気狂いプロフ

相変わらず慌しい日々が続いてはいるのだが、一応学校は夏休みに入ったので、夜は少し時間がとりやすくなった。ここ2ヶ月ほどのワークロードが常軌を逸していただけに、それがなくなっただけでも、ずいぶん余裕を感じることができる。本当はジムに行って体をバキバキになるまで鍛えたいのだが、あいにくまだそこまでの時間はとれていない。

 

☆☆☆

 

先週末はオペレーションの期末テストだったのだが、これがまだ強烈であった。20ページくらいのケースを読んで、内容のサマリを行い、成功要因・問題を特定した上で、それらの問題への改善案を提案する(英語で4,000語程度)といったものだったのが、課題を与えられたのが金曜で、ヨーロッパ時間の日曜日24:00までに提出をする必要があった。英語で4,000語というと、日本語で8,000字から10,000程度にあたる(ちなみに、学士論文を英語で書く場合の目安がだいたい10,000語程度)。しかも、金曜日は仕事があり、土曜日も別の授業があったので、実質的に使えるのは日曜日のみであった。仕方ないので、日曜日は家族との予定をすべてキャンセルし、パンツ一丁で泣きそうになりながら一日中レポートを書く。Whatsappを見ると、ネイティヴ組も「こんなに書けねえよ」なんて言っているという、なかなか阿鼻叫喚度の高い状態であった。結局僕が書いたのは3,200語程度で、朝9時から作業を始めて、提出できたのは深夜の2:30だった。得難い経験ではあったと思うが、もう一度やれと言われたら即答で断るだろうと思う。

 

☆☆☆

 

前から思ってきたことなのだが、年齢を重ねると本当にいろいろなことが外面に出てくるなあと思う。前は出てくるのは考え方や生き方なんかの、いわゆる内面的な部分が中心だと思っていたのだが、最近は顔や雰囲気で、男女問わず、所得水準や職業、未婚・既婚なんかまでだいたいわかってしまうようになった。あまり科学的な傍証もないのだが、おそらくは外見とそういうひとつひとつの動態的な分類には統計的に有意な相関性があって、それを直感的に判断しているのだろう。そして、僕がそういうことを考えているくらいなのだから、世の中の多くの人も必ず同じようなことを考えているだろうと思う。そういうものだからだ。こういうことを口に出すと、ステレオタイプやらレッテル貼りという批判を受けるのだろうが、おそらくは僕も直感的にそういう判断を下すようになるまでに、少なくない数のサンプルを見てきているのだろうから、それはそれで、おそらくは一定の正しさを持っているのではないかと思う。そういうわけでまた自分への問いかけが始まる。僕は30代後半の男としてしかるべき顔をしているのだろうか、と。

 

☆☆☆

 

もうすぐやってくる本当の夏休みには、本らしい本を読みたいのだが、別に特定の本を読みたいというわけではないので、また古典か昔読んだことのある本に戻ってしまいそうである。「午後の最後の芝生」みたいな話が読みたいのだけれど、残念ながら、同じような空気感のある作品にはこれまで出会ったことがない。夏の生ぬるい空気、気だるさ、女のずるさ、特権的な学生のモラトリアム…。いつかの僕も人生のそういう時期を生きていた。逆説的ではあるが、これほど自分が大人になってしまったということを自覚させられる作品はちょっとほかにない。そんなことを書いていたら、なんだか初期の村上春樹が読みたくなってきてしまった。

雨の切れ間に

またけっこう間が空いてしまった。ここ一週間ほどはまた非常事態宣言状態で、自分が何をしているのかさえわからないような状態が続いていたのだが、ようやく週末ということで一息という感じである。あれほど激しく降っていた雨もようやく止んだようで、夜のとばりの静けさの中で、自分のたたくキーボードの音だけがカタカタと響いている。この雨は西日本を中心に、各地で重大な被害をもたらしているようだ。何人かの友人たちの生活にも影響が出ていないといいのだが。彼ら・彼女らの心の平和について思いを馳せる。

 

☆☆☆

 

