夏休み

月曜日から24時を過ぎてしまいげんなりとしているのだが、ここ2週間ほどのログを記録しておく。これ以上時間が過ぎてしまうと、せっかくの夏休みの記憶が頭の奥のほうに沈殿してしまいそうだからである。もう40になろうとしているけれども、「夏休み」という言葉が持つノスタルジーと幻想は、子どもの頃からちっとも変っていない。

 

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家族を連れて草津を訪れる。関東にだいたい20年くらいも住んでいるというのに、一度も訪れていなかったことに気づき、若干の高揚感とともに予定を立てたのだが、旅行中はずっとあいにくの雨であった。とはいえ、西日本で発生した水害のことを考えれば、僕らはまだ僥倖であったといえるかもしれない。いずれにせよ、悪天候のために子供たちを外で遊ばせてやることもできなかったため、早々に宿に入って、部屋でのんびりと過ごす。僕はほとんどの時間ルソーを読んでいた。1日目・2日目ともに似たような流れだったのだが、毎日深夜まで働いているせいか、夜になってもなかなか寝付けなかったのには閉口した。慣れない山道の運転が続いたためだろう、東京に戻ったらぐったりと疲れていた。

 

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久しぶりに広島の友人と話す。何年か前に話していたときと比べると、彼は当地での仕事や生活を、それそのものとして楽しんでいるように見えた。もちろんそこに至るまでには、それなりの葛藤や悩みがあったのだろうが、40という年齢でそんなふうに人生を楽しんでいられるというのは、僕から見てもとても幸せなことだと思う。彼がそのために支払っているコストと責任に思いを馳せる――その多くは僕の肩にも同じように乗っているものだ。彼からは東浩紀『ゲンロン戦記』を読むように勧められる。オリンピック、校則、自民党Python、40代のTODOと話題は移り、1時間程度で終了。今度直接会えるのはいつになるのだろうか。

 

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高校時代の友人と登山で長野県は駒ヶ根市を訪れる。が、当地に着いたらなんとロープウェイが動いておらず、急遽通常の観光に切り替えることに。普段30分刻みのスケジュールで動いているので、急に半日ものフリータイムができてしまうと若干戸惑ってしまうのだが、それはそれで贅沢と呼べなくもない。夜は修学旅行のノリで、酒を片手にひたすら昔の女の話をする。我ながらどうしようもないことこの上ないのだが、たぶん僕はこの先も一生同じようなことをやっているのではないか。翌日は養命酒の工場に寄る。ここは印象派の絵の題材になりそうな美しい場所であった。僕がまだ22歳くらいで、こういうところで好きな女の子とデートできたら最高だっただろうなと思った。山に登れなかったというのもあるのだが、今回はこの養命酒の工場が一番印象的だったかもしれない。

 

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最後の日曜日は、我が家の姫のリクエストに応え、秋葉原ドラクエカフェに行く。例によって、味は並み以下である一方で、価格は大幅にインフレしていてげんなりしたけれども、店内で”Love Song探して”が流れたときにはちょっとホロリときてしまった。この曲を聴くと決まってパスワードを間違える幼少時の記憶が蘇ってくるのだが、僕は僕で、人生の「ぼうけんのしょ」をいくつかリロードできないままに残してきてしまったような気がする。ともあれ、子どもたちはドラクエグッズに囲まれてうれしそうだった。帰り道では、コスプレ姿の少女たちが、明らかに自身の性を商品としてメインストリートに佇んでいた。そして、彼女たちをまじまじと見つめるテストステロンの値が明らかに低そうな男たち。ここもまた世界の果てなのだ、と思った。

 

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以上で今年の夏休みは終了。ほとんど勉強ができなかったことは反省材料である。それでも人生は続く。