バリウムを飲む

新年初出社の日は健康診断であった。当日の朝、クリニックから送られてきたキットを開けて冷や汗をかく。検査用の便を持ってくるようにとの指示があったからである。ところが、朝食を食べられないこともあって、その日に限ってお通じがない。仕方ないので、ミネラルウォーターをガブガブと飲んで腰フリダンスをして排便を促すのだが、待てど暮らせど天啓は来ない。出発時間が迫り、もはやこれまでかと思ったところで、便意を催す。かくしてめでたく、僕は自分の便の一部を指定されたキットに入れ、検診に向かった。

 

で、標準的なメニューをひととおり終えた後に、初めてのバリウムが始まる。と書くといかにも落ち着いた体験だったようだが、実際にはけっこう恐怖でおののいていた。味は思ったよりも不味くない。我ながら滑稽だったのは、飲み干した後の回転運動で、「おお、コレは大丈夫か」と何度か心の中で冷や汗をかいていた。とはいえ、全体としては想像していたよりも不快なものではなく、なかなか面白い体験であった。どちらかというと朝一のお通じ乞いのほうが精神的には辛かったような気がする。

 

☆☆☆

 

「すくすく子育て」で優木まおみを久しぶりに見たら、顔の険がすっかりなくなっていて驚いた。半年くらい前とぜんぜん違う。もう30代も半ばだと思うのだが、キラッキラしていて、健康的な色気にあふれている。妊娠中で幸せホルモンが出まくってるんだろうなあと思った。女の人は幸せが顔に出るっていうのは多分本当ではないかという気がする。じゃあ男の顔はどうなのかと聞かれたら、やっぱり経験だろうなあと思う。

 

☆☆☆

 

大学院時代の友人の就職が決まったということで、個人的にちょっとお祝いする(とはいってもランチだが)。哲学の分野において、35歳で正規のアカデミックポストを得られるといのは、かなりの僥倖である。めでたい。で、いつものとおり、昔の友人たちの近況を聞く…となると必ずとある女の人の話題になる。心臓がバクバクして泣きそうになる。救心でも飲んだほうがいいんじゃねえかと思うくらいである。まあそれはともかくとして、就職決定というのは喜ばしいことである。

 

それと若干関連した話で、別の友人のブログのようなものを見ていたら、最近撮影されたらしい、上記の彼女の写真があった。何気なく撮影された横顔のスナップショットなのだが、その顔には年月の重みと疲れが心なしか感じられた。月日は確実に流れているのだ。心の鈍い痛みはあまり感じなかった。ただ僕はそれを見て何もいえなかった。何を言っても不適切であるような気がした。

 

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というわけでエッセイをガリガリと書く。

2017

年末年始の休みが終わろうとしている。朝寝坊できる日々が終わってしまうのは残念でもあるのだけれど、子育て真っ盛りの身としては、日常が帰ってくるという意味での安心感のほうが大きい。小さい子と生活していると、休みであっても世話で一日中忙殺される上に、いろいろと金もかかる一方で、平日であれば仕事の調整でいくらか自分の時間がとれるからである。それにしても、この6日間は予想以上に勉強・読書が進まず、若干不満の残る休みになってしまった。
 
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このブログを初めて1年半弱、それなりにアクセス数もたまってきたので、アクセス数の比較的多い記事を以下に記載する。
 
①「あまり感動しなくなったことについて」
②「「優秀」は褒め言葉なのか」
③「人文学を遠く離れて」
 
検索エンジンからの流入については、ほぼ以上3つの記事に集中している。どれも比較的一般性の高いテーマだからだろう。逆に、日常的な出来事について書かれた記事に関しては、ほとんど外部からのアクセスが見られない。個人的には②について、「優秀」という言葉に疑義を持つ人が一定数いるということは、非常に健全なことだと思う。記事の質に細かく気を配れるほど時間はないのだけれど、今後も余裕があるときはなるべく一般性に配慮した記事を執筆したい。
 
