ズルい大人になれなくて

一週間が終わった。今週はもう少し仕事がハードだと思っていたのだが、嵐の前の静けさという感じで、そう大きな混乱はこれまで発生していない。肝はいわゆるASC 606の導入で、会計基準の変更としては10年に一度の規模といわれるほど大きなものなのだが、影響範囲が広すぎて、これから何が発生するのか今でもよくわからない。まあ淡々とやっていくしかないのだろう。それにしても、おそらく最も混乱するであろう2月の頭に、一時的ではあれ、業務を離れなければならないのは懸念である。まあなるようにしかならないのだろうが。

 

☆☆☆

 

上司からのレビューセッションで、お客様との交渉での不備を指摘され、「お前はもっと腹黒くならなければダメだ。じゃないと会社を守れない」と言われる。要するに、抜け目のなさが足りないという意味なのだろう。なんだか深く考えさせられてしまった。「悪いヤツほど出世する」というのはちょっと言いすぎとしても、バカ正直であることが推奨される環境ではないのだ、僕が生きている世界は。ゲゼルシャフトというのは、いわゆる人権だとか、平等だとかの19世紀的な「べき論」が通用するような世界ではないのである。

 

とはいったものの、たぶん僕は根がけっこう正直者なので、腹黒くなれるかというとあまり自信がない。この言葉は、おそらく「もっと戦略的になれ」と解釈すればいいのではないか…まあそう考えておくことにしよう。

 

それにしても、今後MBAが終わったら、「計算の苦手な会計士」に加えて、「交渉の苦手なMBA」が誕生してしまうことになる。まあそうならないように、できるところから努力を始めてみよう…どうすればいいのだ?プラトンの『対話篇』でも読めばいいのか?

 

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学校のクラスでFacebookのグループを作ることになったので、やむなくまたアカウントを作ることに。一応学級委員なので、これくらいは仕方ない。まあ英語でやりとりしている分には、言葉の直接性というか、内面化される程度は、日本語に比べてはるかに低いので、あまり毒にもならないのではないかと思う。

 

☆☆☆

 

インフルエンザの流行で、長女のクラスが2日間の学級閉鎖となる。東京の学校は毎年学級閉鎖になるのだろうか。仕方ないので、妻と僕とで一日ずつ休んで対応する(会議なんかは電話で出ているので、実質的には自宅勤務)。よくある話なのだろうが、この話を上司に相談したときも、明らかに否定的な反応の色が見えて、若干辛かった。こういうところの意識から変えていかないと、子育てなんか絶対にしやすくならないし、出生率も上がらないよなあと考えさせられる。

 

こういう環境にいると、もう少しマクロな話、例えば、子育て・子ども関係の政策なんかについても、否が応でも関心を持たざるを得なくなってしまう。まあ大人になったということなのだろう。あとは地域包括ケアか。20代の頃は自己の実存が自分の主要な問題系だったことを考えると、ずいぶん遠くまで来てしまったなという気がする。

さらば大崎図書館

例によって特にめくるめくような出来事もないのだが、ここ数日のことを記しておく。

 

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成人の日は例年どおり出勤であった。オフィスの外は雅な女の子がたくさん歩いているし、なんといっても祝日だったので、3時間くらいでささっと済ませて帰宅しようと思っていたのだが、大トラブル発生で、結局午前1時までオフィスに残ることになってしまった。午後7時にはエアコンも止まってしまったので、誰もいないオフィスで一人コートを着てひたすらPCと格闘、という散々な一日であった。帰りのタクシーで運転手の人にこの話をしたらちょっと同情してくれた。

 

ちなみに、だいたいこういう泥沼残業時は音楽をかけながら仕事をすることが多い。この日は90年代のポップス――ジュディマリとか、マイラバとか――を聴いていた。23:30の誰もいない祝日のオフィスで「白いカイト」なんかを聴いていると、いい感じに絶望できるので、メンタルに自信のある人はぜひ試してみてください。

 

