葛藤

あっという間に5月も半ばになってしまった。MBAも終わったことだし、年が明けてから多少は時間がとれるようになるようになるかと思っていたのだが、①仕事がほぼ常時末期的な状態であったこと、②次女の制御がまだできない(=悲しいほど聞き分けがない)こと、③長女の中学受験のサポートにかなりの稼働を割いていること、の3点の理由で、相変わらず泣きそうなほど時間がない。とはいえ、ひさしぶりに筆がとれたので、今考えていることを2、3記しておく。BGMはHysteric Blueの「春」。元号も変わったというのに、僕はまだ90年代の亡霊を抱えながら生きているようだ。

 

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米中間の関税発動により、相場はずいぶん荒れ気味になっているが、おそらくは先週末~今週あたりが底になると思うので、明日からETFの買いを入れていく予定。下値リスクを懸念したことから、今年はここまでほとんどポジションをとっていなかったので、このあたりでポツポツとキャピタルゲインを狙っておきたい。

 

なお、上記のような理由もあって、大まかなライフプランを検討してみたのだが、だいたい今の流れだと、45歳くらいまでには人生に必要な経済的資源は獲得できそうである(もちろん投資での大失敗なんかがなければ、の話だが)。貯まるようになったのは、給与が上がったというのも大きいが、欲しいものがほとんどないというのも大きい。物質的欲求を持つには、時間的・金銭的余裕の両方が必要なのだなと思う。ともあれ、45歳以降に、人生のライフワークとして何をするかについて、そろそろ考え始めなければならない。人生は短いからのである。とりあえず考えているのは、①自分で事業を起こす、②博士号を取る、③文を書く、④飽きるまでギターを弾く、くらいか。結局自分の中にある欲望など大したことがないものなのかもしれない。

 

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今30秒くらい、次に何を書こうか考えてみたのだが、書くに値すると思われるものが正直見当たらない。悲しいかな、自分の中の余剰が本当にないのだと思う。残りの30代は仕事に打ち込むと決めていたのだが、ここまで自分の中がすっからかんだと、やはり人間としてどうなんだと思う。東京という、世界でも有数の文化都市に暮らしているのに、年々より非文化的な暮らしになっているのだ。生活の8割は仕事に埋められており、なけなしの余白は、しまじろう、プリキュアとそして小学校のプリントでカオスのように埋められていく。2人の可愛い娘に囲まれた慌ただしい暮らしを、人は幸せと呼ぶのかもしれない——確かに彼女たちは可愛い。何にも代えがたいほどに。それでも、僕がそれに対して払っている対価を考えると、自分が一人の人間としてoptimalな状態とはとても思えないというのが正直なところである。

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相変わらずよくわからないのだが、発音矯正、筋トレ、仕事を黙々と続ける。自分をあるべき場所につなぎとめるように。