35の夜 (reprise)

­­もう少し早く書きたかったのだけれど、いつものとおり日々の雑事に忙殺されてしまっていた。そうなると、夜にあまりPCを開こうという気になれなくなり、いきおいブログを書くということもなくなってしまう。まあ昼間10時間くらいPCを見ているのだから、そのほうが自然と言えば自然である。

 

そういえば、先日尾崎豊の映像を観ているときに、今の僕の状況は「35の夜」なんてふうに歌えそうだなと思ったら(「退屈な授業」を「退屈な会議」に変えるわけだ)、やはり同じようなことを考えた人がいたようである(以下のリンク先を参照)。でも「盗んだパンツ」というのはあまりリアリティがないような気がする。「盗む」というのは盗む対象が存在しているという点において少年的であり、35歳にはあまりそぐわないように思う。もう盗もうと思うようなものさえ、多くの35歳には存在していないのではないか――かといって満たされているというわけでもないのだろうけれど。

 

http://blog.livedoor.jp/n_mina/archives/1130662.html

 

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会社で席替えがあり、僕の四方がすべて女の人になった。座席表を見た瞬間、どぶろっくの「女女女」が頭から離れなくなってしまい苦笑してしまった。女性が多い会社なので、まあそんなに不思議なことでもないのだけれど、これはなかなかのプレッシャーだな…と思っていたら、働きはじめるとこれがなかなか心地よい。女の人が周りに多いと、それなりに紳士的に振舞おうという気になるので、なんというか業務中の生活態度にハリが出るのである。これは僕の個人的な傾向なのだろうが、女の人のほうが話しやすいという点もある。それにしても久しぶりに香水をつけて会社に行ってしまったりしていることを考えると、男というのは本質的にコドモでありバカなんだなあとしみじみ思う。

 

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久しぶりに『断片的なものの社会学』を風呂でぱらぱらと読む。『街の人生』もよかったけれど、個人的にはこちらのほうが好みだ。著者がおそらくはこれまでの人生で感じてきた痛みや矛盾と、対象に対する優しいまなざしが、そのまま文章の息づかいとして表れている。流麗な文章や卓越した比喩があるわけではないけれど、文体が素朴なぶんだけ、そこには人生の重みのようなものが感じられる。個人的には、「手のひらのスイッチ」が一番好きだ――というか読んでいて少し苦しくなってしまうのだけれど。僕はこれまでの人生で、どれだけのものを捨てて、どれだけの人を傷つけてきたんだろうな。文章を追いながら、そんな答えのない問いについて僕はしばらく思いをめぐらせていた。いい本だなあとしみじみ思う。

 

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今週は久しぶりの出張。お客様のところに謝罪と説明に行くということで、今説明のロジックをガチガチに作りこんでいるところである。それにしても、調整・説得・説明が仕事のうちで相当な比重を占めるようになったなあと思う。まあ35歳を生きるとはそういうことなのだろう。でもやはり、盗むようなものはもう存在していない。