時代の終わりと一票の重み

子供が習い事をしている時間は、親というペルソナを一時的に離れて自分に戻ることのできる貴重な時間である。日々のハードワークのせいか、エアコンによる自律神経の不調のせいか、はたまた昨日あった銃撃事件のせいだろうか、今日は微妙に体調がすぐれないため、いつも行くカフェを避け、都会の公園の片隅でPCのキーをパタパタと叩いている。いや、理由をあいまいにするのはよそう。僕は一国の首相経験者が一介の市民に暗殺されてしまうというその事実がショックだったのだ――それが体調不良の直接の原因ではないにせよ。別に個人的に彼の信奉者であったというわけではない。彼が行ってきたいくつかの政治的判断やパフォーマンスには疑義が残ったままだし、意図的にメディアに切り取られていたとはいえ、リーダーとして不適切と思われる発言もあった。一方で、ここ10年の官製株高によって僕の資産がいくらか潤うことになったのもまた事実であり、おそらく彼でなくては外交上でのあれほど実績を残すことは難しかったのではないかと思う。賛否両論あるにせよ、影響力の大きい人物であったのは間違いないし、2010年代の日本のアイコンでもあったということだろう。そのイコンは、奈良の街頭で凶弾に倒れ彼岸へと旅立った――僕が2か月前に訪れた街だ。そこにひとつの時代の終わりを見ているのはおそらく僕だけではないだろう。

 

…と途中まで書いたところで、参議院選挙も終わってしまった。毎回のことなのだが、選挙で積極的に「ぜひこの人に投票しよう」という人に会えたことは一度もなく、今回もほとんど鉛筆転がしのような気持ちで一票を投じてきた。自分でも有権者としての自覚の乏しさや責任の欠如のようなものを感じないのではないのだが、就職活動と一緒で、候補者の側も選挙前は調子のいいことしか言わないので、僕のように判断にリソースを割きたくない人間にとっては、党派性以外の候補者間の差異が極めてわかりにくいのである。

 

結果は概ね与党の圧勝と言って差し支えないのだろうが、おそらくここには上述した悲劇への同情票も幾分かは含まれているのだろう。今日の結果からすると、今後数年間、また「増税」「検討」のオンパレードが続くのだろうなと思う。僕は15年ほど前に「日本人が東南アジアに出稼ぎに行く時代」が来るとおぼろげに予想していたが、もうそういう時代に入っているのだろうなと思った。ともあれ、人生は続く。