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この連休でひとつよかったことは、自宅の掃除がかなり網羅的にできたことである。45リットルのごみ袋が20袋ほど埋まったのに加えて、粗大ごみも10点がほど出た。行ったこととしてはきわめて単純で、ベビーシッターの人に3時間ほど子どもたちを見てもらって、その間に親2人が掃除に没頭するという寸法である。ひとつマズかったことは、夕食の席で「あのシッターさん可愛かったねえ」と何気なくつぶやいていたら、妻がかなり怖い顔をしていたことである。結婚してずいぶん長いのだけれど、女の人はやっぱりそういうものなのだろうか。
 
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今月は、年間閉め、税務申告に加えて、コスト分析の新しいシステム導入、その中でビジネススクール用のアプリケーションを書くという、なかなかハードな月になりそうである。人事上の配置換えもありそうだ。なにはともあれまずは最先端から加速したい。ははは。

年末

忘年会続きでグロッキーになっている。酒を呑んでへべれけになる→朝5km走って現実世界に帰ってくるというサイクルを繰り返していると、人生というものがひどくマッチポンプなものに感じられる。アルコールというものを摂取して分解し、それを排泄するためにトレッドミルの上で走るという反復運動を毎年年末に行っているというのは、ある意味では幸せなのだろうが、少し見方を変えてみると、人間としてひどく進歩がないような気がする。

 

☆☆☆

 

面接を受けた会社から結局連絡は来なかった。まあ通っていれば1~2日くらいでコンタクトがあるものなので、たぶんお気に召さなかったのだろう。しかしながら、ここの会社は世界で一番お客様を大切にするとか言っているわりに、求職者を大切にしているとはまったく言えそうもない。まあ会社なんてだいたいそんなものなのだろうけれど。

 

転職をすること自体にはそう積極的ではないのだが、1月あたりから何人かのヘッドハンターから市況の情報を集めるつもり。これは、現在の会社でもうすぐ3年目に入り、次の方向性を見定める時期にきているためである(1年目:学習、2年目: 刈り取り、3年目: バトンタッチという典型的外資系のサイクル)。来年は6月くらいまでだいぶバタバタしそうであるが、その中でどれくらい情報を集めて行動に移していけるかというのが重要になると思う。

 

☆☆☆

 

とても偉い人から、数年前業界を揺るがした、某外資系製薬トップメーカーのスキャンダルについての話を聞く。この人は当該事件のまさに渦中にいた人である。問題があるにもかかわらず、海外学術ジャーナルのレビューを通ってしまったこと、問題を発見した医師とのやり取り、弁護士やら検察やらとの仕事など、ちょっと他では聞けないものばかりだった。「結局僕としては何が真実だったかを今でも知りたいし、知るべきだと思うんだけれど、弁護士も新聞もそんなことには一切興味はないんだよ。弁護士はどうやったら裁判に勝てるか、新聞はどうやったら記事になるかしか考えてない」との由。まあそういうものかもしれないな、と思った。

 

このあたりは難しいところで、僕もデータ分析の結果を相当程度省略・脚色したりすることはある。正確な意味では、分析・報告の作業において真実など伝えてはいないのだ。ただ、仮にそれをしようとしても、インプットに見合う価値のあるアウトプットは得られないだろうし、報告される側もそんなものは求めていないだろう。じゃあ真実は求められていないのだろうか、という問いに帰ってきてしまうのだけれど、そうなると、いや必ずしもそういうことでもない、ということになってしまう。このあたりは結局バランス感覚を持って調整するしかない部分なのだと思う。

 

☆☆☆

 