先日のベルギー戦では朝も早くからよく泣いた。批判ばかりを浴びていたチームだったけれど、あの90分間で見せてくれたサッカーは本当にスリリングで、純粋に「かっこいいなあ、こいつら」と思った。それだけに、最後の最後に逆転されてしまったところで試合が終わってしまったときは、僕もほぼ心神喪失状態であった。選手たちが泣いているところを見ていると、もう僕も泣かずにはいられなかった。02年の雨の宮城や、10年の南アフリカのPKではさほど感情を揺さぶられることもなかったのに、今回これだけ涙腺に響いたのは、自分自身が歳を重ねたことと、大人の男が本気で戦うということの意味を知ったことが原因ではないかと思う。とにかく、これだけドラマティックな試合は、人生の中でそう出会えるものではない。筋書きのはかなさでいえば、94年、灼熱のロウズボウルにも勝るとも劣らない一戦であったと思う。

 

それにしても、ワールドカップの決勝トーナメントともなると、一戦一戦の熱量(いわゆるintensity)がすさまじく、「ちょっと10分だけ」というような観戦のしかたは極めて難しい。先日のアルゼンチン対フランスなんかがよい例で、もうそれ自体が90分間のスペクタクルであった。こういう垂涎ものの試合が連続して観られる一ヶ月は、至福といえば至福なのだが、時差の関係もあって体力的には極めて厳しくなってくるので、早く終わってほしいというのもまた本音である。

 

☆☆☆

 

転職活動は今日書類通過の報告が来た。一時面接の面接官は、この間カジュアル面接をした方だという。なんだか妙なものである。ちなみに、その会社の組織をもう少し調べたところ、僕が受けようとしているポジションのおそらく上司格の人は、今僕が通っている学校のクラスメイトの元上司とのこと。いやはや、世界は狭い。まあ名が通っている学校のMBAホルダーのコミュニティなんて非常に狭いものなので、そういう事態があるということは別に不思議ではないのだが。というわけで、向こう1週間は勉強とともに面接対策を進める予定。

 

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大雨とオウム幹部の処刑で騒がしかった一日の終わり。久しぶりの、そして束の間の静寂。これからまたケースをひとつ読む。その課題が終わって、また朝が来たら、騒がしい一日が始まる。なんといっても夏はこれから始まるのだ。

千載一遇

 毎回毎回オープニングのネタが同じでうんざりするのだが、本当に時間がない。とはいいつつサッカーはけっこう見ているので、時間がないというのは単なるクリシェというか、甘えと言えなくもない。とはいえ、5時間以下の睡眠が一ヶ月近く続くというのはやはりなかなかしんどいものがある。

 

☆☆☆

 

仕事中、アイスコーヒーを買いに外に出たところで、前職の同僚であったディレクターに出くわす。その場では紋切り型の挨拶をしただけだったのだが、その後Linkedinにメッセージが入り、「今いる会社でひとつポジションが空いてて、お前に合っていると思うんだけど、受けてみない?」との由。実はその会社は前々から興味のあった会社だったので、声がかかるだけでもかなりうれしかったのだが、それに加えて、紹介されたポジションと僕のキャリアとのマッチングはほぼパーフェクトに近いものだった。ファイナンス・分析関係のスキルと、今MBAで勉強している戦略関係の知識を両方とも生かすことができる上、勝手知ったるソフトウェア業界である。おそらくは年齢的なフィット感も問題ないはずだ。これから転職活動をはじめようとしているところで、このようなポジションを紹介してもらえるとはなんという僥倖なのだろうと思った。とりあえず明日先方のHiring managerにカジュアルに話を伺ってくる予定。

 

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昨日、サッカー日本代表が大金星を上げたのは周知のとおりだけども、これは僕にとっても本当にうれしかった。恥ずかしながら試合を見ながら少し泣いてしまったくらいである。何が涙腺を刺激したかというと、柴崎が後方から小気味良くパスを散らしている姿であった。明らかに格上の相手に対し、自信を持って後方からゲームをコントロールする彼に、いつかの遠藤の影を見てしまい、「ああ、日本のサッカーのDNAもこうして受け継がれていくのだな」などと考えていたら、思わず胸が熱くなってしまった。それと同時に、何点差で負けるだろうなどばかり考えていた自分が恥ずかしくなった。もちろん、あまり褒められたものではいミスもあったけれど、ワールドカップ本番初戦で勝つことができたことの価値は、それによって少しも貶められるべきものではない。

 

