千載一遇

 毎回毎回オープニングのネタが同じでうんざりするのだが、本当に時間がない。とはいいつつサッカーはけっこう見ているので、時間がないというのは単なるクリシェというか、甘えと言えなくもない。とはいえ、5時間以下の睡眠が一ヶ月近く続くというのはやはりなかなかしんどいものがある。

 

☆☆☆

 

仕事中、アイスコーヒーを買いに外に出たところで、前職の同僚であったディレクターに出くわす。その場では紋切り型の挨拶をしただけだったのだが、その後Linkedinにメッセージが入り、「今いる会社でひとつポジションが空いてて、お前に合っていると思うんだけど、受けてみない?」との由。実はその会社は前々から興味のあった会社だったので、声がかかるだけでもかなりうれしかったのだが、それに加えて、紹介されたポジションと僕のキャリアとのマッチングはほぼパーフェクトに近いものだった。ファイナンス・分析関係のスキルと、今MBAで勉強している戦略関係の知識を両方とも生かすことができる上、勝手知ったるソフトウェア業界である。おそらくは年齢的なフィット感も問題ないはずだ。これから転職活動をはじめようとしているところで、このようなポジションを紹介してもらえるとはなんという僥倖なのだろうと思った。とりあえず明日先方のHiring managerにカジュアルに話を伺ってくる予定。

 

☆☆☆

 

昨日、サッカー日本代表が大金星を上げたのは周知のとおりだけども、これは僕にとっても本当にうれしかった。恥ずかしながら試合を見ながら少し泣いてしまったくらいである。何が涙腺を刺激したかというと、柴崎が後方から小気味良くパスを散らしている姿であった。明らかに格上の相手に対し、自信を持って後方からゲームをコントロールする彼に、いつかの遠藤の影を見てしまい、「ああ、日本のサッカーのDNAもこうして受け継がれていくのだな」などと考えていたら、思わず胸が熱くなってしまった。それと同時に、何点差で負けるだろうなどばかり考えていた自分が恥ずかしくなった。もちろん、あまり褒められたものではいミスもあったけれど、ワールドカップ本番初戦で勝つことができたことの価値は、それによって少しも貶められるべきものではない。

 

それにしても、ナショナリスティックな物言いは普段意識的に避けるようにしているのだが、スポーツと料理に関してのみ言えば、僕は産経新聞平均購読者にも負けないくらいのナショナリストではないかという気がする。生粋の左翼はワールドカップなど見ないのだろうか?詳細は不明である。

 

☆☆☆

 

あと2週間で学校は夏休み。それとともにリクルーティングの夏が始まる。ぶったおれるまでやりきろう。

青春への挽歌たち

少し間が空いてしまった。書こう書こうとは思っているのだが、それ以上に優先すべき事項が毎日出てくるので、必然的にこの極めて個人的な行為は後回しにならざるを得ない。週に一度程度の更新でも、それなりの数の人がこのスペースを訪れてくれているのは喜ばしいのだが、こちらとしては内容・面白みのあるコンテンツを定期的に届けられていないのが若干心苦しくはある。まあもちろんそんなにシリアスなものではないのだが。

 

☆☆☆

 

高校時代のバンド仲間と久しぶりに――たぶん7年ぶりくらいに――横浜で集まる。が、笑ってしまうほどに男同士の人間関係というのは変わらない。もう18年くらい一緒に音を鳴らしていないのに、「あの曲のCメロのところもう少しアレンジしたいよね」とか平気で言ってたりするし、いまだにコージー・パウエルが現役の話題として出てきたりする。我ながらにこれはちょっとしたものだなあと思う。一人でいると、17歳のころの自分のことはまるで他人のように感じられるのに、彼らと話していると、バンドを4つも5つもかけもちしていた頃のことがずいぶん近しく感じられる。タバコ臭いスタジオ、伸ばしっぱなしの弦、ルーズソックス、そして好きだった女の子…。世界は今の僕が暮らしているそれよりも、もっとずっと単純だった。ロックンロールで世界は良くなるんだと、頑なに信じていたのだ。