会社の偉い人とカップラーメンを食べるという謎の会に参加する。この人は医師なのだが、そのわりにいつも不健康に見えるものばっかり食べている。カップ麺なんか食べてて大丈夫なんですかねと僕が訊くと、「いや、タバコに比べりゃかわいいもんだよ。女の人の喫煙率増加とさ、肺がんの発症率増加って、笑っちゃうくらいきれいに相関してんの。[…]Pィリップ・Mリスなんかさ、あいつら先進国で売上げが伸びなくなったからってさ、途上国のリテラシーがない人たちのところでバンバンCM出してんの。悪魔だよ、悪魔。[…]とにかく、1ミリもいいことないからタバコだけはやめとけ。俺はガンになってタバコを吸ってたことを後悔した人間をこれまで見まくってきたから」、とのこと。僕もどちらかというとタバコは苦手な方で、もちろん吸わないのだが、じゃあなんでそんなものを国が取り締まらないんだろうなあと思った。たぶん①税金、②タバコ会社との蜜月、③ガン患者が減ると困る、④慣習的なもの、くらいが理由ではないだろうか。ほとんど思いつきだけれど。

 

まあいずれにせよ、タバコは百害あって一利なしとのことである。

 

☆☆☆

 

気がついたらもうクリスマスである。そのわりにはなんだかずいぶん暖かいので、あまり年末という実感がない。仕事のペースを少し抑えて、掃除と年賀状書きに精を出すことにしよう。

中途採用対策について

“French philosophy?”

 

面接官の人は僕のレジュメを一読して、僕の学生時代の専攻名を見て笑った。新卒のときの就職活動以来、同じようなことが何回あったかわからない。まあ無理もない、僕のしている仕事はいわば資本主義を推進するための仕事である。それを考えると、物質的価値観と真っ向から対立するように見える、哲学という分野の勉強をしていたということが、世の中の多くの人からすると奇異に移るらしい。

 

元々ケースインタビューと聞いていたので、ほとんど戦略コンサルを受けるのと同じような準備をしていったのだけれど、実際には大部分が職務経歴についての質疑応答だった。とはいっても、「なぜ?」の連発で、ゴリゴリ突っ込みが入ってくるので、考えようによってはこちらのほうがやっかいである。とりあえず今できることはやったので、今回の面接でうまくできなかった部分の修正を行いつつ、まずは待つことにしたい。

 

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今回改めて思ったのだけれど、転職活動というのは本当に労力がかかるし、特に面接に入ってからは、2回も3回も先方オフィスに行かなければならない上に、向こうから終了ボタンを押されたらそこで終了という、なかなかシビアな勝負である。ひとつの参照として、僕が今回行った準備を以下に記す。

 

  • 企業研究
    • HPを網羅的にチェック
      • 経営方針、四半期実績、プレスリリースなどの読み込みにより経営課題を抽出する
      • 3C/5P/ SWOTなどのフレームワークを使用しつつ、会社の特徴をあぶりだす。競合・ユーザ・投資家それぞれの視点から検証する。
    • 当該関連企業書籍の読み込み(同じく経営課題を抽出するため)
  • 職種研究
    • JD読み込み(自分の経験と関連付けながら読む)
  • 履歴書のアップデート
    • 上記JDと関連付けながら、募集職種でダイレクトに活かせる経験をachievement basisで分かりやすく書く(当然、複数の企業に出す場合は、業種・会社ごとに微妙に表現を調整する)
  • 面接練習(一般)
    • いわゆる中途採用面接で聞かれる30~40くらいの質問(例えば志望動機)について、淀みなく応えられるようにする練習。当然声を出しながら、日本語・英語の両方で行う。
      • できれば転職エージェントの人や、友人・パートナーに聞いてもらい、フィードバックをもらいながら修正するのが望ましい。僕は今回直接応募で、時間もあまりとれなかったので、ここまでは自己練習のみであった。
  • 面接練習(ケース)
    • コンサルや銀行、一部テック系の会社を受けるときに必要。だいたいパターンは決まっていて、①フェルミ推定系の問題、②問題解決系のふたつに分けられる。
      • 対策としては、①参考書を読んで基本的なフレームワークを抑えたら、②問題を解きまくり、口頭で回答する練習を行う。こちらもパートナーや友人に相手になってもらうのが望ましい。今回僕は①・②合わせて50問程度を事前に解いてから面接に臨んだ。
  • 事前質問準備
    • 面接の最後に「なにか質問はありますか?」というコーナーが大抵あるので、そこで練りに練った質問をするための準備。うまく行けば、企業研究を熱心に行ったこと、志望度が高いことなどをアピールすることができる

