安芸・備後

家族で広島へと向かう。関東に上陸予定だった台風のために飛行機の運行が危ぶまれたものの、問題なく離陸してくれたのは僥倖であった。空港で車を借り、40分ほど山陽道を走って広島市街に着く。前に来たのは10年以上前だからそれなりに昔のことになる。その頃は僕の人生の荷物もいまほどに多くはなかったし、日常で会うことのできる友人の数も今より幾分多かった気がする。まあいい、今は2022年だし、結局のところ人生のどのステージにおいても、配られたカードで勝負するしかないのだ。

 

到着の夜は5年ぶりくらいに会った友人とお好み焼きを食べる。月並みだけれど、時々学生時代の友人と会えるのはうれしいものだ。彼の語り口は昔と同じように穏やかだったけれども、そこには何かに真摯に向き合ったものにしか醸し出すことのできない含みと、行ってきた仕事への矜持のようなものが感じられた。僕は僕で、デリダの話なんかをするのはずいぶんと久しぶりだった。無理もない、毎日僕は生産性というドグマの中で日々の生を送っているのだ。そういうわけで、丸いグラスになみなみと注がれたアイスコーヒーをちびちびと飲みつつ、久しぶりに過去・現在・未来、それぞれの時間軸の話に花を咲かせた。

 

☆☆☆

 

翌日は宮島に向かう。盆ということもあり、厳島神社の参道は老若男女様々な人々でごった返していた。すでに知ってはいたのだが、神社のシンボルである鳥居は修復中であり、それが当地の趣を心なしか損なわせていた。参拝の後はロープウェイで弥山に登る。名物となっている「消えずの火」の前ではインドから来たと思しき旅行者がたむろしており、その火についてああでもないこうでもないと熱っぽく議論を交わしていた(想像)。どうもインド英語を聞くと実務モードになってしまってよくない。ともあれ、低山ではあるものの、次女を連れて登山――ハイキングに毛が生えた程度のものだが――ができたのは収穫であった。下山後、疲労困憊の状態で立ち寄った「伊都岐珈琲」のアイスコーヒーは秀逸だった。

 

☆☆☆

 

翌日、8月15日。朝から原爆ドームに向かう。別に意図したわけではないのだが、結果的にこの場所を訪れるのが終戦の日になったことに、何かしら因果のようなものを感じないわけにはいかなかった。平和記念公園内に掲げられた半旗、そして32℃の暑さ。77年前の夏を想像しつつ、献花台に祈りを捧げる。僕らはその犠牲の上に生かされているのだ、と。その後は、日差しと暑さからの一時避難も兼ねて、資料館を見学する。事前に想像していたとおり、次女が展示物の内容が怖いということで抱っこモードになってしまう。そんなこともあって、館内では必要以上に感情移入することもなかったのだが、最後の「消えぬ想い」というコーナーの写真に写る女性の涙が琴線に触れ、思わず泣いてしまう。遺された人々は、何年も、何十年も、かつて確かに存在したけれども、すでにそうではない人を想って人生を送ってきたのだ、と。人生の大部分における精神的なアンカリング先を過去に固定され、その反芻と消化を繰り返しながら生きる――。僕も馬齢を重ねてそれなりの経験をしたからなのか、それが人にとっていかに重く、辛いことなのかは、なんとなく想像ができるようになった。それでも人は生き、悲しみの中からも希望と新しい命を育む。次女を抱きかかえながら、残酷ながらも尊い、そんな生命の営みに僕は思いを馳せていた。

 

昼過ぎに広島を出て、しまなみ海道へと向かう。概ね100kmの移動。大山祇神社に参拝しておきたかったというのが理由である。天気にも恵まれたため、いくつかの絶景スポットでシャッターを切りながら当地へと向かう。くだんの大山祇神社は、さすがに大神神社伊勢神宮ほどの空気感はなかったものの、境内の神木(おそらく)からは何かしら気のようなものが感じられた(科学的な傍証はゼロ)。参拝を済ませたあとは、近くのカフェでレモネードを味わい、福山のホテルへと向かう。当地では偶然にもこの夏最初の――そしておそらく最後の――花火を観る機会に恵まれた。街を行く浴衣の女の子が眩しかった。

 

☆☆☆

 

最終日。朝一で福山城の周りを散歩した後、尾道へ向かう。30分ほどの道のり。市庁舎に車を停め、ロープウェイで千光寺山に登る。ここでは4月に落成したばかりという展望台から尾道全体を見渡す機会に恵まれた。そこから「文学のこみち」を1kmばかり散歩する。道すがら、林芙美子の文学碑に刻まれた一文を見ただけで、僕はそれを女性の文であると判断する――なぜなのだろう?まあいい、はるばる尾道まで来て文学理論めいたものに思いを巡らせても仕方ないのだ。その後、商店街のカフェで軽い昼食を取って空港へ。飛行機に乗って『アメリカの鱒釣り』のいくつかの短編を読むと、あっけないほどの時間で飛行機は成田に到着する。ここでまた簡単に夕食を済ませ、帰宅の途につく。そしてまた日常が始まる。

 

☆☆☆

 

帰宅した翌日からフランス語の集中講座が始まる。想像はしていたのだが、思った以上になまっている。基礎的なことはもちろん覚えているのだが、ちょっと複雑なことを言おうとするとやはり英語が出てきてしまう。例えば、「”as long as”って何て言うんだっけ、、、」みたいなことが最初の1時間でたぶん20回くらいあった。とかいいつつ、久しぶりに普段使わない脳の筋肉を動かすことにはそれなりの快感もあり、ここまで3日間それなりに楽しめている。来年に向けて本腰を入れて鍛え直していこうと思う。