 

食事を済ませた後、当時の音楽を大音量で流しながら16号を走る。ZARDDEENTMNリンドバーグB’z、森高、GLAY、Globe…「恋心」を聴きながら、湾岸の遠くのほうにともる灯を見ていたら、二度と還らない日々の遠さと重さを感じて泣きそうになってしまった。僕はこれまでどれだけのものを失ってきたのだろうと。これらは僕にとっての青春の挽歌なのだなと思った。

 

ひとしきり感情の波が過ぎ去ってしまうと、またいつもの平凡な孤独がやってきた。僕は地方都市に住んでいる高校生ではなく、大都会のただなかで歯車を回す会社員だった。

 

☆☆☆

 

Youtube上にアップされている「群青日和」のコメント欄を見ていると、あまりにも変態コメントで満たされており、一種の清々しささえ感じてしまう。まあそれくらいこのMVの椎名林檎が魅力的なのは否定できないけれども。同じような文脈だと、Jason Mrazの”Butterfly”のコメント欄も相当変態度が高かったような気がする。「ここの欄は、お前らのGoogleの検索履歴よりエロいぜ」というコメントを見て笑った記憶がある。

 

☆☆☆ 

 

学校の夏休みまであと一ヶ月。とはいっても、7月からは例年どおり年間予算の作成があるので、仕事が若干バタつきそうではある。今月の後半からは転職活動も行わねばならない。僕は自分に言い聞かせる。このゲームが正しいかどうかはわからなくとも、ここで戦う以上はボールを回し続けなければならないのだと。今年の夏はどのような季節として記憶されるのだろう。

歳を重ねるということについて

30代も半ばを過ぎたからなのか、歳を重ねるということについて最近よく考える。もちろん、絶対値としての年齢が積み重なっているという事実によってそう考えさせられることもあるだろうが、それ以上に、ライフイベントを通して、自分という人間が生きるとはどういうことなのかを突きつけられるようになったことがより大きな理由ではないかと思う。

 

歳を重ねるとはどういうことなのか。

 

無論、それは単純に心躍るというようなものではない。僕自身、幸いにして体力の衰えを自覚させられることはほとんどないものの、髪に白いものが混じっているのを発見したり、昨年病気の疑いを指摘されたりしたときは、「ああ、僕も歳をとっているのだな」と、若干の切なさを覚えた。冠婚葬祭でも、お祝いではないものが増えてきている(これからもっと増えるのだろう)。時は確実に一定のスピードで流れているのだ。僕の意識とは関係なく。日本語にはそのことを表すとても的確な表現がある――「無常」。西洋の文脈ではなんと言うのだろう?「摂理」?

 

ともあれ、歳を重ねるということに関連して、最近ひとつ心がけていることがある。「素直でいること」である。意地を張らないこと、とも言い換えられるだろう。卑近な例で言えば、「彼はすごいね」なんて会話になったら、「うん、彼はやっぱり一目置かれているだけあるよ」と特に含みなく、人の言ったことを認めるような所作のことである。これは、単純なようでいてけっこう難しい。下手に学歴が高かったり、キャリアを重ねてしまったりすると余計に素直になりにくくなる。僕自身、けっこう勉強はしてきたほうだと思うし(しかも哲学)、それなりにキャリアにもこだわりがあるので、無駄なプライドを抱え込んでしまったことが、これまで少なからずあったと思う。そしてそれはおそらく、幸福よりもむしろ不幸を僕に、そして周りにももたらすことが多かったような気がする。

 

