チャンギ2024

久しぶりにチャンギに来ている。例によって東京にいるとバタバタとして落ち着く時間がとりにくく、いきおいブログを書くということからも遠ざかってしまいがちだったのだが、ある程度まとまった時間一人になると、だんだんと何かを書こうという気になってくるから不思議なものだ。

 

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今回5年ぶりにシンガポールに来たのは友人の結婚式のためだった。今回はそれに加えて、同地のオフィスで1日働き、よく協業する同僚たちに実際に会いにいくことにした(このあたりをすべて自分の判断でできるのは今の会社のよいところだ)。幸いなことに、会う人のほとんどが久しぶりもしくは初めてということもあって、結婚式での会食も含めて、2日間で3回もご飯をご馳走になってしまった。ひとつ残念だったのは、結婚式での音楽で「それが大事」の中国語バージョン(たぶん)が流れたときの驚きを誰とも共有できなかったことであった。そのあたりのコンテクストや「コレジャナイ感」はやはり相手が日本人でないとちょっと説明できない気がする。

 

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このブログでもキャリアの方向転換をするとずっと書いてきているにもかかわらず、実際にはまだ大きな行動を起こせておらず、X JAPANのニューアルバムのような状態になっている。もちろんこれは自分のなかで確固たる理由があってのものではあるし、今の時点で想定しているタイムラインもあるのだけれど、当初のスケジュールから遅れていることもまた事実である。一方で、今日久しぶりに会った友人が、子どもたちに幼少時から自然に3か国語教育を行っていることを考えると、あまり悠長ではいられないなと思った。父母がそれぞれ母語で子どもに話すようにして、さらに学校では英語がメインになるので、必然的に子どもたちは複数の言語を解さざるを得ないという状態になるようである。ちょっとこのあたりは日本ではなかなか考えにくいので、やはりそういった場所だけでも早く用意してあげねばと思った。

 

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今のプロジェクトの最終報告が5/10であることから、結局のところ今年のGWはほとんど働きづめで(この記事も仕事の休憩がてら書いている)、少なくとも精神的にはあまり休むことができなかった。といっても5月後半は短期ながら別のプロジェクトがあり、6月半ばまではバタバタとしそうな見込みである。帰ったらすぐにいつものリズムに戻ってしまうだろうから、とりあえずこれから東京に向かう7時間は自分に休息を与えることにしたい。

アップデートⅡ

気がついたら年が明けて2か月も経ってしまった。別に意図して書かなかったわけではなく、生活上の優先度が高い事項をひたすらにこなしていたら、自然とそうなってしまったというのが正直なところである。まあそれをコミットメントの欠如と言われれば、否定しようもないのだが。しかしながら、言い方を変えれば、思わず筆を執ってしまいたくなるようなめくるめく事件は、この空白の3か月には発生しなかったということもできる。無理もない、40代の一既婚者としての僕の生活は、多くの一応は幸せと言われるような家庭がそうであるように、その多くが非ドラマティックな事項の繰り返しだからである。もしかしたら、それは若い時分の自分が忌み嫌っていた、日常と大衆への埋没ということなのかもしれない。それはそれとして受け入れるべきものだと思えるようになったのは、僕も馬齢を重ねたということなのだろう。

 

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この3か月間で発生した、自分にとっての最も大きな出来事は、勤めている会社の社長の退任発表だった。動きの速い外資系ITの世界で10年以上日本法人トップを務めた人の退任ということで、この動きは業界でもそれなりの驚きをもって迎えられた。僕もお世話になった人であり、また彼の経営をサポートするのがここ3年くらいは自分の仕事の核を成していたので、これから起こる組織上・業務上の変化によって、おそらくは僕も少なくない影響を受けることになる。経験上、こういうときに焦って動くとあまりよい結果をもたらさないことが多いので、まずは落ち着いて自分に求められる役割を見極めようと思う。

 