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僕のお気に入りの場所のひとつである大崎図書館がいよいよ今年の3月で移転となるようである。前の職場からも、現在の自宅からも近いということで、本当にお世話になった場所であるだけに、やはり残念ではある。小さい子どもを連れていける数少ない場所ということもあり、ほぼ毎週末と言っていいほど通っていたような気がする。もしかしたら人生で一番行った回数の多い図書館かもしれない。区議会でもいろいろ議論があったようだし、例によって共産党系の議員の人たちは反対だったようだけれど、大崎エリアについては御殿山側方面の開発が急ピッチで進んでいるので、図書館をそちら方面に移設するというのはある程度妥当な判断だと思う。それにしても、書店はどんどん閉店になり、図書館も移設してしまうということで、紙の本にかかわる機会が急速に日常の生活から失われてしまっている気がする。残念ながら、ずらっと並んだ本に囲まれたときの幸福感は、Kindleには求めようもない。

 

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今週からまた学校が始まる。ここから半年くらいはほぼ休みなしで講義が続くので、それ以外に割ける時間は著しく減少するだろう。仕方のないことなのだが、そうなるとやはり、それ以外の自己啓発を行う時間はほぼなくなってしまう。言ってみれば「男磨き」の時間が宿命的に削られるということだ。例えばそれは、アリストテレスを読む時間であったり、中国語を勉強する時間であったり、会社設立の準備をする時間であったり、筋トレをする時間であったり、ホールトーンスケールの運指を練習する時間なんかのことである。おおまかな時間軸としては、MBAが終わってから、37~40歳くらいでこのあたりをまとめて一から鍛えなおしたいなあと思っている。たしかルービンシュタインにも隠遁生活をして一心不乱に技術を磨いた時期があったはずだ。次の学位が得られたら、僕にもそんな時間がくればいいなあと思う。中学校受験のサポートにどれくらいの労力がかかるのかというのは、まったくわかっていないのだが、まあそれは別の話である。時間、どっかに売ってないかなあ。

正月、孤独、ジュンク堂

明日の午後からは自宅勤務が始まるので、実質的に今日で冬休みは終わりである。というわけで、この6日間のことを簡単に振り返っておく。

 

ある程度予想はできていたものの、この期間ほとんど自分のしようと思っていたことはできなかった。学校の課題もまだ終わっておらず、まともな本は一冊も読めていない。これはある程度しかたのないことで、朝8時から夜22時くらいまでほぼ子どもの対応に追われていたことが主な原因である。実際、ここ数日僕が行ったのは、シッター業→深夜ランニング→深夜勉強というサイクルの繰り返しだけで、そこには季節感などというものはほとんど見受けられない。それでも、子どもたちは親が一緒に家にいてくれているというだけでうれしそうだった。共働きということで普段我慢させてしまっている部分も当然あるだろうから、こういうときは甘えさせてあげなければなあと思う。

 

ところで、このクリスマスから正月にかけて、5人ほどの旧友に、誕生日のメッセージやら年末の挨拶をメールで送ったのだけど、ここまでで返信があったのは1人のみだけである。ああ、人はこうやって離れていくのかなあと寂しい思いになった。まあ皆それぞれ忙しいのだろうが…。

 

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ここ半年分の『出版状況クロニクル』をまとめて読んで、ジュンク堂の工藤社長が退任していたことを知る。まあずっと赤字続きだったから、おそらくは経営責任を問われてのことだろう(ちなみに、昨年の有価証券報告書には、丸善ジュンク堂の経常損失は1,094百万円とある。外資系でこんな数字出したら一発クビである)。僕が知る限り、ここ5年ほどのジュンク堂はまだ大型店の出店をまだ続けていたはずだけれど、このような状態ももう限界に来ているということだろう。大型書店の存在は、販売=Sell-thruの増加を担保するものではないからである。一方で、版元からすれば出荷額=Sell-inの額を一時的に増やすための箱が確保できるということで、おそらくはこのような大型店舗の出店戦略は好意的に受け止められてきたはずだ。このトレンドが本格的に終了するとすれば、既存の店舗の多くは遠くない将来に閉店となり、取次にも版元にも甚大な影響を与えるだろう。

 

いずれにせよ、紙の本のビジネスは、もうほとんどビジネスとしてはほとんど機能していないのではないかという気がする。個人的にはやはり紙の本が好きなので、残念なことではあるのだが…。

走れ師走よ

一応年内の業務もひととおり終了し冬休みになったのだが、ここ1ヶ月ほど、仕事も勉強も目の前のことを片付けるのがやっとで、視野が極度に狭くなっていたように思う。何であれ、全体像を欠いたままに走り続けるのは精神衛生上褒められたものではない。地図がないままに高速道路をずっと走っているような気分になる。というわけで、その地図の中に自分を位置づける作業を行うのが、この一週間の課題となる。

