月明かりに照らされて

ずいぶん飲み会の数が増えた気がする。仕事がらみとプライベートと7:3くらいの割合だろうか。仕事関係では、ここ最近退職する人が多く、毎週のようにFarewellが催されている。これだけ条件のいい会社で次のポジションなんかあるのかなあと思ってしまうのだが、皆マーケットで求められるような人材なのだろう、ここを去っていく多くの人はblue chip企業のしかるべきポジション(いわゆるC-class)に収まることが多い。皆だいたい有能かつ勤勉だし、もちろん相応の経験もあるので驚くようなことではないのだが、こういうのを間近で見ていると、もうキャリアもPLではなくBSで勝負するべき時期に入っているのだなという思いを強くしてしまう。残酷な話だが、40にもなると「持つ者」と「持たざる者」との差は逆転不可能なほどに開いてしまっており、そのtrajectoryは天変地異的な何かが起こることがない限り、覆ることはないのだ。いわゆる「氷河期世代」と呼ばれた年代の人が多いのでなおさらである。そのどちらに属する者も、今手に抱えているものを限りある資産として、これからのキャリアを、そして人生を歩いていかなければならない。もちろん僕も例外ではなく。

 

☆☆☆

 

必然的に飲みの場では、「fightpovertyさんは次なにか考えている?」という話になる。「まずは海外のポジションに就きたいですね」、そんなことを適当に言ってお茶を濁す。もう何十回と繰り返したやりとりだ。それは嘘ではない。けれども、「海外のマネジメントポジションで働く」というのは、少なくとも僕にとってのnorth starではない。僕が求めているものは、もっとintimateで実感のあるものだ。子供たちの笑顔、うだるような暑さの日のかき氷、初めての花火大会の待ち合わせ…。今よりももっと多感な時期に自分が経験したそうした感情のひとつひとつはもうおぼろげになってしまったけれども、それがその時々の自分にとって大きな喜びであり、自分に実存の意識を与えてくれるものだったということは、大人になった今だからこそよくわかる。都会のビルの一部として数字のシステムに組み込まれていくうちに、いつしか僕はそうした感情をなくしてしまった。だからこそ僕にとっての次の船出は、凍り付いた感情を溶かしてくれる種類のものでなくてはならない。

 

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お世話になった人の送別会の帰り、ターナーの絵のそれのように、薄い雲の中でおぼろげな光を放つ月を見ながら、そんなことを思った。何もかも、まだ遅くはないと。