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今月は初めて家族とフランスを訪れる予定だ。なんと僕にとっては21年ぶりの訪仏となる。不思議なものだ、この空白の期間も、僕がかつて暮らしてその土地はずっとそこに存在し続けてきたのだ――もちろん僕という存在は関係なく。月並みだけれど、当地では久しぶりの友人に会うのに加えて、学校見学などもする予定なので、なかなか楽しみである。六角形のかの国は、子どもたちの眼にどう映るのだろう。

アップデート

別にそんなに忙しかったわけでもないのだが、精神的な意味での落ち着きが得られなかったためだろうか、ブログを書くことの優先順位を落とさざるを得ない状況であった。まあ意図を持ってコントロールしていたというよりは、結果的にそうなってしまったというほうが実態としては正確なのだろうが。

 

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この2か月間最も気がかりだったのは長女のことである。学校に足が向かない日が増え、どうしたものかなと思っていたのだが、結果的には彼女本人からの申し出により、近所の公立校に転校させることにした。ここに至るまでには諸々逡巡があったのだが、個人的には今の段階では現実的かつ妥当な選択肢を採ったのではと思う。中学受験につぎ込んだあの大量のリソースはどこに、、、という気持ちがないではないのだが、最も重要なのは本人のwell-beingと基礎学力の向上だからである。とりあえずしばらくは彼女が新しい環境になじめるようにサポートを続けようと思う。

 

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例年であれば来年の計画策定で睡眠時間を削っている働いている時期なのだが、今年は組織変更があまりに大きく、まだExecution Planをまとめられる段階ではないということで、いろいろなものが暫定のままで止まっており、いきおい宙ぶらりんな時期が続いている(だからこそブログを書けるのだが)。年内はもう特に重い業務もなさそうなので、長期のCareer Planning、Tech Skillとフランス語の運用能力向上、あとは娘のサポートに時間を割こうと思う。なんというか、自分が比較的マトモに会社員+父親の役をこなしていて、今更ながら驚いてしまう。もう父親業も14年になろうとしているので、当たり前と言えば当たり前なのだが。

 

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30代の焦燥はいつの間にか過ぎ、いつの間にか僕は40代の日常に埋没していた。日々の中に情熱を流し込まなければならないのは百も承知なのだが、自分の中の「めくるめくもの」に未だ僕は気づけておらず、また会議と書類の一週間を始めようとしている。僕はどこに向かっているのだろう。

多様性の風景

特筆すべきこともないのだが、週に一度くらいの定期アップデートということで、いくつかの周りのことについて記しておく。試験勉強や受験生のサポートに追われることもなく、乳幼児の世話をする必要もないので、最近の週末はかなり落ち着いて過ごすことができており、40を超えてようやく自分のために時間を使うことのできる喜びを噛みしめている。一方で、それは見方を変えれば凡庸な幸せの中に埋没してしまっていると言えるかもしれない。その対立する感情をエネルギーへと変え、僕は次のカオスへと向かう。

 

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勤めている会社で担当している(というか自分で立ち上げた)「英語での文書の書き方」という講座があり、幸いなことに概ね好評を博しているのだが、先週担当した回でややネガティヴなコメントがあった。要点をまとめると、「フランスの人がいたので、講師がフランス語で話し始めたのが講義上無駄だった」というものである。これはたしかにそうかもと思った一方で、ある程度の脱線が楽しみでこういったクラスを受け持っているというのもあるので、なかなか難しいものだなと思った。おそらく正直な意見を書いてくれているのだとは思うのだが、この指摘に若干の息苦しさを感じてしまうというのも僕の率直な思いである。シンガポールルクセンブルクで同様のことをしても、おそらくは同じようなフィードバックは返ってこないのではないか。あくまで想像ではあるのだが。

 

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英語のシャドウイング教材をSUITSに変更した。ここ半年ほどアメリカ英語の適切な教材を求めていろいろWebをさまよっていたのだが、ようやく落ち着いたという感じである。理由としては、①オフィスでの表現が多いため仕事で応用が利きやすい、②東海岸アクセントで(少なくとも僕には)クールに聴こえる、という2点である(逆に、カリフォルニアのアクセントは甘く聞こえるのがあまり好みではない)。というわけで、楽しんで練習を続けているのだが、このシリーズを見ていると、自分のキャリアは常に英語に対する屈折した感情と不可分であることが否が応にも感じられて複雑な気分になる。まあもうそういうものと割り切るしかないのだろうけれど。