 

大まかにいってだいたい上記のような感じである。正直にいって、マジメにやると30時間くらいはかかる。で、だいたい想像がつくように、一部の気合の入った求職者を除いて、ここまでやる人はあまりいない(一方で、トップティアのコンサルなんかを受ける人は当然のようにやっている)。まあ別に強制的なものでもなんでもないのだけれど、本当に行きたい会社があって、かつそれが人気のあるポジションだったら、最低これくらいはやらないといけないし、やらないと後悔しますよ、という話。

 

もちろん新卒の頃は上に書いたようなことなんか知らないし、企業研究なんかなにもせずにガンガンいろんな説明会に乗り込んでいたのだけれど、今考えるとすげえなあと思ってしまう。知らないというのはある意味強さでもある。

 

☆☆☆

 

年末らしく、業務はバタバタ。ストレッチを深めに行って、睡眠の質を上げるようにしよう。

タイムマネジメント

友人の墓参りのために、娘と二人で久しぶりに大阪に出かける。僕にとってうれしい驚きだったのが、娘が友人のお母様に敬語(ですます調)で話していたこと。自分が小学校一年生のころなんて、おそらくサルに毛が生えたくらいのことしか話せていなかったと思うのだが、女の子は実に成長が早い。当初の目的を済ませた後は、子ども連れということで、普段めったに足を向けることのない大阪城に向かう。大阪城公園のあたりはずいぶんと紅葉が進んでいで、朱と山吹色のコントラストが城下を彩っていた。天守閣に行くと、修学旅行生と中韓あたりからの観光客がずいぶん目立つ。たぶん大河ドラマの影響もあるのだろう。その後は、天王寺のあたりで軽くお茶をしてから東京に帰る。それにしても東海道新幹線の常軌を逸した価格設定はどうにかならないものなのか。

 

☆☆☆

 

恵比寿で後輩の結婚式。35にもなって2ヶ月連続で結婚式というのもなかなか珍しい話だとは思うのだが、まあめでたいのはいいことである。僕の苦手なヤソ教式ということもあって、まあ突っ込みどころには事欠かなかったのだけれど、賛美歌のオルガンがパット・メセニーギターシンセみたいな音で、なかなか情感に訴えるものがあった。式では初めて会う何人かの人から、「流星号の人ですよね」と声をかけられる。個人史というのは意外と長くついてまわるものだなあと思った。披露宴というのもあまり好きではないのだが、娘から父親の手紙のコーナーで不覚にも声を上げて泣いてしまう。最近どうも涙もろくて困る。

 

☆☆☆

 

タイムマネジメントというものの必要性や重要性をきちんと認識したのは、思えばずいぶん遅かったような気がする。たぶん社会人になってから、もっと正確に言えば結婚して子どもが生まれてからだ。なにしろ学生の頃はそれこそ時間だけは掃いて捨てるほどあった。それに元々僕は重要な試合やらテストやらについては石橋にセメントを流し込むように準備をするほうで、なにかにつけ物事を早く終えてしまうクセがあり、たぶんそのためにタイムマネジメントという観念を持つことがなかった――あるいは自分には縁のないものだと考えていたのだと思う。

 

だが30代になると事態は一変する。理由は単純で、ライフスタイルの変化によるものである。共働きをしながらペースの早い業界で仕事をするというだけで、一週間のうち自分のために使える時間というのはほぼなくなってしまう。そういうわけで、否が応にも「いかに効率的に時間を使うか」ということを考えざるを得なくなってくるのがこのくらいの年代だといえるかもしれない。

 

翻って、ビジネススクールの入学試験のひとつであるGMATでは、このタイムマネジメントというのが非常に重要だとされている。特に論理(verbal)の試験において、英語を母国語としない人間には処理困難な量の問題数が出題されるからである。そういう制限の中で訓練を積んでいくと、選球眼というか、「この問題は全力で解くべきか、見送るべきか」というのが直観的にわかるようになってくる。結果的にこれが身についたことで、僕は合格点である35点を超えることができた。このあたりの感覚は、おそらくこの試験の勉強をしなかったら身につけられなかっただろうと思う。