それにしても、ナショナリスティックな物言いは普段意識的に避けるようにしているのだが、スポーツと料理に関してのみ言えば、僕は産経新聞平均購読者にも負けないくらいのナショナリストではないかという気がする。生粋の左翼はワールドカップなど見ないのだろうか?詳細は不明である。

 

☆☆☆

 

あと2週間で学校は夏休み。それとともにリクルーティングの夏が始まる。ぶったおれるまでやりきろう。

青春への挽歌たち

少し間が空いてしまった。書こう書こうとは思っているのだが、それ以上に優先すべき事項が毎日出てくるので、必然的にこの極めて個人的な行為は後回しにならざるを得ない。週に一度程度の更新でも、それなりの数の人がこのスペースを訪れてくれているのは喜ばしいのだが、こちらとしては内容・面白みのあるコンテンツを定期的に届けられていないのが若干心苦しくはある。まあもちろんそんなにシリアスなものではないのだが。

 

☆☆☆

 

高校時代のバンド仲間と久しぶりに――たぶん7年ぶりくらいに――横浜で集まる。が、笑ってしまうほどに男同士の人間関係というのは変わらない。もう18年くらい一緒に音を鳴らしていないのに、「あの曲のCメロのところもう少しアレンジしたいよね」とか平気で言ってたりするし、いまだにコージー・パウエルが現役の話題として出てきたりする。我ながらにこれはちょっとしたものだなあと思う。一人でいると、17歳のころの自分のことはまるで他人のように感じられるのに、彼らと話していると、バンドを4つも5つもかけもちしていた頃のことがずいぶん近しく感じられる。タバコ臭いスタジオ、伸ばしっぱなしの弦、ルーズソックス、そして好きだった女の子…。世界は今の僕が暮らしているそれよりも、もっとずっと単純だった。ロックンロールで世界は良くなるんだと、頑なに信じていたのだ。

 

食事を済ませた後、当時の音楽を大音量で流しながら16号を走る。ZARDDEENTMNリンドバーグB’z、森高、GLAY、Globe…「恋心」を聴きながら、湾岸の遠くのほうにともる灯を見ていたら、二度と還らない日々の遠さと重さを感じて泣きそうになってしまった。僕はこれまでどれだけのものを失ってきたのだろうと。これらは僕にとっての青春の挽歌なのだなと思った。

 

ひとしきり感情の波が過ぎ去ってしまうと、またいつもの平凡な孤独がやってきた。僕は地方都市に住んでいる高校生ではなく、大都会のただなかで歯車を回す会社員だった。

 

☆☆☆

 

Youtube上にアップされている「群青日和」のコメント欄を見ていると、あまりにも変態コメントで満たされており、一種の清々しささえ感じてしまう。まあそれくらいこのMVの椎名林檎が魅力的なのは否定できないけれども。同じような文脈だと、Jason Mrazの”Butterfly”のコメント欄も相当変態度が高かったような気がする。「ここの欄は、お前らのGoogleの検索履歴よりエロいぜ」というコメントを見て笑った記憶がある。

 

☆☆☆ 

 

学校の夏休みまであと一ヶ月。とはいっても、7月からは例年どおり年間予算の作成があるので、仕事が若干バタつきそうではある。今月の後半からは転職活動も行わねばならない。僕は自分に言い聞かせる。このゲームが正しいかどうかはわからなくとも、ここで戦う以上はボールを回し続けなければならないのだと。今年の夏はどのような季節として記憶されるのだろう。

歳を重ねるということについて

30代も半ばを過ぎたからなのか、歳を重ねるということについて最近よく考える。もちろん、絶対値としての年齢が積み重なっているという事実によってそう考えさせられることもあるだろうが、それ以上に、ライフイベントを通して、自分という人間が生きるとはどういうことなのかを突きつけられるようになったことがより大きな理由ではないかと思う。

 

歳を重ねるとはどういうことなのか。

 

無論、それは単純に心躍るというようなものではない。僕自身、幸いにして体力の衰えを自覚させられることはほとんどないものの、髪に白いものが混じっているのを発見したり、昨年病気の疑いを指摘されたりしたときは、「ああ、僕も歳をとっているのだな」と、若干の切なさを覚えた。冠婚葬祭でも、お祝いではないものが増えてきている(これからもっと増えるのだろう)。時は確実に一定のスピードで流れているのだ。僕の意識とは関係なく。日本語にはそのことを表すとても的確な表現がある――「無常」。西洋の文脈ではなんと言うのだろう?「摂理」?