 

ちなみに細々と続けている発音教室でのコースも英語ではなく米語に変更したのだが、なぜかそうしたら発音の点数が何点かアップした。訊いてみると、英語よりは米語のほうが語彙だけでなく発音もシンプルなため、身に着けやすいとのこと。

 

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もうすぐ怒涛の2024プランニングがやってくる。そのときまでにしっかりと英気を養っておかなくては。

9月のノスタルジー

COVIDの反動からだろうか、奇妙なほどに社交的な夏であった。ほぼルーティンと化していた週1、2度の食事会といくつかのエクスカーション。アルコールを伴う食事の多くは同僚の退職・転職に伴う送迎会であった。残念ながら、それらのひとつひとつについて細かく所感を述べるほどの余裕もないのだが、同世代の多くは40歳という人生の分水嶺を超えて、より自らが求めるものを純粋に追及することを始めているように見えるというのが全体を総括して感じたことだった。方法論はさまざまで、ある人は独立、またある人は社内転職、もちろん転職という道を選ぶ人もいる。一方で、いわゆるcorporate ladderを上っていこうという人はあまりいないような気がするのだが、僕の周りにたまたまそういう人が少ないのか、世代的な傾向として一般化できるものなのかはよくわからない。

 

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長女が今のクラスにいまいち馴染めていないようで、トラブルとは言えないまでもちょっとした懸念事項になっている。僕が中2くらいのころなんて、そこそこ勉強、あとは部活とギターという感じで、世界は実に単純だったけれども、都会のせいなのか、はたまた時代のせいなのか、ずいぶんと様子が異なるようである。僕の海外リロケーションにも影響する可能性がある事項なので、早いうちに解決に持っていけるとよいのだが。

 

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20年来探していた曲のリフがPhil Collinsの”Easy Lover”であることがわかって、自分でもその存在を忘れていた魚の骨が喉の奥からとれたような心持ちになっている。たしか前に聴いたのは、まだ僕がフランスにいた頃だ。たしか、Fête de la musiqueの日にどこかのバンドが路上で演奏していたものだと記憶している。まだ20歳だったあの日から20年、僕はまたあのカオスにまみれた六角形の国を目指そうとしている。自分自身、なにがそのモチベーションになっているかはよくわからないのだが、今の僕の生きる意味のひとつになっていることは確かだ。自分の深層心理のことはよくわからないのだが、もしかしたら本気で美味いパンとスキーリゾートに惹かれて、人生のハンドルを大きく切ろうとしているのかもしれない。

月明かりに照らされて

ずいぶん飲み会の数が増えた気がする。仕事がらみとプライベートと7:3くらいの割合だろうか。仕事関係では、ここ最近退職する人が多く、毎週のようにFarewellが催されている。これだけ条件のいい会社で次のポジションなんかあるのかなあと思ってしまうのだが、皆マーケットで求められるような人材なのだろう、ここを去っていく多くの人はblue chip企業のしかるべきポジション(いわゆるC-class)に収まることが多い。皆だいたい有能かつ勤勉だし、もちろん相応の経験もあるので驚くようなことではないのだが、こういうのを間近で見ていると、もうキャリアもPLではなくBSで勝負するべき時期に入っているのだなという思いを強くしてしまう。残酷な話だが、40にもなると「持つ者」と「持たざる者」との差は逆転不可能なほどに開いてしまっており、そのtrajectoryは天変地異的な何かが起こることがない限り、覆ることはないのだ。いわゆる「氷河期世代」と呼ばれた年代の人が多いのでなおさらである。そのどちらに属する者も、今手に抱えているものを限りある資産として、これからのキャリアを、そして人生を歩いていかなければならない。もちろん僕も例外ではなく。

