遅すぎた答え合わせ

また例によって24時を回ってしまっているのだが、申し訳程度にいくつかアップデートを記載しておく。

 

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今年の夏は例年よりも多く10日間の休みを取った。今の僕の仕事からほとんどオペレーション的なものがなくなりずいぶん休みがとりやすくなったので、その恩恵を十分に活かそうと思い、個人的に休みに入る前はけっこう張り切っていた。あれもこれも読もう、語学の勉強もめいっぱいしよう、という感じで。ところが、旅行で4日間が消えてしまったということもあり、10日間は悲しいほどにあっけなく過ぎ去ってしまった。結局時間をもっとも使った――使わざるを得なかった――のは家庭内の諸々の雑事である。つまるところ、僕は「夏休み」という言葉の内に、ちょうど小学生の僕がそうであったように、過度に甘美なものを夢見すぎていたようである。そんなやりきれなさをどこかに抱えたままで、今年の夏もピークが過ぎ去ろうとしている。

 

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5年ぶりに大学院時代の友人と会って、思想村で起こっていることについてもろもろ聞かせてもらう。相変わらずコネとポリティクスが幅を利かせているようで、彼もその自浄作用のなさにはうんざりしている様子だった。もっとも彼はそんな中でもpermanent postに就いているということで、他の人からは羨ましがられる立場なのだろうが。

 

そんな流れで、彼女のことが話題になる。

 

「4、5年前かな、彼女に会ったとき、、、なんだか感じよくなかったんだよね。見下しているというか」

「ああ」、僕は適当に相槌を打つ。「そういうのやめたほうがいいって、僕は何度か彼女に注意していたんだけど」

「まあ昔から彼女そういうところあるからね、、、。スペクトラム?だっけ?ああいう傾向っていうか」

 

僕が15年以上前に彼女に感じた違和感――その違和感は27歳の僕を決定的に変質させた――は、僕だけが感じているものではなかったのだ。それまでの人生で、そういった人に会ったことがなかったからだろう、僕の脳はその違和感を魅力のひとつとして認識した。

 

15年という歳月を経て行われる答え合わせ。結論はどこまでも苦く、そして空しい。温くなってしまったビールを僕はぐっと飲み干す。白々しい答え合わせの結果から遠ざかろうとするように。

 

すやすやと眠る次女の寝息を思う。埋まらなかった回答用紙を埋めるのは、このぬくもりなのだと自分に言いきかせながら。

 

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なんとか今月中にDALFとミッドライフクライシスについての記事は書きたいのだが、雑事に追われているうちにまた業務のピークが訪れようとしているので、ちょっとどこまでできるかはなんとも判断がつかないところである(外資系IT的に言うと、”forecast at risk”と”upside”の真ん中くらい)。とりあえず今週も真剣に生きる。