この心境の変化はどうやってもたらされたのだろう?もちろん、意地が不幸を呼ぶという一般的法則に、経験を通して気づいたということもあるだろうし、単純に歳を重ねて角がとれてきたということもあるだろうが、僕の場合は、生活の中で妻と子どもにその大切さを教えられたということがとても大きい。彼女たちと暮らす中で毎日の中で、素直さと屈託のない笑顔が、どれだけ人と人との間のハードルを下げるかということを実感したのである。これは、子育てをしてきたことのポジティヴな副作用と呼んでもいいかもしれない。そして、素直さがある種の強さによってもたらされているとすれば、彼女たちはやはり僕を強くしてくれたのだと思う。

 

この変化はおそらく、僕のキャリアやビジネスパーソンとしてのあり方にも、少なくない影響をもたらすだろう。そしてその多くはポジティヴなものであるはずだ。Digital disruptionは今後10年ほどで経営環境に劇的な変化を引き起こすだろうし、その変化に適応するには、素直さ=柔軟性が必要不可欠であるからだ。もちろん、実業の世界では、事象や言明に対する健全な疑いも必要ではある。だがそれは、素直であること相容れない種類のものではなく。むしろ、ビジネスの世界で身を立てていく上では揚棄されなければならない二概念である。

 

…などと書いていたら、Field of viewの「突然」が頭の中に流れてきた。「今度こそは意地を張らない」である。考えてみれば90年代のポップスを「いいなあ」と思えるようになったのも素直さの発露なのだろうなと思う。

 

あなたは最近素直になれていますか。うーんと考えこんでしまった人、まずは身近な人に「いつもありがとう」と言ってみるといい…かもしれない。

社会階層

授業2本と打ち合わせ2本で計4時間半。それらの準備に土曜日の半日を充てているので、土曜のうちだいたい10時間くらいは学校関連の活動をしていることになる。まあその良し悪しは措いておくといて、これでようやく明日は一日頭脳労働から離れられるので、子どもと一緒に動物園か水族館にでも行こうかと思っている。つまり明日は肉体労働である。

 

☆☆☆

 

昨日はめずらしく少し早めに帰宅することができたので、井上尚弥の世界戦でも見ようと思っていたのだが、台所で洗い物をしているうちに終わってしまい、拍子抜けしてしまった。まあこのご時世なので、あとで動画はいくらでも見られるのだが、1RでKOというのもなんとも言いがたいものがある(まあ彼の試合はだいたい5、6Rくらいまでに終わってしまうのだが)。ともあれ、あの生意気そうな眼は個人的に大好きである。あの左ボディはまともにくらったら当然相当に痛いのだろうな。

 

☆☆☆

 

今日は久しぶりに絶望感のあふれる日であった。どうも日中一人でPCを長々と見ていると、そういう気分になりがちでよくない。過去にあった思い出したくもない出来事や、他人の楽しそうな姿(セックス含む)を思い浮かべてしまって、だんだん卑屈な気分になってくるのである。それでも、今日はとんぷくとして、Waltz for Debbyがてきめんに効果を発揮してくれた。もう冒頭のピアノの音を聴くだけで、心のひだを優しくなでられているような気分になってしまい、泣きそうになる。村上春樹は、リバーサイド時代のビル・エヴァンズを「自我が濾過されて宝石に変わっていくような」と評していたが、本当に一音一音が宝石としてこぼれおちてくるようである。昔ほど熱心にジャズを聴くことはなくなってしまったけれど、この曲が与えてくれる、人をやさしさと哀しみで包み込むような感覚は、初めて聴いたころから少しも変わっていない。

 

☆☆☆

 

最近外国の人と仕事や勉強をすることが多いなかでとみに思うのだが、国籍や文化の違いによる感覚の差異というのは、僕たちが思っているよりは小さいのではないかということだ。例えば、「あいつ空気読めてないよね」というのは、国籍問わずやっぱりお互いわかるものだし、笑いのツボもさほど変わらないことが多い。もっとも、これは僕が普段一緒に仕事しているのは、だいたい多国籍企業のマネージャーやディレクターであり、当然しかるべきレベルの教育を受けている人たちである。そうなると、少なくとも実務レベルで「話が通じにくい」ということは実はあまりない。それに対して、同じ日本人同士でも、基本の生活指針や教育水準がまったく異なると、悲しいほどに話が通じないということが起こって、唖然とすることがある。あまり認めたくはないのだが、ブルデューの言っている社会階層というのはこういうものなのかなあと考えさせられる。いい悪いの話ではないのだが。