 

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冬休みに入ったことで少し時間ができたのか少し魔がさしてしまい、アカウントを作りっぱなしにしておいたFacebookで、8年前にフラれた女の人のページをこれでもかというくらい見まくってしまった。「何やってんだろ、俺」と思いつつ、深夜一人で過去5年分くらいのエントリと写真に一気に目を通す。僕がコメントできる立場かどうかはよくわからないのだが、彼女はやはり美しかった。もちろん、20代の特権の肌の輝きや、有無を言わせず人目を惹いてしまうような美しさはいくぶん失われてしまっていたけれども。そしてまだ結婚はしていないようだった。いずれにせよ、その画面が僕に伝えるのは、その8年という空白の長さと重さ、そして彼女の人生のポートフォリオの中に、僕という人間がすでに存在していないという事実、それだけだった。

 

そして、この行為の代償として、僕には当然のごとく鬱症状が訪れる。2、3日くらい、仕事も勉強もほぼまったく手につかなかった。もしこれがなかったら、ブログももう少し早く更新できていただろう。そう考えると、SNSを見るという行為は、少なくとも僕にとっては、自傷行為以外の何ものでもないのである。というわけで僕はFacebookのアカウントを消し、ブラームスを聴いて、自分に対しての手紙を数枚書くことで、なんとか気持ちを落ち着かせた。何度同じことをすればその愚かさに気づくことができるのだろう。

 

ちなみに、忘年会で酔っ払ってこの話をしたら、「お前本当にバカだな」と参加者全員にボロクソに言われた(そりゃそうだ)。上司は「ルビーの指輪」を、先輩格のマネージャは”Over”を歌ってくれた。

 

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なにかほかにもいろいろ書きたいことがあったのだが、失念してしまった。それだけ上記行為の代償が重かったということだろう。とりあえずは淡々と経済学の宿題を進め、年が明けたら『いきの構造』を読みたい…のだが、後者はちょっと厳しいかもしれない。とにかく師走よ、走ってくれ。僕にとっては、今年はいささか密度の濃すぎた年だった。ずっとエスプレッソみたいな日々が続いたのだ、最後の2日くらいはアメリカンでもいいじゃないかと思う。

クリスマス・イヴ

またしばらく間が空いたら、書くのがずいぶんおっくうになってしまった。ブログでさえそうなのだから、論文を10年書いていない大学教授なんていうのは、正直もう使い物にならないのではないかという気がする。まあ、僕の場合は書けなかったというよりは、とてもそんな時間がとれなかったというのが正直なところだけれど、理由がどうあれ、ブランクというものは然るべき代償を伴うということではないかと思う。

 

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ちょっとGoogle翻訳を久しぶりに触ってみて、クオリティが向上しているのにびっくりしてしまった。ひとつ前のブログのエントリで試してみよう。

 

原文: 「たぶん人生の中で僕はもっといろいろな罵詈雑言にさらされてきたのだろうが、人間の持つ忘却というすばらしい能力によって、それらの多くは少なくとも記憶の表面には残っていない。それでも、いくつかの言葉は決定的に記憶される。シニフィエもレフェランも失った、純粋なシニフィアンとして。そしてそのシニフィアンは、言葉の発せられた元のコンテクストを離れて、現実の個別の状況と結びつき、暴力的に次のシニフィエをつむぎ出していく。まるで切除した悪性腫瘍がほかの部位に転移していくように。記憶された言葉の暴力が根源的に切除されることなどありえないのである。もう傷は傷として記憶されるしかないのだ。そういえば三浦和良がフランスワールドカップ前に代表を外されたときも、同じようなことを言っていたような気がする

 

Googleによる機械翻訳Perhaps in my life I would have been exposed to more abusive phrases, but due to the amazing ability of human forgetfulness, many of them are not at least remembered on the surface of memory. Still, some words are decisively remembered. As a pure signifiant, both Sinifie and Referent lost. Then, the signifiant leaves the original context from which the word was issued, tied up with the individual circumstances of reality, and violently releases the next signifie. As if the resected malignant tumor metastasizes to other parts. It is impossible that the violence of the memorized word is radically excised. The wound can only be remembered as a wound. By the way, when Mr. Kazuyoshi Miura was delegated before the French World Cup, I feel like he was saying the same thing.

