確ではない――大東京という街にはあまりにも不似合いなほど、街が閑散としているのだ。空白といってもいいかもしれない。1929年のニューヨークもこんな感じだったのだろうか。しばらくして、この歴史的な事態が収まったあと、僕はいつか懐かしくこのカフカ的な街の風景を思い出すのだろう。そして、人もまばらなその風景の中でも、僕は地味に日常のnice to haveを改善していく――Philips電動歯ブラシを導入したり、作業スペースにホワイトボードを導入したり。それらは決してめくるめくような体験ではない。でもそうしたささやかなnice to haveを実践する以外に、今の我々に何ができるというのだ?

初夏の匂い、あるいはZARDについて

あっという間に前のエントリから2週間経ってしまった。仕事量は2週間目にしてすでにパンク状態になっており、すでに午前二時コースの日がちらほら出始めている。このあたりは別に今に始まったことではないので、特にnews valueがあるというわけではないのだけれど。

 

☆☆☆

 

そんなわけで連休にある程度休まったであろう心身もだんだん疲れてきている中で何を慰めにしているかというと、最近ZARDをよく聴いている。ZARDかよ(笑)と言われたら、もう何の反論の余地もないのだが、it is what it isである。これまでいろんな音楽を聴いてきたけれど、なんというか、3週半くらい回って、結局自分が中高生の頃に聴いていたポップスに回帰している感がある。この時期のビーイングは商業主義の権化みたいな扱いを受けていて(事実そうだと思うのだが)、ロキノン派の人々からはほぼ黙殺されているような状態だったし、僕自身微妙な嫌悪感みたいなものがないわけではないのだが、「売れるもの」を作っていただけあって、残された楽曲の質は高く、今でも聴くに堪えるものが多い。これは90年代のポップス全体に言えることかもしれないけれども。

 

そんな中で、なんでZARDかというとこれはやはり坂井泉水氏が魅力的なのである。とかいうと、お前はやっぱり顔しか見てないとかいう声が聞こえてきそうだ。彼女がとびきりの別嬪さんというのはおそらく衆目の一致するところだと思うけれど、それ以上に魅力的なのが、「聴くポカリスエット」とか言われる彼女の声である。彼女の声を聴いていると、この真冬の東京の決して広くない作業室でも、確かに初夏の香りを感じることができる。アンドレア・コアーにもちょっと近いものを感じるけれども(また顔しか見ていないと言われそう)、ZARDの初夏は自分自身が積み重ねてきた初夏の光景とよりまっすぐに結びついている。

 

素敵な曲はたくさんあるけれども、個人的に好きなのは『心を開いて』だ。ちょっと好きだというのをためらってしまうくらい何のひねりもないポップスなのだが、その汚れのなさが――演出されたものだとしても――40前の疲れた労働者の心に染みるのかもしれない。彼女は言う――「どんなときもときもあなたの胸に迷わず飛び込んでゆくわ」、と。「この活動ではどうやって成功を測りますか?」とか、「そもそもの目標設定がおかしいのでは?」なんて言ったりはしないのである。今の世の中でこういった女性観こそ素敵とか言っていると、フェミニストから血祭りに上げられそうな気がするけれど、そうした「無条件の愛」みたいなものに惹かれるのは、もう仕方ないのではという気がする。

 

ちなみに、『心を開いて』のMVのロケは南仏で行われたようで、映像を見ると、昔僕が住んでいたエリアがちらちらと映っており、二重のノスタルジーを感じることができる――これはあくまで個人的なものだけれど。彼女もシャガール美術館に行ったのかな、なんて想像するのもなかなか楽しい。ちなみに、坂井氏は秦野市の出身とのことで、車で鶴巻温泉のあたりを通るときも、僕はよく彼女のことを思い出す。我ながらなんかストーカーみたいである。もっとも、三浦に行くと松本秀人氏のことを思い出すし、シアトルに行くとジミヘンのことを思い出すので、これは別に彼女に限ったものではないと思う。

 

☆☆☆

 

明日から仕事なので、そろそろ発音練習をして寝ることにする。最近はどこに行くにもマスクを着けているので、街中でも密かに発音練習ができて、「悪くないな」と思っている。

2021

終わってみればあっという間という感じではあるのだが、なかなか充実した冬休みを過ごすことができたように思う。個人的に一番テコ入れしたかった勉強面ではさしたる進捗が見られなかったものの、「気になっていたけれども、できていなかったこと」のほとんどを整理することができた(例えば、CPEポートフォリオのリバランスなど)。欲を言えば、もう少し読書時間をとって、古典小説を読みたかったというのはあるけれど、まあこれは言い出したらキリがない話になってしまうだろう。

 

☆☆☆

 

今回ちょっと変わり種の自己投資として、話し声を変えるための研修に1日参加してきた。三が日からこんなトレーニングに出ているのはきっと自分くらいだと思ったのだが、もう一人参加者がいて、しかも同業他社であった。この研修、もちろんそれなりに得るものはあったし、自分の声にはっきりとした変化も感じ取れたのだが、エッセンス部分であればおそらく1~2時間で完了する内容なので、どうしても割高感が否めなかったというのが正直な感想である。妻に「強羅花壇にでも泊ったほうがよかったんじゃない?」と言われたら、けっこう旗色は悪いのではないかという気がする。あくまで副産物ではあるが、自分が独立するのであればセミナー講師とかはやめておこうと思った。

 

☆☆☆

 

2020年が「色のない年」だったからだろうか、2021年に関しても自分の中に確固たる目標や"north star"がいまいち見つかっていないというのが率直な実感である。新年一発目の記事としてはおそらくそういうものを書くのが適切なのだろうが、コロナ禍という砂漠を歩いているうちに、自分の中にある野心や瑞々しさが当の僕にも見えなくなってしまったような感がある。とはいっても、明日からはまた嵐が始まるので、そんなことを考える暇さえもなくなってしまうのだろうが…。とりあえず1月は厄払いにでも行こうと思う。高等教育で哲学を修めてからというもの、僕はずっと無神論者を自称しているが、神事の類はけっこう好きなのである。