 

☆☆☆

 

これからCLの決勝なのだが、非常に眠いのでたぶん寝てしまうのではないかと思う。

チャンギ、再び

というわけでまたチャンギにいる。目の前ではSQのセクシーでキレイなお姉さんが忙しそうに打ち合わせをしていて、目の保養にはまたとない環境である。それはそうと、授業のあった3日間を含め、ここ1週間くらいはあまりにバタバタとしていて何をしていたかうまく思い出せないのだが、覚えている限りで身の回りで起こったことを簡単に記録しておく。

 

☆☆☆

 

学校で行っているプロジェクトのミーティングが急遽前倒しになり、現地での出席ができそうになかったので、チーム内で僕だけが電話での参加になった。これだけならいつもの電話会議とさほど変わらないのだが、問題は時間がフライトの直前であったということである。仕方ないので、空港内のPCエリアでSkypeを立ちあげ、画面の向こうのお客さんに向かって諸々の説明を行うという奇妙な事態になった。当然、周りの人々からは微妙な冷たい視線を向けられるわけで、少なくともあまり心温まる種類の経験ではない。ともあれ、なんとか自分のパートの説明を滞りなく終え、2時間をなんとかやり過ごすことができた。

 

翌日お客さんからの反応を聞いてみると、思いのほかポジティヴであった。このお客さんは普段外部コンサルとしてMckinseyを使っているということで、「こりゃどう見ても分が悪いなあ」と思っていたのだが、なかなか悪くない評価をいただけて驚いている。しかしながら、多国籍企業のアジア地域社長(当然英語ネイティヴ)に向かって、日本人がヘタクソな英語で、「こうすれば売り上げは上がります」とか偉そうに言っていると思うと、もうこれはカオス以外の何ものでもないなという気がする。

 

☆☆☆

 

今回のメインの授業は戦略+マーケティングで、まあ非常にMBAチックな内容だったのだが、何よりも印象に残ったのは、日本企業のケースや事例が非常に多く使用されているということであった。覚えているだけでも、トヨタイトーヨーカドー、ホンダ、JALコニカミノルタが取り上げられており、改めて「日本は経済大国なのだなあ」と認識させられた。担当の先生が、アメリカ人特有のスーパー・ポジティヴな人だったこともあり、なんだか勇気をもらえたような気がする。

 

「いいかい、とにかくやり続けるんだ。僕はもう60になるけれど、まだまだ新しいことに挑戦し続けるつもりだ。君たちの年齢でリスクをとらなくてどうする?挑戦しつづけなさい。君たちは世界でもトップレベルのリーダーシップ教育を受けているのだから」

 

まあきっと、世界最強の覇権国というポジションがこういう態度を可能にするのだろう。確かに勇気をもらえる言葉ではある。一方で、それを真に受けて、いきなりミャンマーで事業を起こすには、僕は日本で抱えている責任やしがらみがちょっと多すぎるのではないかという気がする。

 

☆☆☆

 

というわけでこれから東京に帰る。深夜便の後で、明日は一日子どもたちを一人で見なければならないので、それはそれでなかなか大変だろうなあと思う。自分の昼寝の時間は確保できるだろうか。

Up to the eyeballs

次こそは2月にテレビ出演したときのことに関する考察めいたものを書こうと思っていたのだが、結局忙殺されてばかりで、なにかを熟慮するということがまったくできておらず、いきおい今回もそれを見送らざるを得ない状況である。ここ最近はほぼ非常宣言状態で、家事や子どものための時間も削らざるを得ず、妻への負担が大きい状態が続いてしまっているのが非常に心苦しい。このあたりの「人様に迷惑をかけたくない」という部分は、自分が日本人であることを非常に感じさせられる部分である。とりあえず、来週からシッターを週一度手配して、妻の負担を少しでも軽減する予定。