 

いかがだろうか。元の文を書いた僕としても、なかなかうまく翻訳できていると思う。最後の箇所(赤字部分)の、”I feel…”は明らかに適切ではないし(僕であれば、”I feel…”を削除して、後ろに”if I remember correctly”を入れる)、”the same thing”というのも微妙だが(同質性が完全に担保されているわけではないので、”similar”の方が適切と思われる)、無料翻訳としてはかなりのクオリティであると思う。もっともこれはなかなか笑えない話で、あと5年くらいして、AIで人間が行うものと遜色ない翻訳が可能だとすれば、その手の職業が早晩社会から必要とされなくなるのは確実である。まあこれは僕が行っているような財務系の仕事にとっても笑いごとではないのだが…。

 

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学校は3週間の冬休み。この間は家族と過ごす時間が少し多めにとれそうだ。とはいえ、例によって容赦なく宿題は課されており、やはり一日3時間程度の学習は続けなければならないと思われる。おそらく重いのは、会計と経済学のレポートで、資料収集と読み込みだけかなり時間がとられてしまいそうである。1月は会社での仕事が相当な修羅場を迎えそうな状況なので、なんとか冬休みの間に貯金を作っておきたいところである。

 

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今日は一応クリスマス・イヴということで、家で子どもたちとケーキを作った。あまり手間をかける気にもなれないので、買ってきたスポンジに、フルーツを乗せて、生クリームをベタベタと塗っただけではあるのだが、これはなかなか楽しい時間だった。おそらく我が家に女の子がいなかったら、こんなことは一生やらなかっただろう。クリスマスの時期については、手作りでケーキを作ったほうが、圧倒的にROIが高いこともわかったので、来年以降もこの方法で行こうかと思っている。有名店の名前を関しただけの冷凍モノを買うよりは、こっちのほうがずっと健全ではないかと思う。

 

そして、これから子どもたちの枕元にプレゼントを置くという今日最後の仕事が残っている。サンタクロースがやってくることを信じているのだ、とても純粋に。「幻想を紡ぐ」というのは、親という職業のjob descriptionの中でもそれなりに重要度が高い項目なのだろうな、と思う。おそらくそれが、彼女たちの素直さを育むために必要不可欠な条件のひとつだからだ。少なくとも親として、ささやかな幻想を子どもたちには届けてあげたいと思うし、おそらくは彼女たちはそれを真摯に必要としているのだと思う。

 

自分という人間が立派などとは口が裂けても言えないけれど、親として彼女たちの未来や成長を考えるとき、そこには何かしら汚れなきものが含まれているような気がする。そんなことを考える、2017年のクリスマス・イヴ。

罵詈雑言列伝

先週ほどではなかったにせよ、今週もハードな一週間だった。学校のペースは少し落ち着いたのだが、今度は仕事でトラブルが立て続けに起こり、さすがに帰宅後にPCに向かうのが難しかった。その中で、自分にとってはなかなか衝撃的な一言もあったので、今回はその点について主に記載する。

 

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人生で僕が直接受けた批判というか、要するに叱責の言葉で特に印象に残っているのは以下のものである。10代~30代までで一言ずつ挙げてみる。

 

10代…「お前はバカだ」

―高校時代の英語教師から。シンプルだがなかなか力強い一言である。今だったら「うるせえな、バカなんだからしょうがねえだろ」とでも言えるだろうが、当時はそんなこととても言えなかった。そういえば、高校のときに「バリゾーゴン」という映画が強烈な宣伝をしていたのを今でも覚えているのだけれど、あれは結局なんだったのだろう?

 

20代…「You are no meaning」

―当時の客先のマネージャから。これはなんといっても破格構文なのがいい味になっている。一応英語ということもあって、言われたときには精神的なショックはあまりなかった。

 

30代…「僕はもうあなたを信用しない」…New!