 

別にアメリカ式の教育や試験を賛美したいわけではないのだが、日本の教育の中でも、「限られた時間・情報の中ですばやく判断を行い、優先順位を決めること」の重要性は早いうちに教えたほうがいいのではないかと思う。現実の世界は問題が多すぎて、トリアージを行わないことには体がいくつあっても足りないからである。

 

☆☆☆

 

今週もバタバタとした日が続く。ふろふき大根でも食べながら、こたつでぼーっと過ごすような日が一日でもあればいいのだけど。

 

また落ち着かない

そんなに忙しかったというわけでもないのだが、あまり精神的に余裕がなく、どうしても一週間ほど文章を書く気になれなかった。それほど対して自分が置かれている状況が1ヶ月前と変わったわけではないのだが、向こう半年くらいのシナリオが複数存在している状況だと、どうしても落ち着かない。

 

☆☆☆

 

この間声をかけられた会社についての話。リクルーターの人が現場の人との面談をセッティングしてくれたので、40分ほど先方オフィスでその従業員の人と話す。オフィスの雰囲気は懐かしい…の一言だった。外資系のIT企業というのはだいたいどこも雰囲気が似ていて、まあ一言で言ってしまうと洒落ている。社内の雰囲気などについての話も当然聞いたのだが、おそらくは僕が前に働いていた環境にとても近いのではないかという印象だった。話してくれた人はとてもフレンドリーだった。業界が違うといる人もずいぶん違う。

 

で、いろいろ迷いはあるのだが、せっかくのチャンスなので正式に面接を受けることにした。僕だって転職なんてまったく好きではないし、できればしたくないのだが、世界に数社しかない「働きたい会社」がピンポイントで声をかけてくれたのだから、挑戦してみるかという思いはやはりある。リクルーターの人曰く、「一時面接はケース面接です」とのこと。おお、懐かしい…。昔コンサルを受けたときに練習したっけなあ。というわけで、35にして、久しぶりに参考書を引っ張り出し、「東京にはラーメン屋がいくつあるか」とか、「日本のクリーニング屋の市場規模はどれくらいか」とか、就活学生チックな問題の練習をしている。さてどうなることやら。

 

☆☆☆

 

なにかの寓意のような夢を立て続けに見る。一つ目は、浴室のバスタブで巨大な金魚が死んでいるのを発見する夢。これはかなり怖かった。起床後、念のため飼っている金魚たちの状態を確認したが、特に問題はなさそうで、いつもどおり僕にエサをねだってきた。らんちゅうのチビは相変わらず一匹だけのんきに水槽の底のほうでぼーっとしていた。

 

もうひとつは、知らない女性と浮気する夢。布団の中で僕はその女性の胸をまさぐっていた。これは自分自身かなり驚いた。ここ最近、女の人に対する強い性的欲求を自分自身感じたことがなかったからである。

 

大人になってからあまり夢を見なくなったので、これだけリアルな夢が続くと、なにかの予兆なのかと思ってしまう。別に何の脈絡もない話なのだが。

 

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僕の家族は僕以外が全員女性ということもあり、家族で休日を過ごすとどうしても女の子的な過ごし方が中心になる。百貨店やら量販店やらに行くときなんかが典型的で、僕は買うものを買ったらさっさと帰って自分のことをしたいのだが、彼女たちはいつまで経っても飽きもせずに、所狭しと並んだ商品を眺めている。IKEAなんかに行くと、買い物にかかる時間が本当に10倍くらい違って笑ってしまう。たぶん脳のつくりが根本的に違うのだろう。

 

ひとつ上記に関していいところを挙げるとすれば、「著名どころの買い物スポットの座れる場所・休憩できる場所に詳しくなれる」ということくらいである。もう出かけるときは、待っているときに読む本を事前に決めておいたほうがいいのかもしれない。

