流されゆく日々

また人生が流れ出しているのを感じる。10代や20代のころのようなドラマじみたものではない。静かに画面が移り替わる古い映画のように、人生の場面がそっと展開されてゆくような日々だ。

 

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娘が高校は英語圏で過ごしたいという。いくつかの可能性を探ったけれども、どうやら2年間はカナダもしくはアメリカに留学させるということになりそうである。もちろん親として彼女の希望を叶えてあげたいとは思うし、応援したいのだが、けっこうなさみしさを感じてしまって自分自身驚いている。無理もない、15年近くもずっと傍で暮らしてきたのだから。ここ数週間ほど、今の平凡な日常が妙にいとおしく思えてしまうようになったのは、おそらくそのせいだろう。

 

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妻がオンラインサロンという名のネット上の集まりのようなものに時間を割くようになっており、若干心配している。話を聞いた限りでは、マルチか何かにしか聞こえないのだが…。一方で、人が自分の信じたいものしか信じないというのもよくわかっているので、どう介入すればよいのか、まだ答えは見つけられていない。

 

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故郷で32年ぶりに父親と会う。そんなことがあったらおそらく自分は泣いてしまうだろうと思っていたけれども、久しぶりに友人と会うのとあまり変わらなかった。焼き肉を食べながら、32年間に起こったことについてぽつりぽつりと話す。その口調は、僕の記憶の中の父親の像よりも、いくぶん控えめなものであるように感じられた。否応のない時の流れ。「また会おう」と握手。正直、まだ幾分頭が混乱している気がする。僕はどこにいるのだろう、と。

 

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楽しみにしていたグリモーの来日は、彼女のコロナ罹患により中止に。リサイタルまで2週間以上時間があるのだから、予定変更する必要はないようにも思うのだが、おそらく彼女一流のこだわりのようなものがあるのだろう。