―会社のNo. 3(一応、直接のレポートライン)にあたる人から。これが今週のハイライトであった。こちらからしてもいろいろ言いたいことはあるのだが、とにかくこの一言が発せられたことの意味は重い――おそらく、発せられる言葉として適切なものではなかったと思う。たぶんこんなことを直接言われる従業員というのもあまりいないのではないか。

 

番外編…「ダメに決まってるじゃない」

―一応当時友人であった女性から。僕は彼女のことが女性として好きだったのだが、いろいろあって「ダメ」であった。この一言の肝はなんといっても「決まっている」というところで、これはアプリオリな可能性の否定を含意している。女性から、男性として受容されるという可能性を先験的に否定されるといのは、「今そうである自分がかつてそうであったもの」の否定に他ならないので、平たく翻訳すると「過去に戻って死んでくれ」という意味になる。幸か不幸か死にはしなかったが、僕は人生で初めて心療内科行きになった。

 

たぶん人生の中で僕はもっといろいろな罵詈雑言にさらされてきたのだろうが、人間の持つ忘却というすばらしい能力によって、それらの多くは少なくとも記憶の表面には残っていない。それでも、いくつかの言葉は決定的に記憶される。シニフィエもレフェランも失った、純粋なシニフィアンとして。そしてそのシニフィアンは、言葉の発せられた元のコンテクストを離れて、現実の個別の状況と結びつき、暴力的に次のシニフィエをつむぎ出していく。まるで切除した悪性腫瘍がほかの部位に転移していくように。記憶された言葉の暴力が根源的に切除されることなどありえないのである。もう傷は傷として記憶されるしかないのだ。そういえば三浦和良がフランスワールドカップ前に代表を外されたときも、同じようなことを言っていたような気がする。

 

ともあれ、個人的には言葉はそういうふうに使うべきではないし、少なくとも僕は、とりわけ組織の中ではそういうことはしたくないなあと強く思った。

 

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もう年末なのだが、今年は年の瀬までいろいろとバタバタとしそうである。仕事・家庭・学校の三本柱に加えて、法事、新しいプロジェクト、ちょっとしたメディアの取材、いくつかの送別会・忘年会と、29日くらいまでゆっくりできそうにない。そういえば、喪中はがきをまだ出していなかった…月曜にすぐ出さなければ。

学級委員

多忙である。あまり忙しいという言葉は好きではないので、なるべく使わないようにしているのだが、今週は本当に忙しかった。会社での業務量はこれまでとさほど変わらないのだが、学校からの課題が毎日容赦なく出されているので、毎日2~3時まで勉強という状態が続いている。だいたいの感覚としては、日本の文系の学部教育だったら、一週間でやってこいというような内容を、一日で、しかも毎日やれと言われているのに近い。しかもフルタイムの仕事と、英語というハンデを抱えて、である。プレリーディングの量なんかも、おいこれマジかよ、というような量が平気で与えられる。ネイティブ組からも「死にそう」というようなメッセージが毎日のように届くので、典型的ノン・ネイティブの僕にとっていかにハードかというのは、推して知るべしである。

 

しかしながら、こうやって欧米流の高等教育に初めて本格的に触れてみると、改めて日本と海外とでは大学教育の厳しさがまったく異なるのだなあと感じざるを得ない。学部のときなんかも、外国語を読みこなすのにそれなりに苦労した記憶はあるけれど、今現在のことを考えると、ずいぶんお気楽な話だったなあと思ってしまう。まあ自分で選んだ道だし、それなりに楽しいことは楽しいのだが、睡眠時間が思うように取れないのは困ったものである。

 

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上記に加えて、なんと今年度入学生(コホート)の学級委員になってしまった。とはいっても、別に僕が優秀なわけでもなんでもなくて、なんとなく「あいつ変でおもしれーから、とりあえずあいつにしとこうぜ」といったような感じで、なし崩し的に決まったものである。とはいいつつも、これだけの多国籍の人々が集まる中でリーダーシップを取るチャンスなどそうそうあるものではないので、それなりにきちんと務めたいなあとは思っている。一発芸のネタをたくさん用意する必要があるかもしれない。シンガポールで「みかんのうた」とか全力で歌ったらさすがに顰蹙を買うだろうが…ちょっと試してみたい。

 

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久しぶりの投稿なので、本当はもっといろいろ書きたいのだが、勉強ばかりしていてネタがないのか、これ以上文があまり浮かんでこない。そういう意味では、MBAというのは一種の「精神と時の部屋」みたいなものなのかもな、と思う。そういえばMBAを超聖水だと言った人もいたな…。とにかく冬休みまであと3週間なんとか乗り切って、年末年始は少しゆっくりと過ごしたいところである。