 

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寒くなってきた。明日は雪だそうである。それにしても、なぜアメリカがThanksgivingのときに、この国ではクリスマスソングを流しているのだろうか。11月なんだから七五三ネタか何かをもっと盛り上げればいいと思うのだが。

清掃飢餓

今週末もあっという間に終わってしまった。世の中の多くの人々が週末をどのように過ごしているかというのは僕の計り知らないところだけど、少なくともここ5年ほどの僕に関しては、土曜日は片付けと子ども関係の雑事、日曜日は買い出しと子ども関係の雑事、それに多少の行楽(とはいっても、駅まわりやら公園やらに行くだけ)を加えて終わりという感じである。月月火水木金金なのだ。こういう日常で何が一番困難かというと、本格的な清掃――というか、モノを捨てるという作業――を行うチャンスがほとんどないということである。もちろん、日常生活に問題がない程度の片付けは日常的に行っているのだが、「本当に必要なものだけを選別する」という作業は、振り返ると5年以上行えていないということになる。というわけで、12月におそらくは外部サービスの助けを借りて、いわゆる断捨離というものを行ってみるつもり。おそらく、我が家にあるもののうちの半分くらいは今この瞬間にこの世からなくなってもまったく困らないものなので、向こう2か月くらいで、もう少し家庭を筋肉質にするというか、経営的に言えば在庫回転率を上げるようにしたい。会社では毎月そういう指標を見ているにもかかわらず、家での管理はほとんどできていないので、これからの目標としたいと思う。

 

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香港の書店で哲学のコーナーを見たら、70%くらいは中華思想に関するものだった。老荘あたりから始まって毛沢東あたりまで、原書と解説書の類がこれでもかというくらいに置かれている。現代の中国人がそういったものをどれくらい読んでいるのかというのはよくわからないのだが、書店での存在感からすると、例えば一般的な日本人の親鸞に対する感覚よりは、中国の人たちはいわゆる中華思想をずっと近しいものとして感じているのではないかという気がする。ちなみに、残りの30%のほとんどは西洋哲学で、プラトンからロールズあたりまで有名どころはだいたいそろっていたのだが、フランス現代思想の類はフーコー以外ほとんど見当たらなかった。このあたりは、今でもデリダの訳書が刊行されると局所的な盛り上がりが見られたりする日本なんかと比べると、ずいぶん異なっているような気がする。どちらがいいとか悪いとかいう話ではないと思うのだが、今でもフランス現代思想という領域が一種のヘゲモニーを形作っている日本のほうがどちらかといえばいびつなのではないかと思う。このあたりは戦後日本における思想的なトレンドに加えて、東大駒場の政治的な話も絡んでいるのでずいぶんややこしいのだろうが、追及すればそれなりに面白いテーマなのではないかと思う。

 

いずれにせよ、西洋思想という借り物のことをずっと勉強してきた身としては、中華思想という屋台骨を持つ中国のことを少しうらやましく思った。たぶん漱石もイギリスで同じようなことを考えすぎて、頭がちょっとパンクしてしまったのではないかと思う。

 

☆☆☆

 

ずいぶん前、オフィスのデスクに備え付けてあるホワイトボードに、『グレイト・ギャツビー』のラストの一文を書いておいたら、上司(UK出身)とその取り巻きがやってきて、"Very deep"やらなんやら小学生みたいな感想を連発していた。二人ともきちんとした教育を受けた人なのだけれど、そんなものなのだろうか。英国の人は米国のものは邪道だからあんまり読まないのだろうか。日本人の大人が『草枕』の冒頭を知らなかったらやっぱり結構恥ずかしいと思うのだけれど、それは僕の出自ゆえの凝り固まった価値観なのだろうか。よくわからないけれど、世界的に教養というものが危機にさらされていることを実感したエピソードである。まあずいぶん前の話なのだが。

 

☆☆☆

 

月曜からかなりバタつきそうだが、気合を入れて乗り切っていきたい。