 

ともあれ、歳を重ねるということに関連して、最近ひとつ心がけていることがある。「素直でいること」である。意地を張らないこと、とも言い換えられるだろう。卑近な例で言えば、「彼はすごいね」なんて会話になったら、「うん、彼はやっぱり一目置かれているだけあるよ」と特に含みなく、人の言ったことを認めるような所作のことである。これは、単純なようでいてけっこう難しい。下手に学歴が高かったり、キャリアを重ねてしまったりすると余計に素直になりにくくなる。僕自身、けっこう勉強はしてきたほうだと思うし(しかも哲学)、それなりにキャリアにもこだわりがあるので、無駄なプライドを抱え込んでしまったことが、これまで少なからずあったと思う。そしてそれはおそらく、幸福よりもむしろ不幸を僕に、そして周りにももたらすことが多かったような気がする。

 

この心境の変化はどうやってもたらされたのだろう?もちろん、意地が不幸を呼ぶという一般的法則に、経験を通して気づいたということもあるだろうし、単純に歳を重ねて角がとれてきたということもあるだろうが、僕の場合は、生活の中で妻と子どもにその大切さを教えられたということがとても大きい。彼女たちと暮らす中で毎日の中で、素直さと屈託のない笑顔が、どれだけ人と人との間のハードルを下げるかということを実感したのである。これは、子育てをしてきたことのポジティヴな副作用と呼んでもいいかもしれない。そして、素直さがある種の強さによってもたらされているとすれば、彼女たちはやはり僕を強くしてくれたのだと思う。

 

この変化はおそらく、僕のキャリアやビジネスパーソンとしてのあり方にも、少なくない影響をもたらすだろう。そしてその多くはポジティヴなものであるはずだ。Digital disruptionは今後10年ほどで経営環境に劇的な変化を引き起こすだろうし、その変化に適応するには、素直さ=柔軟性が必要不可欠であるからだ。もちろん、実業の世界では、事象や言明に対する健全な疑いも必要ではある。だがそれは、素直であること相容れない種類のものではなく。むしろ、ビジネスの世界で身を立てていく上では揚棄されなければならない二概念である。

 

…などと書いていたら、Field of viewの「突然」が頭の中に流れてきた。「今度こそは意地を張らない」である。考えてみれば90年代のポップスを「いいなあ」と思えるようになったのも素直さの発露なのだろうなと思う。

 

あなたは最近素直になれていますか。うーんと考えこんでしまった人、まずは身近な人に「いつもありがとう」と言ってみるといい…かもしれない。

社会階層

授業2本と打ち合わせ2本で計4時間半。それらの準備に土曜日の半日を充てているので、土曜のうちだいたい10時間くらいは学校関連の活動をしていることになる。まあその良し悪しは措いておくといて、これでようやく明日は一日頭脳労働から離れられるので、子どもと一緒に動物園か水族館にでも行こうかと思っている。つまり明日は肉体労働である。

 

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昨日はめずらしく少し早めに帰宅することができたので、井上尚弥の世界戦でも見ようと思っていたのだが、台所で洗い物をしているうちに終わってしまい、拍子抜けしてしまった。まあこのご時世なので、あとで動画はいくらでも見られるのだが、1RでKOというのもなんとも言いがたいものがある(まあ彼の試合はだいたい5、6Rくらいまでに終わってしまうのだが)。ともあれ、あの生意気そうな眼は個人的に大好きである。あの左ボディはまともにくらったら当然相当に痛いのだろうな。

 

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今日は久しぶりに絶望感のあふれる日であった。どうも日中一人でPCを長々と見ていると、そういう気分になりがちでよくない。過去にあった思い出したくもない出来事や、他人の楽しそうな姿(セックス含む)を思い浮かべてしまって、だんだん卑屈な気分になってくるのである。それでも、今日はとんぷくとして、Waltz for Debbyがてきめんに効果を発揮してくれた。もう冒頭のピアノの音を聴くだけで、心のひだを優しくなでられているような気分になってしまい、泣きそうになる。村上春樹は、リバーサイド時代のビル・エヴァンズを「自我が濾過されて宝石に変わっていくような」と評していたが、本当に一音一音が宝石としてこぼれおちてくるようである。昔ほど熱心にジャズを聴くことはなくなってしまったけれど、この曲が与えてくれる、人をやさしさと哀しみで包み込むような感覚は、初めて聴いたころから少しも変わっていない。

