エリートたちの横顔

とても偉い人たちがそろって日本にやってきたので、会議の末席に出させてもらう。やってきた面々を見ると、絵に描いたようなエリートばかりで思わず笑いそうになってしまった。おそらく一般的には一番派手に見られるであろうハーヴァードのPhDを筆頭に、アイヴィー・リーグの出身者ばかりである。こう考えると、アメリカの会社は多様性が重要とか標榜しながら、実のところは相当なモノカルチャーだなあとしみじみ思う。要するに役員なんかの重要ポジションに就くのは、高学歴で(学部でサイエンス系の学位、修士でMBAが多い)、リーダーシップのある白人の男性(いわゆるWASP)であるべきであるというのが、社会的に認められた不文律なのではないかという話である。IT業界だとインド系だったり、もう少しバックグラウンドに面白みがある人がいたりもするのだが、業界的に古ければ古いほどそういったモノカルチャー傾向は強いのではないかという気がする。

 

ちなみに、上記エリートたちのうちの一人のプロフィールをbloombergで見てみたら、年間給与$2.4m(約2.4億円)とあった。日本人男性の生涯賃金とほぼ変わらんではないか。こういう数字を目の当たりにすると、ピケティのr>gなんか当たり前じゃねえかとか言いたくなってしまう。たぶんこういう人たちは、「給料日前で金がないから、今日はささみと玉ねぎでチキンライスにしよう」とかあまり考えたりしないのではないか。どうでもいい話ではあるのだが。

 

☆☆☆

 

広島から友人が上京したので、5年ぶりに会う。久しぶりに会った彼はすっかり父親の顔になっていた。

 

「子どもと過ごす時間を削って、なんとか読書やら勉強やらの時間をひねり出して、でも一日一時間くらいがやっと。そうなるとさ、もうそんなのやめちゃって子どもにその時間も捧げたほうがいいんじゃないかって気がするんだ」、と彼。

 

少し感じ方は違うのだが、僕もその気持ちはよくわかる。まあ30代中盤にはつきものの悩みなのだろう。僕はハンドドリップで淹れられたとても濃いコーヒーを一口飲む。その後、広島のカキの美味しさやベーシックインカムの実現可能性についてああでもないこうでもないと議論し、しばしの沈黙の後で彼は言う。

 

「なんというか、精神的なクライシスの意味がわかってきた気がする。それがどういう形をとるのかはわからない。でもどこかで精神的にパンクしてもおかしくないなと思う」

 

客観的に見て、彼はとても頭のよい人で経歴も立派だし、おそらくは仕事でもしかるべき評価を得て、幸せな家庭を築いているのだろう。でもそんなこととは無関係に、彼は彼なりに心の中に住む魔物と必死に闘っているのだ。その気持ちは僕にも本当によくわかる。いや、自分が自分の人生をなんとかそれなりのものとして送れているという気持ちがあるほど、そうした内面の地獄というのは底の見えない、救いがたいものになっていくのかもしれない。

 

「40代、50代とどこを見て生きていくべきかな」、僕が言う。

 

「それがよくわからないんだな」

 

そんな感じで月曜の夜は終わっていった。