 

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大学院時代の友だち(女の子)に久しぶりに連絡したところ、返ってきたメールの文体がとても柔らかくなっていて驚いた。テクスト批評なんかをやっていた人で、そのせいかちょっとしたやりとりのメールなんかでも冷たさというか、薄い壁のようなものを感じさせるところがあったのだが、今回そういうものは一切感じられなかった。時代錯誤めいて聞こえるかもしれないけれど、やっぱり結婚・子育てという経験が精神的成長の上で果たす役割は、とりわけ女の人にとって大きいのだろうなあと思った。夏くらいに子連れ同士で会えたらいいね、との由。こういうのはなんだか素敵だ。

 

☆☆☆

 

MBAで行っているプロジェクトはいよいよ佳境に入ってきて、これからエグゼクティヴへのインタビューを順次行っていく予定。僕は各国のカントリーマネージャ5人に30分のインタビューを行う予定なのだが、その中には某日系大手企業の役員も含まれており、けっこう緊張している。こういうとき、英語だと一枚壁があってプレッシャーを感じることは少ないのだが、日本語だと良くも悪くもわかりすぎてしまう部分があるため、また違った難しさがある。まあいずれにせよ決められたことを淡々とこなすしかないのだが…。

 

☆☆☆

 

今週は水曜日からまたシンガポールで、プロジェクトの報告と3日間の授業。行きも帰りも深夜便なので若干体力が心配だが、今回は僕が好きなシンガポール航空なので、それを励みにがんばろうと思う。水曜日までにあと2本短いレポートを書かなければならないので、月曜火曜も落ち着きのない2日間になりそうである。

 

連休の闇

気がつけばもう連休も半ばである。とはいったものの、相変わらず僕は仕事・家族・勉強のサイクルをぐるぐると回しているだけであり、バタバタとしてはいるものの、必要以上に頭を使うこともなく日常を生きている。忙殺されているからなのか、さほど季節感を感じることもない。果たして僕は人間としての生をしかるべき方法で生きられているのだろうか。

 

☆☆☆

 

まだ結果を受け取ってはいないものの、先週の財務の試験はさんざんな出来であった。まあ周りに聞いても、よくできたという声はあまり聞かれなかったので、みんな同じようなものだったのかもしれない。数字関係の試験については、問題を見た瞬間に、だいたいの解法が頭に浮かんで、体が勝手に反応するような状態まで仕上げる必要があるのだが、今回は時間の関係からそこまで準備できなかったのが原因かもしれない。その財務の試験が終わった後、モスバーガー・レポートもなんとか提出したが、こちらもどう評価されるかはまったく不明である。でも、今モスバーガー関するトリビアクイズの試合なんかがあったら、僕はたぶん偏差値70くらいはとれると思う。

 

これで企業財務・マーケティングの授業が終わりで、ここから2ヶ月は戦略とオペレーションの授業になる。これまた「おお、MBAらしい」という感じの並びでわくわくするのだが、プレリーディングのケースが非常に長いので、すでにげんなりとしている。

 

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何を思ったのか、シェア3位の某マイナー検索エンジンで自分の名前を検索してみたところ、昔ひどく揉めた女の人の名前が関連キーワードとして挙がってきて、なんと言っていいかわからない気分になった。何が起こっているのだ?テクノロジーという名の底なし沼を恐れるべきなのだろうか?真相は闇である。

 

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明日は久しぶりに一日フリーなので、少し気分転換をする予定である。とはいっても、だいたいこういうときは、ジムで運動→散髪→思想書を読むという流れが確立されており、あまりそこには創造性のようなものは見受けられない。しばらく会っていない友達に手紙を書こうかなあなどと思うのだが、果たしてそこまで時間はとれるだろうか。