 

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最近外国の人と仕事や勉強をすることが多いなかでとみに思うのだが、国籍や文化の違いによる感覚の差異というのは、僕たちが思っているよりは小さいのではないかということだ。例えば、「あいつ空気読めてないよね」というのは、国籍問わずやっぱりお互いわかるものだし、笑いのツボもさほど変わらないことが多い。もっとも、これは僕が普段一緒に仕事しているのは、だいたい多国籍企業のマネージャーやディレクターであり、当然しかるべきレベルの教育を受けている人たちである。そうなると、少なくとも実務レベルで「話が通じにくい」ということは実はあまりない。それに対して、同じ日本人同士でも、基本の生活指針や教育水準がまったく異なると、悲しいほどに話が通じないということが起こって、唖然とすることがある。あまり認めたくはないのだが、ブルデューの言っている社会階層というのはこういうものなのかなあと考えさせられる。いい悪いの話ではないのだが。

 

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これからCLの決勝なのだが、非常に眠いのでたぶん寝てしまうのではないかと思う。

チャンギ、再び

というわけでまたチャンギにいる。目の前ではSQのセクシーでキレイなお姉さんが忙しそうに打ち合わせをしていて、目の保養にはまたとない環境である。それはそうと、授業のあった3日間を含め、ここ1週間くらいはあまりにバタバタとしていて何をしていたかうまく思い出せないのだが、覚えている限りで身の回りで起こったことを簡単に記録しておく。

 

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学校で行っているプロジェクトのミーティングが急遽前倒しになり、現地での出席ができそうになかったので、チーム内で僕だけが電話での参加になった。これだけならいつもの電話会議とさほど変わらないのだが、問題は時間がフライトの直前であったということである。仕方ないので、空港内のPCエリアでSkypeを立ちあげ、画面の向こうのお客さんに向かって諸々の説明を行うという奇妙な事態になった。当然、周りの人々からは微妙な冷たい視線を向けられるわけで、少なくともあまり心温まる種類の経験ではない。ともあれ、なんとか自分のパートの説明を滞りなく終え、2時間をなんとかやり過ごすことができた。

 

翌日お客さんからの反応を聞いてみると、思いのほかポジティヴであった。このお客さんは普段外部コンサルとしてMckinseyを使っているということで、「こりゃどう見ても分が悪いなあ」と思っていたのだが、なかなか悪くない評価をいただけて驚いている。しかしながら、多国籍企業のアジア地域社長(当然英語ネイティヴ)に向かって、日本人がヘタクソな英語で、「こうすれば売り上げは上がります」とか偉そうに言っていると思うと、もうこれはカオス以外の何ものでもないなという気がする。

 

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今回のメインの授業は戦略+マーケティングで、まあ非常にMBAチックな内容だったのだが、何よりも印象に残ったのは、日本企業のケースや事例が非常に多く使用されているということであった。覚えているだけでも、トヨタイトーヨーカドー、ホンダ、JALコニカミノルタが取り上げられており、改めて「日本は経済大国なのだなあ」と認識させられた。担当の先生が、アメリカ人特有のスーパー・ポジティヴな人だったこともあり、なんだか勇気をもらえたような気がする。

 

「いいかい、とにかくやり続けるんだ。僕はもう60になるけれど、まだまだ新しいことに挑戦し続けるつもりだ。君たちの年齢でリスクをとらなくてどうする?挑戦しつづけなさい。君たちは世界でもトップレベルのリーダーシップ教育を受けているのだから」

 

まあきっと、世界最強の覇権国というポジションがこういう態度を可能にするのだろう。確かに勇気をもらえる言葉ではある。一方で、それを真に受けて、いきなりミャンマーで事業を起こすには、僕は日本で抱えている責任やしがらみがちょっと多すぎるのではないかという気がする。

 

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というわけでこれから東京に帰る。深夜便の後で、明日は一日子どもたちを一人で見なければならないので、それはそれでなかなか大変だろうなあと思う。自分の昼寝の時間は確保できるだろうか。