 

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必然的に飲みの場では、「fightpovertyさんは次なにか考えている?」という話になる。「まずは海外のポジションに就きたいですね」、そんなことを適当に言ってお茶を濁す。もう何十回と繰り返したやりとりだ。それは嘘ではない。けれども、「海外のマネジメントポジションで働く」というのは、少なくとも僕にとってのnorth starではない。僕が求めているものは、もっとintimateで実感のあるものだ。子供たちの笑顔、うだるような暑さの日のかき氷、初めての花火大会の待ち合わせ…。今よりももっと多感な時期に自分が経験したそうした感情のひとつひとつはもうおぼろげになってしまったけれども、それがその時々の自分にとって大きな喜びであり、自分に実存の意識を与えてくれるものだったということは、大人になった今だからこそよくわかる。都会のビルの一部として数字のシステムに組み込まれていくうちに、いつしか僕はそうした感情をなくしてしまった。だからこそ僕にとっての次の船出は、凍り付いた感情を溶かしてくれる種類のものでなくてはならない。

 

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お世話になった人の送別会の帰り、ターナーの絵のそれのように、薄い雲の中でおぼろげな光を放つ月を見ながら、そんなことを思った。何もかも、まだ遅くはないと。

遅すぎた答え合わせ

また例によって24時を回ってしまっているのだが、申し訳程度にいくつかアップデートを記載しておく。

 

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今年の夏は例年よりも多く10日間の休みを取った。今の僕の仕事からほとんどオペレーション的なものがなくなりずいぶん休みがとりやすくなったので、その恩恵を十分に活かそうと思い、個人的に休みに入る前はけっこう張り切っていた。あれもこれも読もう、語学の勉強もめいっぱいしよう、という感じで。ところが、旅行で4日間が消えてしまったということもあり、10日間は悲しいほどにあっけなく過ぎ去ってしまった。結局時間をもっとも使った――使わざるを得なかった――のは家庭内の諸々の雑事である。つまるところ、僕は「夏休み」という言葉の内に、ちょうど小学生の僕がそうであったように、過度に甘美なものを夢見すぎていたようである。そんなやりきれなさをどこかに抱えたままで、今年の夏もピークが過ぎ去ろうとしている。

 

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5年ぶりに大学院時代の友人と会って、思想村で起こっていることについてもろもろ聞かせてもらう。相変わらずコネとポリティクスが幅を利かせているようで、彼もその自浄作用のなさにはうんざりしている様子だった。もっとも彼はそんな中でもpermanent postに就いているということで、他の人からは羨ましがられる立場なのだろうが。

 

そんな流れで、彼女のことが話題になる。

 

「4、5年前かな、彼女に会ったとき、、、なんだか感じよくなかったんだよね。見下しているというか」

「ああ」、僕は適当に相槌を打つ。「そういうのやめたほうがいいって、僕は何度か彼女に注意していたんだけど」

「まあ昔から彼女そういうところあるからね、、、。スペクトラム?だっけ?ああいう傾向っていうか」

 

僕が15年以上前に彼女に感じた違和感――その違和感は27歳の僕を決定的に変質させた――は、僕だけが感じているものではなかったのだ。それまでの人生で、そういった人に会ったことがなかったからだろう、僕の脳はその違和感を魅力のひとつとして認識した。

 

15年という歳月を経て行われる答え合わせ。結論はどこまでも苦く、そして空しい。温くなってしまったビールを僕はぐっと飲み干す。白々しい答え合わせの結果から遠ざかろうとするように。

 

すやすやと眠る次女の寝息を思う。埋まらなかった回答用紙を埋めるのは、このぬくもりなのだと自分に言いきかせながら。

 

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なんとか今月中にDALFとミッドライフクライシスについての記事は書きたいのだが、雑事に追われているうちにまた業務のピークが訪れようとしているので、ちょっとどこまでできるかはなんとも判断がつかないところである(外資系IT的に言うと、”forecast at risk”と”upside”の真ん中くらい)。とりあえず今週も真剣に生きる。